おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

『遠い渚』と『長崎ぶらぶら節』

2010年02月26日 08時29分37秒 | 日記
西村寿行の『遠い渚』はおもしろかった。西村のバイオレンスとサスペンスたっぷりであり、息も吐けぬほど転転と物語が展開していく。海上保安庁の全存在をかけて主人公関守充介の救助をするクライマックス。切迫感がある。筆力があるから読者にひしひしとそれが伝わってくる。
この小説には、公安関係の組織として警察庁機構、陸幕二部別室、内閣調査室、海上保安庁特別警備官と出てくる。そしてその権力の及ぶ範囲で軋轢が生じる。警察は手嫌悪及ぶ範囲すべて、海上保安庁は海の上すべて。但し、犯人が陸上に上がったら警察の協力を求めざるを得ない。
国境を越えてスパイを迎えたり、逆に送り込んだりする、それに暴力団が絡み麻薬の密輸が行われる。その現場を偶々夜釣りをしていて見てしまった関守の甥が殺されることから物語が始まる。
西村は亡くなってしまったが、やはり偉大な作家だった。読者に読み進ませていくスピードがすごい。セックスの描写もまさにバイオレンスで、これがアクセントになっている。(もちろん男の読者にとってだがー)
作中でよく主人公がウイスキーを飲む場面が出てくる。実生活でもバーボンをボトル半分から1本飲んでいたという。

なかにし礼「長崎ぶらぶら節」は直木賞をとっただけのことはある。長崎の芸者愛八の生涯なのだが、古謡発掘にかけた情熱とその中で埋もれていた「長崎ぶらぶら節」を発掘してレコーディングしていくまでの歩み。純情で芸者でありながら素朴で可憐さを最後まで失わなかった愛八。自分の分身と見ていたのか、若いお雪を可愛がる。お雪が結核に罹って、置屋の中で打ち捨てられていたのを見つけた愛八は形振り構わず助けようと狂奔する。
中西は随分フィールドワークしてこの話見つけたのだろう。恐らく実話に基づいているのだろう。感動した。


因果応報かー

2010年02月26日 08時20分28秒 | 日記
体調が最悪状態だ。
一昨日、病院に行ったのは喘息症状で診察してもらったのだが、帰ってフキノトウの天ぷらとすき焼きを存分に食べた。滅多に牛肉を食べることってないので、この日は餓鬼みたいに食べた。その前に春の象徴フキノトウの天ぷらを5,6個食べていた。どうも食べ過ぎだったのだろう。昨日のお昼辺りからお腹の具合が悪くなった。ムカムカする。昼食後吐きたくなったが、我慢。どうも体がしんどいので帰ってからずっと寝ていた。またぞろ咳も出始め、腹は痛いし、咳は止まらないし・・・

夕食のカレイの煮付けを食べただけで、酒も飲む気色にならず寝た。食べないでお腹を休ませたの痛みは序序に和らいで来たけれど、夜中何度も自分の咳で起こされた。昨晩は暑かった。長袖の下着と股引パジャマを着て寝たが、眼が覚めると汗を掻いてそれが体を冷やして咳を誘発しているみたいで、3回もシャツとパジャマを着替えた。

途中で何度も起きているのでかえって朝寝坊をしてしまった。お粥と味噌汁で出勤。今日一日じっと体を休めておこうと思う。

残念ながら、還暦を迎えた今、体力も落ちているし内臓や脳の機能も低下している。昔の感覚で暴飲暴食するとてき面に体が反応する。節制なのだ、この年頃に必要なのはー。
たしかに、すき焼きはうまかった!けれどその代償は、残していったものは余りにも大きいししんどい。あーっ、胃が痛くなった。

