
今アジア大会を楽しみに見ているが、感じることがある。
水泳の中国選手が日本国旗に不快感を抱いたとか、バドの会場で風が操作されるとか・・・?
スポーツ選手が世界一になると即特大の賞金をもうことができ大金持ちになる。
韓国のオリンピック金メダリストは会場の屋内プールの名前にもなっていた。まさに英雄だ。
キムヨナだってまるで超セレブの大スター。
青春のすべてを賭けて競技の練習に明け暮れて、国家の威信向上に全力を挙げて貢献したのだから、その努力に国民あげて報償を与えるのは当たり前だと考えるようになってきた。
こうしないと世界には勝てないのだから止むを得ない・・・という。
そうするとスポーツも選手の心に経済観念が入り込んでくる。
パフォーマンスを派手にやって目立とう。勝てなくても人気を得るために替わった姿をする・・・
甲子園の高校生選手の挙措を見ていてもその影響が出ている。優勝するとマウンドに選手達が集まって指を天に向けてジャンプを繰り返す。
大リーグの選手やオリンピックの西欧の優勝者がするパフォーマンスはクリスチャンであることから来ていると思われるジェスチャーがあると思うが、ほぼ無宗教国民の日本人がクリスチャンの真似をするのは如何なものか


アジア意の選手を見ていると流石にイスラム女子の選手は頭から顔を除いて全部隠しているし、タイ人は(仏様に)手を合わせる。
「イスラム国」の問題が世界の外交の大きな課題になっているが、解決の展望が見えてこない

宗教も原理主義に走ると社会から乖離してしまう。
逆に大衆迎合型の日本のように何でもありーでも困るけど。寺の住職が外車に乗って、テニスに興じ、駐車場経営や幼稚園まで併せ持つ経営者であったり、牧師神父が結婚式の仕事で稼ぎまくる姿もなんだかなあ?
競技を見ていて自国の応援に夢中になるのはいいが愛国が過ぎて排外的主義に陥らないように注意しなければー