今度は、他の方の病院付き添いに昨年末より、正月にかけてのプチ入院は、ちょっとホテル気分?であったけれど、これはこのための予行であったのかなぁ。おひとりでお住まいで好意にしていただいている101歳の......
先週、当教会新任2年目の牧師と一人の姉妹と新しく替わられた施設を三人で訪問。
今年、103歳になられる。一時は直接お会いし、一室を借りて聖餐式も3度ほどおこなったが、インフルもコロナも未だ心配な雰囲気となってきたというので、今回の施設訪問では中玄関でガラス越しに会話。
耳はかなり遠くなられたが、お肌はきれい。もう10年以上にもなるだろうか、施設に入られる前、ご自宅のニャンコの餌を買って来てと頼まれたことがよくあった。教会に来られなくなり礼拝の週報を届けていたときのこと。
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施設に入り同居のニャンコは東京の姪御さんに引き取られていったことになっている。姪御さんからの、そうしてくれとのお願いにより。
実際は僕が、ご本人には内緒だが、ひとりぽっちのニャンコに、朝夕毎日、餌をあげるために通っていた。
僕も仕事があったので引き取る訳にはいかず、寒い日に餌を食べていない日が二,三日つづき、東京の姪御さんに連絡するといざという時の依頼の業者さんに頼んだところ、いつも添い寝をしていた布団の隙間でなくなっていたそうである。
身よりはどなたもこの地にはいらっしゃらないので、ニャンコの火葬を姪御さんに頼まれ、僕が行った。お位牌として、そのニャンコには今も会うことができる。施設のご本人は当然知らないけれど。名前はデライト。
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僕が通っている歴史のある教会の娘さんにあたり、ずう~とお一人住まいだったので、よく昔の話をしてくださった。ヘレンケラーがこの地に来られた時に通訳をしたのが牧師であられた父親だった、と話してくださたのはこの間のこと。(ハチ公のお話に感動されていたのか、秋田犬はこの時もらわれて海を渡ったのだ。昭和12年のこと。)
化粧品は資生堂などと笑いながら話してくださったが、今は食事もあまり喉を通らなくなり、ゲル状の栄養食。
戦争を経験したあの時代。他に姉妹の方は居られたが、最後の一人になったしまったわ、と・・・。同居のニャンコもとうに先だったし、本当に一人になってしまった。
それでも、ご飯を食べたいのに、何かおかしなものを食べさせられるのよ、と持ち前の反発心は健在のよう。しかし、殆ど会話はできなくなって自分からお話はできない。
最後に讃美歌を歌い、お祈りをして、手を振りながらお別れをする。