「感覚と意識」というものについて、今読める思想を語る世界の知識人は(と書けば大げさだが僕が読む限りに於いて)、何らかのその対立としてその統一をどのように求めるかにあったように読めなくもない。僕らのこの国の知識人においても、なにがしかの表現をしてきたと思う。黒船が来ていきなり思考せよと無理難題を与えられたような困難があったと思えるが。
◆歴史を学ぶと大きな区分として、古代、中世、近世、近代、現代だったかに分かれるそうだが、この国が海外と触れて自らを自らの言葉で考えざるを得なくなった時代それは、近代の苦悩というような事ではなかったか。言葉を屈指して自国と他国のありようを意識的に思索し生き方を決めねばならない自我発見の苦悩というようなものではなかったか。
◆養老孟司さんの論壇インタビューの記事を読んだとき、僕はそのようなことが思い浮かんだ。例えば、夏目漱石、あの時代、イギリスに留学して少しノイローゼ気味にもなって帰郷した漱石は、当時の英国の機会化的世界にけしかけられるように精神の変調を来たしたが、以前書いたが、僕が高校の時の夏休みに「こころ」の読書感想文を書かせられ、失恋させて自殺もあるまいにと現代では思うが、それよりも何よりもあの時代、かの筆頭の知識人が「私の個人主義」(文庫で読めます)を書いていたというそちらを読ませて時代を考えさせるというような宿題の方がいかばかりか収穫が大きかったろうと今でも思うのだ。これぞまさに、人的、肉的(この表現は聖書的なもの)、動物的進化初期の封建的社会の当たり前の男性優位の世界にあって、人とは何か、人類とはなにか、社会とは、世界とは、・・・諸々、つまりは、感覚(動物的社会といったらいいか)から意識化(ことば化といったらいいか)への移行として、常に人がその社会が変化して来た様相の途上にあったと思う。(ちなみに、あの「怪談」を書いたラフカデオ・ハーン<小泉八雲>にも「心」という文書があり、文庫で読めるが、あの時代の人たちの謂われで心打たれる文章も載ってました。漱石の英語教師でも一時期あったそうな)。前書き長くなったが・・・加藤周一さんのことについて
◆加藤周一さんが意識がはっきりされている時(?)洗礼を受けられたいうことに中には驚かれる方がいるかと思うが、キリスト教に取り込まれたかと思ってしまってはいけない。彼は、ヨーロッパからの新しい思想的流れをいち早く日本に紹介をされてきておられた。日本にはそもそも思想により世の中を見ていこうなどということは、一時ブームになったらしいが平田篤胤くらいではなかったでしょうか(個々にはありますが日本全土に影響を与えたという意味で・・・)。結局、どうなったかといえば周知の通りで、今はあまり良くない方に分類される。知の巨人はこの国でもキリスト教にも影響を与えた20世紀最大の神学者カール・バルトの動向を紹介していたし、まだ知名度がなかったあのシモーヌ・ヴェーユを紹介し、日本でもブームになった実存主義のジャン=ポール・サルトルなどとの対談も行っている。僕がくだくだ書くまでも無くWikipediaなどで検索されると世界各地のいろいろな大学で教鞭を執られているから、僕のようなゴミみたいなのが何をか言わんやなどだが・・・。で、
◆僕のブログからすれば我田引水のようにもとられるだろうが、この知識人をしがらみのまつわりついたキリスト教に取り込まれたと思われた方にもお尋ねです(以降、何故か喧嘩を売っているように読めたらごめんなさいです)。あなたは、自分の死にあたりどのよな儀式をされたいか、そんなのいらないとなればどのような対応をされたいかを問いたいと思います。いずれ死んでそもところに自分ではどうしようもない、魂の抜け殻の遺体が残される訳だから・・・。驚かれた方へのその2、そう思われた方がいれば、そもそも、今これを読む側のキリスト教をある程度の理解しているという判断(僕が何度も書くところの先理解、堆積したつたない人類が蓄積してきた思いの”しがらみ”)によって、その思いは図られていることをまずは思って見なくてはいけません。何処までも僕らは神(今を生きているという、つまり自分が今、これを読めているということはその方が霊が与えられてくれている)を越えることはできないという認識が無ければ、地上の僕らの肉体のいのちが途絶えた時に、思想もその人の語られた生涯を終えた以降、その残された著作の中の可能性に同時に終止符を打つことになるのです。それは、僕が求めている”肉体に引きずられる言葉”を解消することには決してならないのです。いずれ、死ぬことが必然の今生の僕らは、次の世界は漠然としたものでいいとは決して思わない(実は無神論を唱える人も漠然と感じているのだ)。少なくも僕は、この国の仏教での死後のとてつもなく長い長い旅はしたくないのです。いずれ彼は、世界的規模のグローバルなそして永遠のいのちの為にいのちを献げる(殉教)までした、その次の世界への送りの儀式としてキリスト教を選んだということである。母上はカトリックだったようですが、世界を股に掛け、世界の諸大学で教鞭をとり、その体験からイエスの十字架が世界を変えてきた、そしてそれでなければ世界を変えていくことは不可能だろうと心底思ったに違いないのだ。彼は、作家大江健三郎と「九条の会」を立ち上げていることを最後に書いておきます。・・・ 続く
