marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(283回目)福音書において何を求め期待すべきかⅤ  (M・ルター)

2017-03-08 19:28:08 | プロテスタント
(信仰の)列車に乗っている人へのルターの話は続きます。ルターと言わず、誰でもですが(福音記者といえども)その時代的制約がありますし、まず第一に書かねばならないという内なる欲求の原因があるわけですから、その事が内に秘められているのだということを考慮しつつ読めばどのような古典もどきの本も今に生かす事柄が甚だ多くくみ取るものがあることが理解されてきます。さて、今回は、まさに僕の言わんとするところ、自分の言葉で読むということをストレートにルターが述べているところです。
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 わたしたちキリスト者があまりにも隔たること遠く、あまりにも福音に不熱心で、それを理解しないばかりか、なにかを求め、期待するにはまず第一に、他の書物や仲介書を示さねばならないというのは、まことにもって罪であり、恥ずべきことである。福音書や使徒の手紙は自らそのような導き手となるために書かれたものである。それらは私たちを預言者やモーセによる旧約聖書の中へと導いて行き、私たちはそこで自ら、キリストが布にくるまれ。飼い葉桶に寝かされていること、すなわち、キリストが預言者の書でどのように示されているかを、読み、理解すべきである。そこでわたしたちの学びと読みとは訓練され、キリストはどんな方で、何のために与えられたのか、どのように約束されているか、全聖書はどのようにこの方と関係するのかがわかるようになる。〔・・・・〕   ・・・続きます。
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                (世界の思想家5 「ルター」徳善義和編 平凡社 S51.12.15初版 p62)・・・