キリスト教会には教会暦というのがあって、’23年は4月2日の週が受難週にあたります。昨日、6日はイエスが最後の晩餐を行い弟子達の足を洗います。それは、弟子達の足でイエスの業(わざ)を苦難をとおして世界にに広め伝えなければいけないという暗示でもありました。洗足木曜日と呼ばれます。
そして、今日、金曜日十字架に掛かられる。朝の10時頃、そして午後の3時頃に息を引き取られたと言われます。
**********
既に昼の12時ころであった。全地は暗くなり、それが3時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。(ルカ23:44~46)
十字架の7つの言葉を残した言われる。天の父に向かってこう叫ぶ。
「父よ、彼らをお赦し許しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)
**********
さぁ、僕らは自分の事がどれだけ分かっているかと問われれば、第一にそもそも、自分を相対的、客観的に自分を見つめる基点をどこに置いたらよいのかさえも分からないのではないか。考える言葉も持ち合わせない。あたらしい実存主義はこの言葉の獲得を目指したものと理解しています。
3年と僅かばかりのイエスの生涯での言葉と行為は、読む者たちに対して彼が語り掛ける内なる声を聴くこと求めさせるようにも思わされるのです。
**********
彼(イエス)は今も生きている。”死者を死すると思うなかれ、生者のあらん限り死者は生きん。”
それはこういう意味にもなるでしょう。”イエスを死すると思うなかれ、信者のあらん限りイエスは生きん。”
肉体としては見えなくなるが『聖霊』をあなたがたに与えようと言われ、イエスは天に昇天したと言われる。
彼は『聖霊』として、語り掛けているというのです。
信者個人としては自らが天上に帰還する誉をいただいたことに、おそらくこう責任があると思っているのです。
わたし(信者)の関わる、わたしのDNAを持ち運び来たいにしえの未信者の親族の方々よ。わたしたちがこの地上の存在し続ける限り、あなた方は生き続けるでしょう。・・・私が永遠の命の門をこじ開けます。ですから、迷わずついて来て下さい。
**********
大江の母親が、あの四国の山の中でハックルベリーフィンの冒険の本を彼に与えたこと、早逝した兄から英語の辞書をもらったこと、そして彼が心理的深層の関連に、頭の出来が良かったと思われた兵衛伯父さんのDNA関連を認めながらも、そういう血筋が流れたいたことは、彼が一浪して東大のフランス文学の渡辺一夫の元で学んだ向学心をもつ幼小の頃からの原点にもなっているものであったろうと思われます。更に古代に遡れば、名字から言って朝廷側に反乱か、疎まれて四国の山に逃げ込んだ祖先がいたのかもしれない。
**********
世界大戦で日本は敗戦し、その状況に渡辺一夫はイエスの磔刑状況を思いつつ人間の罪を嘆いた文を残しています。
大江の専攻は、当時のJ・P・サルトルでしたが、サルトルは哲学の経緯を引き、僕らは新しい実存主義として読んだものです。僕はカミュが好きでしたが・・・。サルトルは仕事がらか無信論者でした。ノーベル文学賞も辞退し、女流哲学者ボーボワールとの親交がありました。彼女の言葉『女は女に生まれるのではない。女につくられるのだ。』当時、男社会に対する反論アジテーションです。男女平等では低ランクのこの国において、もし平等を求めるとすれば彼女の文章には目を通すべきでしょう。僕にとっては古典で言えばJ・P・ミルの『自由論』も。
**********
今日は朝から雨です。・・・Bachの マタイ受難曲を聴きながら