marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

青春の光と影だらけ:昔の話、親愛なるXへ(その4)

2022-02-14 06:06:06 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 僕らは秀でた(と錯覚する)ものには恐縮してしまうものなのだろうか。いずれ未知のものには、憧れとあらぬ妄想を抱くものではある。暗い青春には、どうも自分とは何かなど、モヤモヤしたものがあって、しっかり生きていそうな輩には奇異な感じをもっていた。君らはこの青春に不安はないのか、などと。あれから40年、人とは何ぞやなど深遠な悩みのごとく抱いてきた心の中のモヤモヤは、一応追求すれば、生まれて6歳までにそのレールの基本が決定されるようなのだ、ということを老い先短くなってようやく自分が生きて来て、そうなのだなと納得する。ひとそれぞれ自分のそんなことは、普段だれも考えもしない。だから、ドラマができるのだが、生まれる前の親の遺伝子や生まれてからの環境などを思えば、おおよそそれらのドラマの原因は気づかぬ、その数年の基礎の上に築かれてしまっているもののようなのだ。人生歳をとるとは、そんな自分で何が悪いと誰もが開きなおるのが普通なのだが、僕のようにそれに、つまり、成長してあたまの前頭葉はそれなりに鍛える過程にあるものの、その気づかぬ根っこの部分があるためにどうもからだが思い通りについて行かないというか、ズレが生じて苦しくなるのだった。しかし、これまた男つまり雄としての性的欲求はまともに生じてくるようでこれまた生き物として自然の負荷が生じてくるのであった。しかし、これは僕だけではない、みんなは気がつかない人が多いだけなのだ、ということも歳をとってようやく理解するようになったのである。

 あぁ、実に青春の危機だった。僕のいた下宿は飯付きであったのだが、僕の居た母屋には部屋が7つ、離れには4つ。それぞれの部屋には電気計測メーターがあって、下宿のおばさんは、僕に各部屋の電気のメーターを読んで電気料を計算して欲しいと頼まれたことがあった。賄いはそのおばさんではなく親戚の違ったおばさんが来ていたな。下宿屋のおばさんには、若い男の子がいたが旦那さんは居なくて、その理由はあとで、先に居た下宿人の先輩にきいたのだが、まさにこのおばさんも青春の危機体験者なのであった。卒業したから今は居なくなったが(逃げられた)、その家に下宿していた学生との間にできた子供だったのだ。そのおばさんが学生でまだ若かったころ下宿する学生に家庭教師をして貰ってその学生の部屋に出向いていたのだが、まぁ、お互い若いしおかしな関係になってしまった訳で、子供ができてしまってその学生はそうそうに雲隠れをしてしまったという話であった。その話は、下宿の一番広い居間をリフォームした部屋をあてがわれた医学部の先輩に聞いた話である。

 ところが後日談があって、その医学部の先輩は家庭教師におしえにもらいに来ていた女子高生と結婚するのだというのでびっくらこいたのだ。なんとその女子高生とは下宿のおばさんの親戚の子供だった。家庭教師を頼まれて、その医学部の先輩は一線を越えて、おばさんは若いころ自分が子供ができたが逃げられて、そんなことはさせじと、男女の仲を斡旋し、現場を押さえて結婚すべしとストーリーを運んだのだな、と僕は後で推測した。なぜ、そんなことを推測したのか・・・。だいぶ後で僕にも親戚の女子高校生に家庭教師の斡旋話がそのおばさんからあったからなのである。じゃじゃ~ん。で、僕はやりましたよ、真面目にその女子高校生と。勉強を! で、その都度、部屋の扉の後ろにそのおばんさんが聞き耳をたてて、立っている気配を感じたのであった。ドラマはおきなかったのでつまらなかったのか3ヶ月ほどで家庭教師は終わりとなった。

 おばさんの男の子はいつも一人で遊んでいて悲しい目つきをしていたな。どうしているだろう、今はいいおじさんになっているだろう。幼きころの礎を思い出すこともなく、人生に宿題をもってその解決に人生を歩んでいるのだろうなぁ。