安浦刑事の死

2010年02月24日 08時35分38秒 | 日記
昨日、「踊る、さんま御殿」を見ていたら、まるで○○丸出しの天然キャラレスラーの風香という女が出ていて、珍妙な話をしていた。芸能界特有の作られたキャラ=虚像なのか本物なのかわからないが、ちょっと苛つくような発言もあった。社会の常識的なことをほとんど何も知らないで大人になっているのだ。世間一般の知識は普通に社会生活しておれば、高等教育を学ばなくとも身につく筈なのだが、この人にはそれがない。おそらく新聞雑誌だって読んだことがないんだろう無智文盲といっても過言ではない。マスコミ、そんなアホキャラばかり作ってどうするんだろう??日本にはまともな人間はいないと諸外国から評されているんじゃないか。ギャグが軽薄すぎて、まるでアホらしくなって来る。

流行の詐欺事件に何度も引っかかって金を搾り取られたという。そして本人は悔しいとか悲しいとかの感慨を余り感じさせない「アッケラカーン」としている。最後に言った、「私のお父さんはさんまさんの母校の校長だったのよ」とさー。さんま、絶句。

ところで、その話の中で、詐欺にあって困っていた時に、藤田まことが突如登場して、詐欺の犯人を捕まえたというエピソードを披露。藤田まことがまだ元気だった頃の収録みたいだ。藤田の指示で詐欺犯をホテルに呼び出した風香、今か今かと待っていると颯爽と彼が現れて犯人を羽交締めにして捕まえたという。「俺は山手中央署の安浦だ」といって・・・収録の途中でやってきたらしい。しかし、なんて格好いいこと!!

先日、追悼番組として「はぐれ刑事純情派」が放映されたら視聴率20%を超えたという。流石、藤田まことのドラマ人気があったのだ。彼の出演するものは人情ドラマでこころが温まるから好きだった。やっぱりいい人から召されるのだな。世を憚からないで生きている厚顔無恥の破廉恥漢いっぱいいるのに!!

こころがホンワカするちょっといい話

2010年02月23日 09時14分07秒 | 日記
昨日、平成22年2月22日を記念して?妻と飲みに出た。街までは出ないで近場でと考えたところ、ウォーキングコースにある「れんこん」という居酒屋に行くことにした。この日は気合で職場に歩いて往復しているので、歩かないでバスで行こうと近くの停留所から市営バスに乗った。

10分ほど送れてやってきた車に乗り込んだ。運転席の傍に若い制服制帽姿の男性が立っている。どうも実習(見習い)みたいだ。メガネを掛けて無骨で素朴な感じの青年、緊張している。ところが指導している運転手の方が今まで会った事のないような人だった。
この頃2人掛けの椅子が少なくなっている。私がすぐ中央部の椅子に腰掛けると、妻は通路を挟んだ反対側の席に着こうとした。すると運転手、「その席は車椅子用に作ってあって、いつでも取り外せるように座席が薄く、座るとすぐお尻が痛くなりますよ。椅子はご主人の前の席がふわふわで居心地満点ですよ」とマイクで話しかけてきた。他にだれも客がいなかったからかもしれない、実習生を意識して?・・・それから、運転手さんとの会話が始まった。
「だんだん春らしくなってきましたね」
「そうですね、心が弾むような気持ちになりますね」
「○○に行きたいんですけど、どこで降りたらいいでしょうか?」
「南熊本駅の手前の停留所が言いと思いますよ」
その間にも若い実習生に指導もしている。停留所が近づいた時、後ろからお客さんが走って来ている様な時はその方を停留所まで走らせないで、少しくらい前に停車して乗せてあげてもいいんだよ
「はい」
へえーっ、こんな運転手さんもいるんだ。声も優しいし、何だかこころがホンワカとしてきた。短い区間だった。もう到着だ。
「ありがとうございました。いままでこんな気持ちのいいバスに乗ったことはありません。頑張ってください」他にもお客さんが乗り込んできてたけれど、このような運転手さんは心底応援する。がんばれ!!若い青年もその運転手さんに見習って温かな心をもった仕事人になって欲しいと思った。

