marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その1)吉本隆明 「共同幻想論」を再読する こんな世界の現状だから?

2020-07-29 11:16:43 | 日記

◆一昨晩、NHK Eテレで掲題の本の紹介がなされていた。コロナが騒がれる以前から、これもNHKでアルベール・カミュの「ペスト」の本のことが話されたいたのでそのときも、学生時代読んだ文庫本をこちらは「異邦人」を引っ張り出して読んでいたが、今回も吉本隆明の掲題本をたまたま読んでいたのだ。吉本隆明は僕らのひとつ前の世代にあたるなぁ。彼には天皇制に関する本も無論?あるからという訳ではないが、先のブログからの内容に少し関係している。今、世界がこのように孤立し始めた国家になっている現状で彼の著作が取り上げられたのだろう。 

◆彼は文庫本の序にこう書いている。「国家は共同の幻想だという考えを私ははじめにマルクスから知った。だがこの考えは西欧思想に深く根ざしていて、もっと源泉がたどれるかもしれない。この考えにはじめて接した時に衝撃を受けた。・・・わたしはこういう国家概念が日本を含むアジア的な特質で西欧的な概念とまったく違うことを知った。まずわたしが驚いたのは人間は、・・・西欧ではどんな国家主義的な傾向になったり、民族本位の主張が成される場合であっても、(アジアと違い)国家が国民の全体をすっぽり包んでいる袋のようなものだというイメージで考えられていない。いつでも国家は社会の上に聳えた幻想の共同体であり、私たちが実際に生活している社会よりも小さくて、しかも社会から分離した概念だと見なされている。・・・ある時期この国家のイメージの違いに気づいた時、わたしは蒼ざめるほど衝撃を受けたのを覚えている。」・・・(p5) <今から38年前に出版の角川文庫から 今から思えば古い考えだな、と思うのはそれほどその後の僕らは新鮮な世界中の実情が(瞬時に)知ることができるようになったということだ>

◆文中、もっと源泉がたどれるかもしれない・・・とあるけれど、様々な情報が得られるようになった今、我々が知らないことだったが実はこうだった ということが、当たり前のように学問的に周知されるて来るようになるだろうことを信じている。その源泉を僕は”世界のベストセラーに読もうとしていた訳だ。そもそもあの旧約の時代、今の聖書には神に導かれた民の一体化が「共同体」と訳されたのは訳者にどういう”幻想”があったのだろうかなどと考えてしまう。ヘーゲル初め、以降の哲学者さんも国家感について諸々書いて来ているけれど、理想の国家の実像などがあるんだろうか。この地上にはないと言ってしまえば簡単なのだが、しかし、それを実現しようと画策して来た人々が、あからさまに文字に表されない深層の歴史としてそのベストセラーに読めてくるのは何故なのだろうか。・・・続く