marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その2)今だから言えること、天皇制に詳しいキリスト教神学者にお尋ねしたこと

2020-07-28 16:21:30 | 日記

◆その先生はご健在でもあるし、これを他の関係者が読まれるかもしれませんから、お名前も著作名も詳しくは書きません。しかし、その先生の本には、僕がほとんど読んで知っている先生方が天皇制についての考えや戦争責任について、何故はっきりしないのか、今までのことも勉強していないし読んでもおらんと実名を書いてきつく批判されておられてましたね。(そもそも批判で優位性を語るのは頭の優秀さも確かならその人間性の気質からくるのものではないかとこの本の後書きで思わされた次第でしたが。他のことでも批判していて、それが勉強意欲の引き金になっているようなタイプ)。

◆僕の考えは、この国の天皇制のあり方という形態について、内容を先においてもヒエラルキー(元々は聖職者の支配構造が由来)のような階層は必要なことではないのか、これはあくまで人という生き物として、ということです。あくまでこの日本の国の天皇制は国の成り立ちとして(人権どうのこうのは別に)理想型に近いのではないのか(はっきり言えば理想型に近い形にしようとしてきた古代日本国の形成期にそうしようと努力してきた?人々がいた)ということだったと考えているのです。戦争責任のことは、その天皇制どうのというよりそれを政治と神を混在させる取り巻きの詰まるところどこまでも人の問題なのであるということ。かの伊藤博文が「欧米のキリスト教に対して我が国は皇室あるのみ」と”あらひと神”にして国民を洗脳してしまったことが誤りであったことで、そこを第一に猛烈に批判すべきであったのだ。そこで僕は質問したのだ。現在の天皇がほとんどの国民に受け入れられることをひっくり返すことはできないだろうと(ずいぶん粗っぽい言い方だが)。

◆先生にとられて、理想型のあるべきすがたの国の成り立ち、ありようというのはどこかにあるでしょうか?と。答え「ありません」ということだった。「ありますよ、バチカン国です。」などとはやはり間違っても言わなかった。・・・僕はそれ以上何も言わなかった。・・・・実のところ思っていたことは「先生それではいけないでしょう。現実に理想型がないならどういう国のありようが必要なのか言わないのなら何でも言える。真逆から言えばyoutubeでも見られるが、三島由紀夫が檄を飛ばしているいるのと変わらないのではありませんか」と。 ・・・続く 


(その1)今だから言えるけど、天皇制に詳しいキリスト教神学者にお尋ねしたこと

2020-07-28 15:16:51 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(567回) 生きている限りは自分の肉体から解放されないという”しがらみ”の不条理

 世界のベストセラーを読む(520回目)(その2)不条理を解明しようとすることが人として生涯を生き通すことなのだ さて、不条理として掲げた先、相矛盾するようなブログ......
 

◆「今だけから言えるけど」という表題を下書きにしてたのですが操作ミスしたのか途中配信されてました。それでこれ一応お伝えしたいことでした。「今だから言えるけど」と書いたのはキリスト者での2.11集会でのこと。毎年、2.11と言えば建国記念日、キリスト者は天皇制に反対だと声を上げて来たようですが、最近は変わってきているようで、天皇にも人権を与えろという内容に声が切り替わっているようです。天皇という方は僕らが普段と同じ国民のお一人という人間であると思うのですが、いろいろ実は難しくもっと上位の考えがあられるようで善し悪しではなく人権というものは無いということらしいです。すでに7月ですが、去る2月の2.11集会に、その講師の先生の本も買いましたし読みました。すぐに記事を書こうと思いましたが、僕が最後に議論をふっかけてしまったように集会に来られていた他の先生方が思われてたようで少し遠慮しました。僕は今まで疑問に思っていたいたことをお尋ねしてみた。実は単純なことなのです。・・・続く