marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

S先生の話、親愛なるXへ(その2)

2022-02-12 06:06:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 身体で体験しないと、それは生きている意味を、自分の人生の意味をその回答を見出そうとしない限り、解らないものなのかもしれませんね。

 人の世界のこの見えている世界に見えない存在を体で体験するには、人生を通さなくては分からないものなのでしょう。しかも、それを生きている間では、理解しえないのですね。作家が、演出家になる、あるいは通りすがりになろうとも独り芝居でないかぎり、自分が生きて、人生の終わりにこういう意味があったのかなどとは、多くの人は意味付けさえも考えないものでしょう。意識における満足を与えてくれるものだったか、そうでなかったか。せんじ詰めれば、それだけの話なのではないでしょうか。

 君は、物事には理由がないといけないと思っている。さて、その思考対象について、どの段階のことを言っているのかわからないけれど、これも遠い昔、人生これ不可解といって華厳の滝から落ちて自殺した学生がいたのだが、最近でも三十代の自殺者が多いそうだね。ま、そこまで高尚の悩み以前に、まず僕らは着る、食う、住む、でまずは食って、寝ることが、ただ満足の上になされなくてはいけないと、志向のインフラ条件として考えなくてはいけないね。食うことは何より日ごとに消費されていく第一の元になる事柄だからな。まず、悩む前に物を喰うことを考えよ。満たされて悩むのは、そもそも逆なのではないかね、話が。食うものがないために悩むのがそもそもの生き物の基本なのだな。悩むなどというのは、人が言葉をもってしまったが故の話で、その食い物、糧を得ることがそもそもの行動の、それを労働というのだろうが、基本なのだ。性殖の欲求と食い物の得とく、つまり人の種では労働いうが、それが人なのだ。それぞれの人が、それぞれのその思いを持っているそれが自分だけではないという自覚が人から人間となった理由なのだ。

 だから「福」とは、右の「一」これは天を示す。その下に「口」これは人を示す。さらにその下に食うための「田」がある。それが左の「示す偏」でまさに示されている。つまりは食うことに満たされることは、幸福の第一条件であるということなのだろうな。

 まずは考える前に、悩む前にといおうか、肉体労働をしなさい。できれば食うために、そのあとで、悩みの解決の答えが得られるだろう。・・・と、ここまで言ったが、具体的にと君は問われるだろう。しかし、話を聞いていて少し、僕の今のエネルギーの余波が君にも伝播したかな。・・・雪はまだ降っているかなぁ、と先生は椅子から立ち上がって窓越しに空を眺めた。この東北の地に神の言葉を根づかせようとするなら、雪かきをして、田植えをしてそれで米を喰っているその人たちへの思い、その先祖たちへの思いに触れようとしなくては、難しいかもしれんなぁ。

・・・又、来なさい。少しく具体的に話ができるかもしれないから。

 階下からカレーのルーの匂いが立ち上ってきた。それと同時に○○子先生の声が階下から聞こえてきた。まことさ~ん、カレーができたから食べていきなさいよ。