marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その13ー②)簡単に書くけどとてもすべての人に大切なこと。死亡率100%の僕らにとって!

2025-01-23 08:08:08 | 日記

新年早々、にゃんこが久しぶりに訪問。青森と違い、ここは東北でも昨日からが、新年降り始め。庭の木を伐採してたが、一時中断。で、3週も経て今は殆ど雪が消えた。

ボケ防止のためにとあれこれ頭を使うのは、総合態としての肉体も動かすことをしないと、体が錆びていく感じ。そうして、体が脳みそを保持できなくなったときは、脳みそが働いていても結局からだが動かなくなっていくだろうから、その事前準備を毎日している感じ。

歳をとると時間の経過が早く感じる。夜はまさに丑三つ時(午前2時ころ)、彼ら(U)が久々に訪れ会話を始める。そういう会話が昨年多くあった。

YOUTUBEでもキリスト教の神についていろいろな牧師さんが解説動画を放映している。僕がいうのもなんだがピンからキリまで。

誰でもが見よう思えば、どのように解釈されるか分からない。その為か彼ら(U)がとみに最近表れて、深夜に会話をすることになった訳である。

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それで、この間、正月にかけて何をしていたのですか? と問われれば、僕は無理をしない生活。投稿マニアのように常に発信したいのだけれど。いろいろ生活事も当たり前のようにあるし、散歩は「本当にも物の値段がたかくなったなぁ」と市場をぶらついて見ている訳である。

僕は食材は購入し、自分で作る方だから、いろいろ店に顔をだして行きつけのところで、今までと比べ惣菜のその内容にあまりに不釣り合いに高い値段を見て(笑)ちゃうようなものまである。期限切れ、売れ残り前に惣菜に加工する職人さんは大変だなぁ、と思いつつ。

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自分を高めてくれるであろういろいろな所に顔をだし、本もまだたくさん読みたいし、けれど知識、知識だけでは、これから死にゆく人に何が知識かよ、と自分でも思いながら、次の世界でも考え続けられるであろう瞑想ごときも(ただ、ぼんやりあれこれ思っているだけだけど)モーツァルトを聴きながら、コーヒーを飲みつつ、反射ストーブのオレンジの炎を見つめながら数時間は過ぎていくのであった。

それで、ボケ防止のためのハイデガー『存在と時間』への思索はやめたわけではなく、これを理解するには、彼の師でもあったフッサールの『現象学』を先に学んだほうが、ハイデガーのそれも良く理解できると思われ、そもそもハイデガーのその著作は、現象学を進展させたものであるから、こっちの方が面白い、と思ったわけで、こちらも中毒気味になるというか、ボケ防止にいい。

で、いずれ、身体は動かなくなるだろうから、戻ってくる書物は、聖書と現象学と『存在と時間』ということにしよう。エマヌエル・レビィナスも先にあるけど、現象学と『存在と時間』が理解できなければ、レビィナスもそれを超えようとしたわけだから、理解できないだろうしね。

結局のところ、人という存在があるから、その思考ではどこまで周辺事から厳密に観念、形而上学的思考のことまで含め精緻に言葉で突き詰められるかと言う哲学で追い込み、その神の似姿に人を創造したのが天地創造の神であるから行きつくところは、聖書のそこなのであろう。・・・