記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

昭和天皇と初三郎、大正13年の「皇太子御外遊記」装幀

2007年04月04日 22時39分29秒 | 吉田初三郎
 自宅からほど近い博多駅の書店に立ち寄り、いくつかの本を買
った。そのうち「文藝春秋」4月号は、昭和天皇の侍従が戦時下
での天皇の肉声を綴った日記が73頁にわたって掲載されている。
昨日、京都のお孫さんへ連絡を入れた折、天皇が「自分の華は欧
州訪問の時だったと思う」という記述があると教えていただき、
急いで購入した次第だ。

 初三郎と昭和天皇は皇太子時代より縁が深い。天皇が自分の華
だったと語った欧州訪問をまとめた「皇太子御外遊記」は、初三
郎が装幀をデザインしており、その絹本原画はお孫さんの手元に
残っている。初三郎の強力なブレーンであり、当時は宮内省書記
官として皇太子の英国外遊にも従った二荒伯爵(日本でボーイス
カウトを発足、戦後は連盟の初代総裁)の依頼によるものだ。

 もちろん周知のように?初三郎の最初のファンは皇太子時代の
昭和天皇であり、不満ながらに依頼を受けて描いた鳥瞰図処女作
「京阪電車御案内(大正2年)」が皇太子に褒められたことで奮
起した初三郎は、終生「図画報国」を目標として美の国日本を描
き続けることになる。

 お孫さんの手元には同じく初三郎が全国的に知名度を上げるき
っかけとなった鉄道省「鉄道旅行案内」表紙原画も2点ともある。
同本は当時の大ベストセラーとなっただけに、今も頻繁に古書店
やネットのオークションに出てくる。鉄道による最初の観光ブー
ムを創った出版物である。

 その後も初三郎は宮内省や政府とのパイプを持ち続け、昭和に
入ってからの愛知県での陸軍大演習以降、昭和11年の北海道での
大演習まで全ての演習地(道府県)の当該鳥瞰図を製作し、いず
れも大本営に絹本原画が掲額され天覧となっている。

 今日掲載した写真は、昭和13年に献納された「南京城攻略戦績
図」の校閲シーンである。閲覧する政府要人の姿と、解説をする
初三郎が映っている。献納はもちろん二荒伯爵を通じてである。

 この作品の現物の所在は判っていないが、同じく大正13年の皇
太子(昭和天皇)ご成婚記念に高千穂村が献納した「高千穂付近
之図」が宮内省三の丸尚蔵館にあることから、同様に残されてい
るのではと期待する。

 この「南京戦績」に関する図は、確認できただけでも計4点描
かれている。当時の新聞記事でみると、京都護国神社や愛知県護
国神社などに地元名士の寄贈になる初三郎作の屏風絵が献納され
たとある。軍や政府の要人が京都護国神社で閲覧するシーンなど
も写真で紹介され、大きな記事である。これらが戦災にあってい
なければ地元に残っている可能性は高い。

 先般取り上げた菊池神社にある昭和21年の原画や、徳富蘇峰記
念館にある「阿蘇大観図」なども神国であった戦前の日本の威厳
と美を象徴するものとして描かれたものであり、今ではこれらの
作品の中にしか当時の本当の「日本の美」は存在しないように思
える。
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