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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

週刊読書録

2016年02月08日 09時02分37秒 | 読書


今朝はいい天気だ。

五岳は薄い靄に包まれているけど、青空で最高。

体調が悪いとベッドで休む時間が増え、読書量が増える。

先週の読書は次の通り。

井川香四郎「船手奉行うたかた日記 咲き残る」、関根聖「うろつき同心勘久郎 鬼刀始末」、澤田ふじ子
「真贋控帳」、半村良「かかし長屋 浅草人情物語」、高橋義夫「御隠居忍法 振袖一揆」。

井川の書いた船手奉行の日記は幕府の中でもその役職が珍しく面白かった。特に町奉行=与力ー同心との関係が
目新しかったし、ストーリー性も豊かで良かった。

半村は再読。GOO!
関根の「鬼刀」始末はこの「鬼」、「鬼刀」の位置付けがイマイチ明瞭ではなく、不満が残った。
澤田の「真贋控帳」は現代でも人気の「お宝鑑定団」の古物鑑定士の話。
真贋ってどこまで信用できるのだろうか・・・というのは読後感と石坂問題で注目された鑑定団、
テレビで鑑定額が打ち出されるがどこまで信用できるのだろうか?

さて浅田次郎の「月のしずく」は再読。この「月のしずく」には泣いた。

現代の危うく浮き沈む経済=金に翻弄され一方は汗水たらしなが工場で働く職工と、銀座の高級クラブの
おねえちゃんとの偶然の出会い。

男の目にはまるで女神に見える若い女。
女の腕にはきらきら輝く腕時計がー
彼氏からもらったという。。
どうしてもこの腕時計を自分で買って彼女に贈りたかった職工は、友人などから金を借り集め銀座の「日本一の時計屋」
に向った。実はそれはコルムのアドミラルズ65万円、手の届かない額だった。

そして職工が手に入れたものはデスカウントショップで購入した6800円の時計。

ただただ真面目に生きてきた「蟻ん子(職工)」、一晩で何千万、何億という金を扱い高価なブランドで身を包んで
生きる好対照な人間群。しかし、元々は違いは一つもない哀しい存在なのだ。

次朗さんこれを書くのが実に巧い。

何を求めるのか ?!

2016年01月22日 09時04分30秒 | 読書


随分読書を続けている。文庫で週に3冊は読んでいる。

今のところ時代小説が多い。時々歴史小説だったり、現代の文学に戻ったりする。

病気療養をしている時、時間がたっぷりあるし、強度のあるスポーツはまだ無理なので、
読書が一番いいのだ

これから情報を仕入れるだけでは面白くないので、アウトプットも考えなければー

さてでは何を書くのか?

去年は地元阿蘇の明治初年の百姓一揆を書いた。それを小説に仕立てて・・・
小説はあまり書かないし、題材から少し無理があったのかもしれない。

結論は歴史的事実が判明してることなので結論をフィクションで盛り上げることができなし。

これはやはりノンフィクションで書いた方がいいのかもー

やはり人間を書かなければ・・・と思うのだが現実に住んでいる地域を近現代に視野を絞ると
書きにくいことがいろいろ出てくる。

じっくり考えて少し地域を広げてそこから去年と違う題材と人物を探して資料集めしようと
思っている。


続高田郁の『あい 永遠に在り』と葉室麟の『いのちなりけり』

2015年12月23日 10時09分35秒 | 読書


ブログ書き始めて何年になるのか?10年近くにはなるものと思う。

こんな老いぼれの雑感記録をお読みくださる方がいることに感謝申し上げたい。

パソコンをセブンに換えた途端に新しい技術に附いていけず写真も未だに「フ
ラッシュプレーヤー」を立ち上げることができず古い写真を使い回している。

これも新たにカメラを購入していろいろ風物を撮りまくっているのに、パソコ
ンに取り込むまではできたが、ブログまで届けることができない。

時代に取り残されて悲しい65歳の実態。
多くの人に読まれる条件は文章が少なく、きれいな写真が多い事だろう。

こういう要素が欠落しているので面白みがないかもしれないけど、ふるいアナ
ログスタイルをこのまま続けていくしかないので、

我慢してお付き合いください。



さて今日は雨が降っている

玄関に飾る松飾を作るために今日は知り合いに頼んで竹を取りに行く筈だった
けど、雨で取りやめ。

昨日の読書録少し書き足りなかったことがあるので、追加と新たに読み終えた
葉室の作品の感想を書く。

高田郁の作品「あい」は本当に傑作だ。題材も自分に合っているということも
ある。人情ものでしかも名前は日本医学史上で既知の関寛斎のことだったこと
もある。

こういう作品は映画に取りあげたり、テレビドラマ化することもいいのではな
いか。
医療は人間の命を支える仕事。メス1本、薬一包でも命は失われる。それほど
重い生業であるし、厳しい仕事だ。

医者はだからこそ給料が途方もなく高いし、尊敬もされる。しかし現実には
地域医療に医師がなりたがらない。無医村地区があるし、あってもレベルは
極端に低いと言わざるを得ない。

本当に医師の本分=患者の命と健康を守るという使命を何を差し置いても守
り貫いている医師がこの世にいるだろうか?

