marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

☕女という生き物について(中原中也と小林秀雄)<2>

2021-11-22 07:17:22 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

▶男女同権がますます叫ばれてLGBTなど、法律までも変えようとする時代になって「女という生き物について」などという総括的な物言いなど、ひんしゅくもんだ。今後は許されないというか、かなり幼稚な時代遅れの人の物言いになると言われるだろうなぁ。男も女もというか、中間の人々に対しても「人とはいかなる生き物なのか」と遺伝的に生理医学的にさらには、心理学的にも研究が進められるだろうから。否、実は殆どのことは既に知られているのだけれど、メジャーになっていないだけなのだ。理解されるとは、理解する者(大衆)の先理解としての経験と知識、環境が整わなければ周知共感されることは決してないのだから。それに事実を明確にするとドラマはできなくなるからだなぁ。▶幼稚退行的な軟弱な僕にとっては自信そんなことばも口に出すことも憚られるのだが「雄」としての性欲がまがりなりにも(こういう生物学的な欲求とはどのような人にも成長過程で、自然に生存淘汰の肉体についているものだ)小林秀雄の「Xへの手紙」の中の女について書かれた部分が途中に出てくるのが思い出される。「・・・突然だが俺はあの女とは別れた。(この女とは先のブログでかいた中原中也の愛人だった人)・・・」廃版にはなっていないだろうし文庫版もあるからここからの考察は誰でも読むことをお勧めする。それで、今でもなぜか、こびりついて覚えている言葉はこんな言葉だった。「女は俺の成熟する場所だった。書物に傍點をほどこしてはこの世を理解して行かうとした俺の小癪な夢を一挙に破ってくれた。・・・」こんな言葉から小林の言葉は「雄(おす)」の文章だろうなと思ってしまうのだ。▶これからの時代は、「人とは何か」と不可解な男と女の人生模様、演歌の世界は、人の情緒性を保持するには大衆の共感から決して消えることは無いだろうけれど、そのもの言いには気を付けないと時代遅れの人間とレッテルを貼られるだろうな。ここで、女といういきものは、理屈通りにはいかないものだというか、人生にとって理性的に生きてるものでは、ないと結論してしまうのは、哲学や科学を専攻している女性にとっては大変失礼なこととなってしまう(確かにそういう面は多々あるけれど)。男女同権、中間性の人も同権となっていくにつれて、人とは何か、などという命題ははっきり言って、それを明確にしすぎることによってかえって自らの首を絞めつけることになるかもしれないのだから。▶しかし、やはり不思議な不可解な生き物だなぁ。瀬戸内寂聴さんの「死」のことから又、ブログを再開して、彼女が尼さんになられていたのだから宗教性と人間について、又、考えを深めたくなった。浅学な知識にまがりなりにも・・・。

 


☕女という生き物について(中原中也と小林秀雄)<1>

2021-11-22 07:01:51 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 
☕ 作家、桐野夏生さんについて

◆前回に書いたように彼女の作品の評価ではなく、この人についてである。長編『日没』を出された内容は、国がどこかの国のように都合の悪いと思ったことは、口封じをして動いてその傾向になりつ......
 

▶今の若い方は、詩人中原中也や評論家小林秀雄など知っている人はいるだろうか。僕らの一世代前は、高校の国語の教科書にも載ったし、一世代前には小林のような評論家の大家のような方の文章は大学入試にも時折、採用されたものだったけれど。このような評論家で動物的な「雄」を感じさせる文章は、初めて読んだ当時の僕には奇異にも思えたのだが、べらんめい調で「俺の言葉」を持った唸る文章を書かれるなぁ、感銘したものだった。何の文章かは忘れたけれど。▶「中原中也の思い出」の中でこんな文章がある。「・・・中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によって協力する)、奇怪な三角関係が出来上がり、やがて彼女と私は同棲した。この忌まわしい出来事が、私と中原の間を目茶目茶にした。言うまでもなく、中原に関する思い出は、この處を中心としなければならないのだが、悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思いでという創作も信ずる気になれない。驚くほど筆まめだった中原も、この出来事に関しては何も書き遺していない。ただ死後、雑然たるノオトや原稿の中に、私は「口惜しい男」という数枚の断片を見付けただけであった。夢の多すぎる男が情人を持つとは、首根っこに沢庵石でもぶら下げて歩く様なものだ。そんな言葉ではないが、中原は、そんな意味のことを言い、さう固く信じていたにも拘わらず、女が盗まれた時、突如として僕は「口惜しい男」に変わった、と書いている。が、先はない。「口惜しい男」の穴も、あんまり深くて暗かったに相違ない。・・・それから8年経っていた。二人とも、二人の過去と何んの係わりのない女と結婚していた。・・・」▶小林の妹、高見沢潤子さんよれば、この女性は当時の海外女優グレタ・ガルボという人によく似ていてとてもきれいな人だったらしい・・・(つづく)