記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

島原鉄道(旧口之津鉄道区間)と雲仙国立公園

2007年04月06日 22時17分30秒 | 吉田初三郎
 先日のブログ内で島原鉄道の旧口之津鉄道区間が3月末で廃止
と書いたが、来年2008年4月1日付の間違いであった。島原鉄道
については、吉田初三郎は旧口之津鉄道の沿線案内をはじめ、戦
後作・観光の島原半島「島原鉄道バス景勝鳥瞰図」も昭和25年に
描いている。今日の画像はその図の廃止区間である。

 このパンフの「絵に添へてひとふで」は、前年の天皇陛下九州
巡幸に関連して文章が綴られ、終戦後の平和国家として再出発し
たばかりの日本を例え「国立公園 それは世界の景勝国、美の国
日本がもつ、平和と健康の象徴として選ばれたる楽土であり、天
国である」と雲仙をはじめとする国立公園を描く機会を与えられ
たことに感謝の意と敬意を記している。

 先日、私の運営する「地図の資料館」サイトへ、合併で誕生し
た雲仙市より、昭和初期の初三郎作「雲仙岳」を観光パンフレッ
トに再活用(掲載)したい旨の相談があった。初三郎ファンとし
てはこれ以上の喜びは無い。パンフが完成するのが楽しみである。

 同様に九州では初三郎の旧作をパンフレットに掲載活用する動
きが活発化しているようである。唐津市のパンフレットも初三郎
の作品がイメージ画として活用され、長崎市では「長崎をさるく」
サイト上で早くから「景勝の長崎」画像を公開活用している。

 その反面、せっかく初三郎が過去に描き作品が残されていても
全く忘れ去られ、知名度の低さにがっかりすることも屡々である。
鹿児島県では昨年、郷土史家が初三郎「鹿児島県」折図を入手し
たことが大きく地元新聞に取り上げられた。さぁ、絹本原画が見
つかったか!と喜んだのもつかの間、ただの印刷物と判りがっか
りした。それだけ注目度が低かったということであろう。

 鹿児島県の鳥瞰図が作成された昭和6年、初三郎が残した新聞
スクラップ集には踏査取材時から完成披露に至るまでの詳細が、
地元新聞に幾度となく掲載されている。さらに国立公園運動が活
発化した時期でもあり、霧島をはじめとする県下名勝旧跡をPR
する長期新聞連載も書いているのだ。(それらを知らずに記事を
掲載したのは、同じ新聞社だったというオチも!)

 この時の図は戦災で失われている可能性も高いが、ひょっとす
ると鹿児島神社や霧島神宮などに献納されて無事でないか、と密
かに期待している。戦後、昭和25年の「鹿児島市」鳥瞰図の絹本
原画が、お孫さん宅に残っていることも地元で取り上げてほしい
と思う。私の担当した一昨年の「温泉をめぐる地図の旅」展や、
昨年の横浜市都市発展記念館「昭和はじめの地図の旅」展で原画
や原画複製パネルは展示された。
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