夏目漱石の『草枕』の冒頭。「血に働けば角が立つ、情に掉させば流される・・・」 そんなところかなぁ。個人的に資本経済は利権も絡むし、人の心情にこっそり紛れ込まれれば、知らない内に内部が腐敗していくことに気がつかないこともある。
彼が闘うのは、このところだ。思考の階層といったけれど、僕らの立ち位置はどこにあるかということ。この国では、国民には思想信条というもの自体を持たぬように教育してきたからね。前政権では、実に曖昧なのであった。
言葉を持たせないことは賢い方法だったかもしれない。欧米のキリスト教ベースに明治期、突然に、にわか神道を国家宗教にしたのだから、それは欧米の民衆に影響を与えているキリスト教に準ずるものを、大衆心情操作のために「我が国は皇室あるのみ」と国家神道をで国を統一し、欧米に対抗しようとしたのに無理があった。
何処の国でも結局のところ、国民の心情の要となる宗教の争いとなっているのだ。
僕は何を言いたいのか。石破総理の祖父は、金森通倫という牧師であった。
ひとり一人が(まして国会議員は)、思考の基軸をどこからひっぱて来るかによって大きく国の行く末は、変わって来るということである。