さて、「れんこん」。若い人が元気よく迎え、サービスしてくれる。掘り炬燵の席に案内されたが,タバコの煙が漂って嫌な感じがしたので、カウンターに移動した。どこでもカウンターが一番だ。カウンターの内と外で会話が楽しめる。
料理も美味かった。生牡蠣は特に絶品だった。店名になっている「れんこん」を素材にした辛子レンコンを頼んだけれど、これはダメだった。辛子味噌はよかったもののレンコンそのものがシャキシャキ感がなくてぬめっとして歯ざわりがよくなかった。
話しているとこんなことがわかった。この店は「ミシュランの星いくつという評価査定」ではないけど、全国的なコンテストに出ていて高い評価を得ているそうだ。審査員がいつ客として来店するかわからないからスタッフは皆緊張しているという。「日本一」を目指しているという。確かに中心部から離れた場所で客がいつも多いというのは実力があることを証明している。この辺りの店、軒並み1年くらいで代替わりしている難しい場所。
客との応答も無難で何の問題もなかった。目の前で包丁を捌いてくれていたM君、帰る時に他のお客の車の誘導をしたいたので会えなかった。女の子に「Mさんによろしくいってね」と妻がいった。そして歩き始めたとき後ろから彼が追っかけて来てくれて「ありがとうございました。今度来られたときには美味しい辛子レンコンをお出ししますからー」と頭を下げた。
「楽しく、食事が出来ました。また来ます。」と握手をして別れた。
今日は一日気持ちのいい日だった。ただ、あまり外部評価を気にすることないんじゃなか、評価は審査員が決めることではなくて、お客さんが決めること。「箔」をつけようとするオーナーの意気込みかもしれないが、地道にお客さんを楽しませ、和ませ、そして美味しい料理を提供すればそれでいいんじゃないだろうか。変に意識して、「このお客さん、もしかして審査員??」これでサービスが変わったりすることはないのだろうが、「人の感情」はそういうものだ。



シベリア抑留の悲惨ー『東京ダモイ』を読んで

2010年02月22日 11時04分20秒 | 日記
『東京ダモイ』鏑木蓮を読んだ。シベリア抑留者の話なのだが、推理小説であるものの、俳句が重い意味を持っている。60年前のラーゲリー内で起こった殺人事件を当時収容されていた日本人捕虜の唯一の楽しみといっても過言ではなっただろう俳句を詠むこと。句会を開くこと。そして当時詠まれた句から事件を読み解いていく。

殺人は捕虜であったが階級的に上位にいた中尉がある日、首を刎ねられて殺される。極寒の中、しかも収容所内、武器や刃物が持たされることはない。証拠になるような道具(調理用包丁、のこぎりなど)にも血痕がない。中尉は一刀のもとに首を切られていた。どうして???

これを解明していくのだが、殺人に使った道具はゲートルであった。ゲートルを濡らしてマイナス4,50度になる外気に晒すと硬く凍って刃物みたいになる。これを研いで刀にして首を刎ねたというのだ。しかも一刀のもとに切ってしまう。
どうもこれは納得できない。たった一刀で人間の首を切り離すということが可能だろうか?!1960年生まれの鏑木、10歳年下だが、日本はかれが生まれた頃はもう「戦後」ではなくなっていた。
戦後4年と半年後に生まれた私の育った時代、朝鮮から帰還した両親特に親父の兵隊時代の軍備品がいろいろあった。たしかその中にゲートルもあったように記憶している。凍らせて硬くなるのは理解できるけど、肉=首には固い頚骨があるを一振りで切断できるだろうか。いくら居合い道に長けている人間であるとはいえ、岡田以蔵、田中新兵衛の時代ではない。

しかし、俳句というものはすごい。5・7・5の17文字に世界を表現する。短い言葉に深い深い意味が広がっている。冗長な言葉を羅列するのではなくて、百万言の言葉から選び出して、読み手にその裏を考えさせる。文学者はこういう韻文もしっかり勉強しておく必要があるんだと考えさせられた。鏑木は俳句に着目したのは良かった。

そして戦争での敗戦と捕虜、強制収用所の生活の実態は悲惨だ。ソ連=シベリアに57万人連行され、うち公式に5.3万人が死亡。アメリカの研究者ニンモによると25万4千人の死亡と9万人の行方不明者があったという。前にもドキュメントを読んだが、次第に生き残りの証言者がいなくなっているので、歴史が暗い闇の中に消えようとしている。