marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(935回)真理とは何か?(その2)

2021-11-26 06:00:00 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

▶先回の回答は、誰かと言えば、浄土をパラダイスと同じと考えるとそれはイエス・キリストが聖書にそう述べているのである。「我は、道なり、真理なり、命なり」と。個人の信仰がどうのこうのというややこしい話の以前に実際にそう書いているのだ、という事実。本屋に行って立ち読みすれば書かれている実にこの信仰というのが第一に曲者なのだが、なぜかといえば、アルカイダもISのイスラム教徒もヒンズー教徒も仏教徒もキリスト教徒も・・・多々、多数があるからなのだが、ここで述べたのは、その回答を文字で今も巷で読めるというそもそものご本人が聖書に言った、とはっきりのべて文字に残されているという事実なのだ。ここから、地上の少しく目が開かれつつある人が、自分の言葉でその事実を本当か、と捜す本来の学問の歴史が始まったと考えられる。▶天地創造の神がおられ、今もその終末も含めた創造の御業が進んでいるとされるのであるなら、「神に創造されし人とは何なのか」という考察は、あらゆることがらに及んでいるだろう。亡くなられた知の巨人と言われた立花隆さんは、ご両親が無教会主義のキリスト者だったという。さもありなん、人とは何なのか、神の似姿に創造されし、それは「神の像」imago Deiと言われる、まんまそれなら人という生き物に関するあらゆる事を知ろうとすれば、神を知ることに近ずくと考えられるではないか、というお考えのもとが原動力になっているかはどうかだが、それであれば、地上のあらゆることが学びの対象となるだろうと。▶とすれば実のところ、僕らが学校で学ぶ勉強というものは、究極そこに行きつくだろう。地上の人に与えし、神のあらゆる業について・・・。ミクロからマクロ、原子素粒子から、宇宙の果てまで、あるいは、人の群れの継時的な成立ちりの歴史、そのひとつひとつが、神の法則の開示と舞台の上での啓示であって、神は時代により人へその意味を漸時開示をされてきたのだという訳だ。そして歴史の切った貼ったの人類の歴史の中で、その方との会話をし言葉を獲得した人は、漸次思考レベルが上昇し、過去から現在、未来までの自分達人類のありようをドローンで見渡すように俯瞰できるようになったという訳である。そして、今や自分達、人をも作ろうとし始めているのである。▶”われわれは、どこへ行くのか?” その答えも書かれているのである、と。我らが読んで不明だとするのはただ、霊的レベルが低いからなのだろうが、今生きている遣わされた上からの霊、聖霊が教えてくれるというのである。「求めよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」我々がその問いかけに応えようとする時、その個人に答えが開示されてくるのである、という。これは、体験者しか分からないことなのかもしれないが。そいう進化の途上に我々は存在すると考えられる。