◆ここ数日、本の整理をしていると昔を懐かしむ本が目にとまると読みはじめてぜんぜん片付かない。頭に残って何らかのblogに書いた元本は、昔読んだこの本からだったのかなどと、少し埃まみれになった本の塵を払って読みはじめると、いろいろなことが思い出されてとまらない。ジャンルがいろいろあって、しかし、似たようなものがあちこち部屋に分散しているものだから、まとめて部屋を動き回っている。詰まるところ面倒になってそのままになる。それにしてもと、第一にハードカバーで随分、丁重な作り方をしていたものなのだな、と感心しながら黄ばんだページをめくりだす。勁草書房の「崩壊からの創造」なる装丁が布のたいそう立派な本も、これは評論家江藤淳の大江健三郎おの評論もこれに書いてあったものだったかな、とか河出書房新社の「意味という病」柄谷行人の本もはじめて買った本だった、題名に引き寄せられて。学生時代の暗い自分を思い出すなぁ。◆読んでわかったのかといえば、こういう評論家の本というのは、当たり前のことだが、その評論している内容の本を自分も先に読んでいなければ、何をかいわんやである。で、僕は文系ではなかったので高校時代読んでいたものといえば、五木寛之や大江健三郎の初期の著作くらいで、まともに読んだとも言えないが高校の国語くらいだったな。五木寛之といえば、青春は荒野をめざす、青ざめた馬を見よ、ソフィアの秋などなど初期のもの 人生の悲哀を感じたな。五木寛之さんも歳を重ね、百寺巡礼し、最近は親鸞さんについ書きまくっておられる。