年収何千万をもらい、社会的ステータスが高い故に周りからチヤホヤされ、近
づく製薬関係者の袖の下に心を動揺させたり、看護婦についちょっかいかけた
りしている医者いないだろうか?金持ちだから高価な外車を乗り回し、目の前
に担当患者が病変が起きてても休みだから遊びを優先させている人いませんか?

関寛斎は違った。百年以上も前の話と切り捨てることができるだろうか?

貧しい人からは医療費を1銭も受け取らず代わりに金持ちから2倍3倍の金を
請求。これは佐藤泰然・緒方洪庵の教えであり、義父母や妻の生き方を見て、終世貫いた
スタイルだった。

医療で人を助ける、ただそのことだけで他を求めない。安定した地位も、財産
も・・・最後はすべての財産を北海道の開拓に注ぎこんで、夫婦無一物でその
地に果てる。

人間に対する底知れない愛、自利を捨て、他利に徹する生き方。

私も後どれだけ生きれるか知れないが、少しでもこの人の生き様をわが鏡とし
て生きていきたいと思う。

葉室麟はすきな作家の一人でたくさん読んできた。「いのちなりけり」は歴史
小説であり時代小説である。
舞台は佐賀藩の支藩小城。主人公は雨宮蔵人、「妻」咲弥(さくや)。
妻はその父が家中筆頭で七百三十石の家柄。夫となる蔵人よりも身分は上。

結ばれる筈のその夜に妻が夫に問いかけた言葉がある。
「あなたはこれこそご自身の心だと思われる和歌とはなんでしょうか。歌こそ
人間の心映えが分かるものです」

蔵人はその時答えられなかった。これをずっと引きずって政争に巻き込まれな
がらも、その歌を追い求めていく。

「あい」とは色合いが全然違うのだけれど、面白かった。緻密な時代考証と細
やかな筋立て。さすが葉室である。

最後に先の関寛斎のこと、濱口梧稜のこと司馬遼太郎はじめいろんな作家が書
いているらしい。先ずは本を探し求めよう。

日本には素晴らしい人間がいた

2015年12月22日 17時37分12秒 | 読書


今高田郁の『あい 永遠に在り』を読んでいる。後残すは20ページこの後、
風呂に浸かりながら読んでしまうだろう。

こんな感激した小説はほんとに久しぶりだ。

私はやり残していることとして、郷土における日本近世・近代の医学史を
書きたいという願いがある。

この小説を読む前は高田郁の人情江戸の話だろうと思っていた。ところが
読み始めてすぐ気付く。

これは一人の巨人の話で、しかも人間としての生き方の根本を教えわが実
人生で差し示す「処世訓」でもある。しかも江戸時代の蘭方医師である。

この人と結婚して死ぬまで同じ方向を向き生き方を変えずに一途に生きた
妻あいが主人公なのだが、小説には夫寛斎とこの人を終世支援し続けた
関口梧稜という豪商であり実は人を愛し、苦しんでいる人への支援を全精
力傾けてやり通す人格をもった人間であった。

この人が寛斎を精神面、経済面すなわち物心ともに終世支えていく。

篤志家とはよく聞く言葉だがこの三人はこの言葉で語れないもの凄い生き方を
貫いた。

参った、参った!

本を読み終えても暫くはその余韻から冷めたくないし、ずーっと浸っていたい。
そして関夫妻・関口についてもう少し調べてみたと今痛切に感じている。

読書録

2015年12月14日 12時02分42秒 | 読書


今日は素晴らしい蒼穹と雲海に浮かぶ阿蘇五岳を眺望することができて朝から気分
が良かった。

しかし、右脇下にできた「できもの」がすれて表面が膿んで痛くなっていて、先週
皮膚科に見てもらった方がいいだろうと掛かり医師に言われたので今日が予約日で
朝早くから家を出て病院へ行って来た。

専門医の見立ては汗腺からバイ菌が入って悪さをして炎症を起こしていたのだろう。
もう治りかけなので大丈夫と言われた。

いろいろ考え不安もあり、心配もしていたのだが   良かった

病気を持っているとどうしても弱気になって、ちょっとしたことでもくよくよ考え
悩んでしまう

反面、医師に大丈夫といわれると急に元気になってしまう。一喜一憂が患者の悲しい定めかー

良かったのは白血球の数値が正常範囲になっていたので安心もした。今日はいい日だ



読書録。

沢木冬吾の「償いの椅子」。これはもう3回目になるか・・・

1回目の感傷はなくなっているがやはりこの作家はエネルギッシュで、若いだけあって
押しが強く、しかしディテールは繊細な表現もできる作家だ。

大好きな故藤原伊織に共通するものを感じるのは私だけかー?

文学作品は読む度に(回数を重ねる)感動が増えてくるというのが理想だけど、そこま
ではいかなかった

池波正太郎の『さむらい劇場』はどちらかというと平凡などこにでもいそうな主人公平八郎
が周りの出会ういろんな人々によって刺激を受け影響を受けながら成長していく。

一番の友人が大泥棒なのだから、ストーリーが刺激的で面白い。600ページになんなんと
する長編だがぐんぐん読めた。流石大好きな正太郎様だ。

この後はもう一人の好きな作家藤沢周平の短編集を読み始めた。