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路地研の一部メンバーでプチ話題の「中洲・噴泉橋」。大正末から昭和7年頃までの短期間に那珂川・中洲の南端に掛かっていた私設橋(清流公園と春吉を結ぶ)ですが、写真はもちろん当時の古地図・都市図にも描かれてないものが多い「幻の橋」。
27日夜の忘年会前、ふと思い当たって吉田初三郎「理想の楽土(昭和8年)」という箱崎浜埋立分譲パンフを見ると、なんと小さいながら描かれてるのに気づきました!昭和7年頃の夏の水害で流されたと様々な当時資料に記載あるので(戦災まであったという記事は間違い)、初三郎の取材時は流出前だったと予測。改めてその取材力に驚かされました。
福岡県立図書館所蔵の戦前期の福岡市街図が、12月26日からサイトで精細画像で閲覧できるようになりました。昭和4~5年発行の市街図数枚にはなんと「噴泉橋」の名が記載されているものが!測量地図には記載なくても、民間の地図業者発行のものに描かれている事を知って納得。
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/tosho/kindai/H24/kakudai/0490743a.html
ちなみに「噴泉橋」は大正11年に中洲の南端に開設された「噴泉浴場」の経営者が架設したものとのこと。噴泉浴場の料亭施設が「那珂川」といい、のち経営者が代わって「清流荘」となりました。現在の「清流公園」一帯の敷地がそれで、名称の由来です。