おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

志水辰夫の『いまひとたびの』と重松清の『きみの友だち』

2012年06月30日 07時26分40秒 | 日記
表紙に二人の女子学生が歩いている。

一人は松葉杖をついて・・・

ふと手にした重松清の『きみの友だち』を読んでいる。

学校を舞台にした小説で書店で買うか、もう教職辞めて3年目、「もういいかっ!・・・」って内心の声があって止めようかどうしようかと瞬時躊躇ったけれど、これまで重松の作品裏切られたことがないので「読もう」って籠に入れた。

志水辰夫の短編集も同時に読んでいてこちらはいち早く読み終えていた。そしてこれも大人の情感を詩的にミステリー作家と思えないような繊細なタッチで描いた世界は「うーん」と唸らせた。あさわさわとなってる

こんな描写がある。

つの間にか日が暮れ、地軸の傾いたような夜を迎えた。雨の音にかき消されてしまいそうな静かな夜だった。(略)雨に叩かれているハクモクレンの葉がさわさわと鳴っている。(略)
手すりに寄りかかってハクモクレンの木を見上げていた。細かい葉脈のひとつひとつが下からの光を受けて克明に見えている。(略)池の水面でコウホネのつぼみが開きかけてる。そういえばアジサイもひと群れ咲いている。雨にもう夏の匂いがあった。空の闇と、艶やかにひろげられている木々の葉と、夜気の香り。(略)夜気と樹木のそよぎと自分の呼吸とが同一結ばれているようなすがすがしさで肺が満たされていた。

重松、読み始めて志水の短編と色合いが全く異なって、子どもの心を友情、喧嘩、孤立、いじめ、独り立ち=「自立」を細やかにそして実に分かり易く物語を展開させていく。

高校教師だった頃のことを教師として思い出すのではなく、自分の子ども時代のことを思いだしながら読み進めていく。

早稲田の教育学部国語科の出身という。早稲田の教育学部ではどんな授業カリキュラムになっているのだろう?私は鹿児島大学の教育学部中学社会科だったのだが、国立と私学の早稲田では同じ教育学部といっても学んだ内容は随分違うような気がする。

小学校で教師経験がないはずの重松がよく学校の内情を知っているなと感心する。もちろん自分の経験はあるのだから、その当時を思い出しながらということではあろうが・・・

交通事故で足を負傷しその後松葉杖が必要になった恵美、友達関係がそのためにねじれが生じ、自分の肉体的なハンデによってコンプレックスから次第にいじけて、友達から離れ、孤立していく。そして健常であったころ見向きもしなかった独りぼっちの虚弱児由香と友達になる。そして揺るがぬ友情、そして別れ・・・

恵美の弟ブンとライバルの「親友」モトの物語はサッカーや野球を中心に進んでいく。親友とは友達とはなにか?クラスの団結や友情とは「みんなのため」の「みんな」って本当の意味するところは?

後1章だけ読み残している。なんか読み終えるのがもったいない感じがしている

北九州北橋市長の「英断」

2012年06月28日 08時20分00秒 | 日記
難しい選択だった。

震災瓦礫の焼却処分受け入れについて、遠い北九州市が受け入れを決断したという。

これには市長の不退転の覚悟があったからこそできたことだろう。

反対意見も少なからず存在する。小さな子どもを持つ親、これから結婚して妊娠出産を考える若い女性達。・・・

しかし、私は思う。近代日本の震災・津波の被害死者の数で関東大震災の10万5千人、明治三陸地震津波の2万2千人に次いで東日本大震災の行方不明者を含めて2万629人というのは3番目になる。

マグニチュード9.0という驚異的なスケールをもった地震とそれに伴った津波。

海岸から10mを超える波が町を突然襲ってくる恐怖。そして地獄のような惨状。

家族を波に攫われ呆然と立ち尽くす老母、子どもを高台に運ぶ途中に車諸共流され行方知らずになった母子。

店を流行らせていたのに一瞬にしてすべてを流され、地震のことを考えると土地を去らざるを得ない被害者には何物も残されていないのだ。家の基礎さえ流されここに家があったことを証しだてるものがな荒涼たる町の跡。

避難所にいてもいつまた襲われるか分からない恐怖に怯える毎日を送っている被災者にとって1年経過した今の現実も3・11当時も少しも変わっていないのではないか!?