◆歴史を学ぶと大きな区分として、古代、中世、近世、近代、現代だったかに分かれるそうだが、この国が海外と触れて自らを自らの言葉で考えざるを得なくなった時代それは、近代の苦悩というような事ではなかったか。言葉を屈指して自国と他国のありようを意識的に思索し生き方を決めねばならない自我発見の苦悩というようなものではなかったか。
◆養老孟司さんの論壇インタビューの記事を読んだとき、僕はそのようなことが思い浮かんだ。例えば、夏目漱石、あの時代、イギリスに留学して少しノイローゼ気味にもなって帰郷した漱石は、当時の英国の機会化的世界にけしかけられるように精神の変調を来たしたが、以前書いたが、僕が高校の時の夏休みに「こころ」の読書感想文を書かせられ、失恋させて自殺もあるまいにと現代では思うが、それよりも何よりもあの時代、かの筆頭の知識人が「私の個人主義」(文庫で読めます)を書いていたというそちらを読ませて時代を考えさせるというような宿題の方がいかばかりか収穫が大きかったろうと今でも思うのだ。これぞまさに、人的、肉的(この表現は聖書的なもの)、動物的進化初期の封建的社会の当たり前の男性優位の世界にあって、人とは何か、人類とはなにか、社会とは、世界とは、・・・諸々、つまりは、感覚(動物的社会といったらいいか)から意識化(ことば化といったらいいか)への移行として、常に人がその社会が変化して来た様相の途上にあったと思う。(ちなみに、あの「怪談」を書いたラフカデオ・ハーン<小泉八雲>にも「心」という文書があり、文庫で読めるが、あの時代の人たちの謂われで心打たれる文章も載ってました。漱石の英語教師でも一時期あったそうな)。前書き長くなったが・・・加藤周一さんのことについて
◆加藤周一さんが意識がはっきりされている時(?)洗礼を受けられたいうことに中には驚かれる方がいるかと思うが、キリスト教に取り込まれたかと思ってしまってはいけない。彼は、ヨーロッパからの新しい思想的流れをいち早く日本に紹介をされてきておられた。日本にはそもそも思想により世の中を見ていこうなどということは、一時ブームになったらしいが平田篤胤くらいではなかったでしょうか(個々にはありますが日本全土に影響を与えたという意味で・・・)。結局、どうなったかといえば周知の通りで、今はあまり良くない方に分類される。知の巨人はこの国でもキリスト教にも影響を与えた20世紀最大の神学者カール・バルトの動向を紹介していたし、まだ知名度がなかったあのシモーヌ・ヴェーユを紹介し、日本でもブームになった実存主義のジャン=ポール・サルトルなどとの対談も行っている。僕がくだくだ書くまでも無くWikipediaなどで検索されると世界各地のいろいろな大学で教鞭を執られているから、僕のようなゴミみたいなのが何をか言わんやなどだが・・・。で、
◆僕のブログからすれば我田引水のようにもとられるだろうが、この知識人をしがらみのまつわりついたキリスト教に取り込まれたと思われた方にもお尋ねです(以降、何故か喧嘩を売っているように読めたらごめんなさいです)。あなたは、自分の死にあたりどのよな儀式をされたいか、そんなのいらないとなればどのような対応をされたいかを問いたいと思います。いずれ死んでそもところに自分ではどうしようもない、魂の抜け殻の遺体が残される訳だから・・・。驚かれた方へのその2、そう思われた方がいれば、そもそも、今これを読む側のキリスト教をある程度の理解しているという判断(僕が何度も書くところの先理解、堆積したつたない人類が蓄積してきた思いの”しがらみ”)によって、その思いは図られていることをまずは思って見なくてはいけません。何処までも僕らは神(今を生きているという、つまり自分が今、これを読めているということはその方が霊が与えられてくれている)を越えることはできないという認識が無ければ、地上の僕らの肉体のいのちが途絶えた時に、思想もその人の語られた生涯を終えた以降、その残された著作の中の可能性に同時に終止符を打つことになるのです。それは、僕が求めている”肉体に引きずられる言葉”を解消することには決してならないのです。いずれ、死ぬことが必然の今生の僕らは、次の世界は漠然としたものでいいとは決して思わない(実は無神論を唱える人も漠然と感じているのだ)。少なくも僕は、この国の仏教での死後のとてつもなく長い長い旅はしたくないのです。いずれ彼は、世界的規模のグローバルなそして永遠のいのちの為にいのちを献げる(殉教)までした、その次の世界への送りの儀式としてキリスト教を選んだということである。母上はカトリックだったようですが、世界を股に掛け、世界の諸大学で教鞭をとり、その体験からイエスの十字架が世界を変えてきた、そしてそれでなければ世界を変えていくことは不可能だろうと心底思ったに違いないのだ。彼は、作家大江健三郎と「九条の会」を立ち上げていることを最後に書いておきます。・・・ 続く
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