今、学園の朝礼で退任の挨拶を終えたところ。この後、生徒の集会(終業式)で退任式があって、そこで最後に高校生に挨拶することになる。
退任式といっても、幼稚園の職務が20日の卒園式まで続くので、意外に淡々として職員に涙を見せることなく挨拶を終えた。
37年間、定年まで仕事をまっとうできましたことは皆様のお陰であると深く感謝しております。ありがとうございます。内心の思いは複雑で錯綜するものがあるのだが、これまでいろんな人の退任の挨拶を聞いてきた。怨み辛(つら)みを口にして辞めていった方を思い出すと最後は綺麗にしたいと思ってきた。飛び立つ鳥はその跡を濁しちゃいけないのだ。うん、これでいい。
さあこれから、高校生に話をする。
・・・今、高校体育館であった式を終えて園に帰ってきた。5人の先生が退職されるが、定年退職は二人。挨拶は次のようなことを話した。
37年前、鹿児島大学を卒業したばかりの青二才の私を招いてくださったのは、当時の校長先生だった故H先生でした。爾来社会科の教師として教壇に立ってきました。社会科の教師として日本史を教えるだけではなく(机上の学問)3つのテーマをもって取り組んできました。平和・環境・差別の視点。
クラブ活動もバスケットを35年指導を続けました。最後に皆さんにお伝えしたことがあります。
本学園は教育の外的環境が劣弱であります。この狭い体育館、老朽化した校舎、狭い校地など、生徒には我慢を強いています。しかし、教育の本質にとって、教育の外的環境というものは絶対ではないということ。
この学校を己が学びの場と選び(一所と定め)、ここで学び、育っていこうとする生徒と生徒の中にある限りない能力を見出し、鍛え、練磨しようとする教師の熱い情熱がある限り、そして側面からそれを支える保護者がいるならば教育は不滅であり、発展していく。自分の力を信じて、頑張って下さい。
お世話になりました。学校の益々の発展をお祈りします。