福島の現在はなお暗くて重い。人間とって「よかれ」と研究開発された原子力発電。エネルギー資源を持たない国にとってそれは「希望の星」でもあった。

全エネルギーの内約3割を占め、先端技術の最たるものとして安全を強調し電力会社や政府は安閑としていたと思う。チェルノブイリやスリースマイルの事故が起こっていたに拘らず・・・

さて、今回の石巻も大きな被害を出している。そこの瓦礫の処理だが、事前の放射能汚染の検査が出ていて大丈夫という結果が出ている。被害をその被害地だけに受けさせないで日本全体で「痛み」を共有することってできないものか?それってきれい事?

被災地を「技術立国たる日本」が生き延びるための「スケープゴート」にすることはできないと思うのだがー

そもそも技術とはリスクマネージを含めてすなわち安全対策をも含むアートでなければならない。利だけ考えて「無駄」を省けというのは自らの足元を自らの手で掘り崩していることになる。

ひとつ思うことがある。瓦礫のことだが、例えば海岸部は低平な場所、津波の危険がある。今回のような大規模地震では7,8m位の堤防では防げないことがわかった。地盤そのものを上げるために瓦礫を敷き詰めることはどうか。高台に町を形成するのなら谷間の場所の埋め立てに瓦礫を使用するというのはどうかー

なにしろ北橋市長の勇気ある英断に拍手を送ろう

世事の斜め読み

2012年06月27日 09時19分20秒 | 日記
また雨だ

現役から引退した老いた素浪人が世相を見ていて思うことを書いてみたいと思う。

まず昨日の国会。消費税の問題での民主党の内紛劇。国家の財政が破綻状態になっていることは周知の事実なのだから、収入をあげる努力をすることには異議はない。しかし、今回のアップは社会保障のためのに使うという。民主党がやった現行の社会保障政策、票取りのための「飴」をばら撒いたという感がなきにしもあらず。

税収アップよりも前に何よりも政治家の姿勢を見せて欲しかったのは「無駄を省け」ということ、そして政・官・財癒着構造を根底からぶっ壊して欲しいという国民の願望に少しも応えてもらっていないこと。「天下り」はどうなったの?議員定数を削ったりその「先生」方の報酬、公務員の給与の減額という自らの痛みを伴う政治判断は先延ばしー。これでは国民は納得できない

自分の政党内の合意形成よりも先に野党との提携を重んじた感じでなんか嫌らしい。

選挙になれば民主党に断じて勝ち目はないこれはだれでも想像するところ。だから政権の命を延ばせるだけ延ばそうとしている内閣には絶望する。

だからといいて次回選挙でだれにどの政党に投票すればいいのか?今回の消費税問題を考えると投票所に行くのは止めとこうかとも思ったり・・・

今回、あの小沢派のヤワラちゃんは反対票を投じていなかったみたいだけど危険でもしたんだろうかーわからんことは止めたらいいのに・・・

大リーグの松井のことだ。

やっと1軍に復帰したのだが、不振を続けている。たしか打率も1割台。もう後がないの思うのだがー体の調子が戻っていないのだろう。ホームランで華々しい再デビューを飾ったのだが、後がいけない。心配で心配で夜も8時間しか眠れないよ松井大好き。がんばって欲しいけどあんまり無理しないで帰ってきたらええで

AKBの左遷問題。あの子はなんか嫌な感じだった。九州を馬鹿にすんじゃなかぞー

さてさてー今重松清のこどもの世界=友情といじめと自立を描いた小説を読んでいるのだが、とても考えさせられる。よく子どもの心が精緻に描けるものだと感心する。今「学童保育」の指導員をしていて、ひとりの発達障害児をめぐって生じる軋轢に日々苦労しているのだが、とても参考になる。

