前回から、ステパノが語った旧約聖書は本来、語られて聞く側の誰もが理解し回心せねばならない内容であったのだが、先祖伝来の律法のみとして彼らは自分たちのことと思わず、ステパノを殺してしまったのであった。
使徒行伝の7章はステパノの滔々と述べた彼らの先祖が神に導かれた歴史であり、それがイエス・イエスとなり実現し福音となったことを諭したものだった。
★・・・できれば、彼の説教の何が旧約聖書の何処辺りに書かれた話であるのか、探してほしいなぁ。
ステパノの語ったあらすじは、旧約聖書のこと(彼らにとっての聖書)でそれ以降の歴史を動かす、生きて働く神は、本来理解すべき彼らは理解していなかったということである。(中には回心した者もいたのだが)
当時、イエスのことは、備忘録のようにあちこちで書き留める人はいたのが、その後、集約されて四福音書となった。
この迫害により、基督者は多く離散することにもなる。それは、又、異邦人にも福音が宣べ伝えられるきっかけともなったのであった。
パウロとバルナバは大胆に語った。「神の言は、まず、あなた方に語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命に相応しからぬ者にしてしまったから、さぁ、わたしたちはこれから方向をかえて異邦人たちのところにいくのだ。」(使徒行伝 13章46節)
アグリッパがパウロに言った。「お前は少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。
パウロが言った。「説くことが少しであろうと、私が神に祈るのは、ただあなただけでなく、今日、わたしの言葉を聞いた人もみな、わたしのようになってくださることです。・・・」(使徒行伝 26章28-29節)