この前村上春樹の初期の短編集を読んだけれど、これも気持ちがホンワカしてよかった。流石春樹。イエイ

墓参り

2012年06月25日 09時01分20秒 | 日記
昨日は母の命日。

大雨の警報発令中ではあったが、雨中県北玉名まで墓参りに行った。

いつもは高速で飛ばして益城ICから菊水ICまで25分。

菊水から30分で玉名に到着するのだが、昨日は激しい雨の中、高速は危険と「大人の」判断をして、一般道で菊池から山鹿を通って玉名に向かった。

菊池までは近道で30分ほど。しかしそこからが遠かった。

田圃は水浸し。道路まで冠水してる所はなかったものの、一級河川菊池川は河川敷の公園が水没しており濁った激しい流れは見ていても恐くなるほどだった。

途中旭志の道の駅に立ち寄り(朝からお茶を2杯飲んでいた所為で尿意に我慢できず・・・)そこで朝食を摂っているのにさらにカツサンドとから揚げを買って車中で食べる。

無事玉名に着いた。墓所は玉名市役所の真裏にある。不思議なことに雨が小雨になったかと思うととうとう上がった。カッパ、ゴム長靴など用意周到に準備していたけれど、墓掃除し、我が家の庭から用意してきた花を飾り、線香をあげ、ビールとお酒と果物を備えている間、雨が止んでいたのだから亡き父母のサムティングパワー恐るべし

帰りは山鹿の水辺プラザとういう道の駅に立ち寄った。ここの評判のバイキングを食べようと行ったのだが人の多いこと

並ぶのが苦手な私は買い物だけしてここを後にした。

菊池を走っていて見つけたいい感じの蕎麦屋に立ち寄って久しぶりにざる蕎麦を頂いた。これはなかなかの逸品だった。

帰りは阿蘇に直行。往復同じ道を走った。

墓所を出た途端にまた激しい雨になる

いつまで続くぞこの雨は

パソコンの修理で・・・

2012年06月21日 09時59分29秒 | 日記
先日、いつもお世話になっているパソコンの中古販売と修理の店に私の調子の悪いPCを持っていった。

現代社会における三種の神器といったら携帯とTVとパソコンだろうと思うけど、田舎暮らしを始めて素晴らしい自然環境とは別に不便な生活を強いられているので、「情報」だけは意識して遅れないようにと心掛けている。

特にPCの普及率といったら、恐らく家庭に1台とか携帯みたいに家族それぞれに所持している家庭もあるだろう。

我が家には妻用のデスクトップと私の書斎用のノート型PCの2台を使っている。

去年、妻のPCが落雷で壊れたのでこの店で中古を誂えて貰った。

この経営者はとても誠実で商売っ気が少なく、良心的に接してくれるからずっとここに相談している。

今回は動かないプリンターも一緒に持っていった。

PCを見せると彼の独壇場が始まった。中を見ながら詳しく説明してくれるのだが、チンプンカンプン、彼の何のことやら少しも了解していない私は問い掛けにシドロモドロ・・・

他人が聞いていたら笑止千万、お笑いのネタそのもの

昭和世代にとってPCの部品がみな英語で、PC関連用語がすべて英語というのがまずけしからん。

ドイツ語かロシア語なら誰かわかるだろうが・・・?

中国語のように漢字ばかり並べられても困ってしまうがー

ハードディスクだの内臓メモリーだの、「性外国語を使うんじゃない
なーんちゃって

何しろメモリとやらを4ギガに増設、これで「動きの遅い」状態は改善された。

以前私のPC立ち上げからネットに繋ぐまで、そしてこのブログのところまで到達するのに半日位掛かった・・・

もう早い!!

立ち上げからブログを書き上げるまでの所要時間は半分になった。

やはり「餅は餅屋」、機械は機械屋だ。プリンターも見てもらったけれど、私がインクジェットを交換する時に力一杯いれたので壊れたみたい。なんとか応急処置してくれたのでなんとか写るようになったけど、恐らく近い内に買い替えが必要になるだろう。
あーあ