おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

この景観は無上の喜び

2011年10月31日 07時24分02秒 | 日記
雨が続いていた。

しとしと降り続く雨にもううんざり

今朝は一転、快晴で6時リビングのカーテンを開けて外を見ると、阿蘇に雲海。頂上付近にも雲が棚引いていて、二重の雲になっている。

雲はその日の気象条件によっていろんな姿を現す。

気温、湿度、風・・・今書斎の窓から見ると、夜峰山の頂上付近に雲が薄く這い登っている。山の上から下の方へと雲が少しずつ斜面を嘗めるように下ってきた。



写真は庭に下りて東側の角から携帯で撮ったもの。こういう景色に出会うのはそう度々のことではない。

生きることの意味を難しく思い悩むこともあるのだが、この眺望は一瞬の至福を齎す。

やはり自然は大いなるものだ。サムシングパワーを得て、少し元気になったかなー

夕方、小雨の中で、仕入れたタマネギの苗400本を妻を協力しながら植えてしまった。

晩生、サラ玉、朱玉の3種類。あと早生を100本、購入できれば今年はOK



無知からのスタート、そして4年目。少しずつ成功率が高まってきた。

今年は念願のスイカも5個生ったし、感激したのは生姜、そしてコンニャクイモも1年目にしては大きかった。里芋も良かったし、自慢は山芋。

畝を作ることさえ知らなかった、ぼんぼんの私が今指の爪の間を真っ黒にしながら頑張っている。

農作は孤独な作業だが命との対話でもある。そこには悲喜交々があるのだ。strong>

いのちの一回性と芸術の永遠性

2011年10月30日 09時19分48秒 | 日記
まだ雨が続いている。

雨といっても小糠雨で、激しくないので畑の作物達には恵みの雨だろう。

さて晴耕雨読だ。

昨日は「下田城ふれあい温泉駅」の風呂に入りに行った。

ここは南阿蘇鉄道の駅舎に温泉が併設されている。最近はここによく来る。お湯の質が古い歴史を有する垂玉、地獄温泉の泉源と同じらしくとても体にいいみたい。

300円を払って、湯へ。狭い風呂で、お客も少なくいつも一人か多くて二人、「おはようございます」と挨拶を交わして「いざ

もちろん本持参だ。今藤原伊織と読み始めた藤沢歴史小説を一冊。

両手の肘を電気に当てたりしながら、ゆっくり湯船に浸かり本を読む。

至福の時

さて藤原の本の中でファン・ゴッホの話が出てきた。どんな美術音痴だと言ってもゴッホくらいは知っている

1854年3月生、1890年7月にパリで自殺したという。日本が日米和親条約を結んで鎖国から開国へと転換した年に生まれ、大日本帝国憲法発布の翌年に亡くなっている。

1888年に南仏アルルの地で親友ゴーガンがやって来る。そして諍い。ゴッホは耳朶をカミソリで切り落とすという事件をひき起こす。

その後、89年5月自ら精神病院に入って、翌年に自殺。

私が注目するのはの生前多くの作品を書いていたに関わらず、売れたのはたったの一枚だったということ

作品はその後評価が鰻上り。「アイリス」の油彩が72億、「医者ガシュの肖像」が125億(1990年当時)円という。

画家の死後に作品の価値が認められるということは他にも例があるのだろうが、なんと寂しく悲しいことだろう

そして芸術の価値は作った本人を飛び越えて永遠性を獲得したことになる。本望といえば言えるのだろうが・・・

最近読んだ乃南アサの「火のみち」では陶芸の道で、中国古代の汝窯(じょよう)のことが出てきた。その「雨過天青(うかてんせい)」のどこまでも澄んだ天空の青色の焼物に魂を奪われた次郎がこれまでの既成概念をすべて粉々に打ち壊して、その再現に挑む。

これも時を越えた芸術の価値といえよう。

価値って抽象だし、唯物論的には単なる色を塗られた一枚の紙切れだし、土を捏ねて焼いた器に過ぎぬのかもしれない。
けれどもそこに人間は「美」という芸術的価値を認めてきた。

文学作品だって、書道だって、木彫だって同じだろう。私の何か残せないだろうか・・・

この道に入って、ある程度の作品を創ったとしても、きっと私は売って金に換えて(売れれば)酒を飲んでることだろう
情けない


乃南アサと辺見庸と絲山秋子を読んだ

2011年10月29日 07時13分58秒 | 日記
今日は寒くはないが、曇っていて一日天気が良くないようだ。

晴耕雨読。

外に出られない日には、読書に限る。「読書の秋」って誰が言い出したのだろう?いつだって本は読めるのに・・・

昨日は絲山秋子の「袋小路の男」(講談社)と辺見庸の「永遠の不服従のために」(講談社部文庫)、乃南アサの「火のみち」(同)を読了。

絲山の「袋小路のー」は川端康成文学賞を受賞したという作品だが、「袋小路のー」他小編3作は前回読んだ「海の仙人」のどこかホンワカする気持ちは味わえなかった。

3作中では受賞した「袋小路の男」がおもしろかった。設定が奇抜で、こういう「愛」が珍妙或いは異常と言えないような時代になっているのだろう。最近TVで白昼堂々と「セックスレス夫婦や恋人関係」とか特集しているし、NHKの「朝いち」で特集で放送した時にはすぐチャンネルを切り替えたが・・・

「小田切孝の言い分」は付け足しで「アーリオ オーリオ」は駄作と思う。

あのファンタジー(海の仙人)でこの人のファンになって、どーんと打ち込もうとしていただけにがっかり

乃南アサの「火のみち」(上・下)は長編だが、おもしろかった。若い頃殺人を犯して10年服役していた主人公が刑務所で出合った陶芸の道に進んでいく物語だ。

後半には偶々デパートの特別催しで見た中国の古陶磁に魂を抜き取られたようになって、その青磁・「汝窯」にこれまでの自分の作風を捨て、「再現」に夢中になっていくというもの。

読みながら、苦労の果てに絶対不可能と思われた「汝窯」の青磁を再現して終わるのか・・・と期待したが、乃南はリアリティーを貫いた。私なら前半、陶芸の世界で師匠の庇護の下、作品展で認められるところまでで、ディ・エンドとするのだが、そうなると陳腐になるのかもしれない。

辺見はこれまでにも何作も読んできたが流石芥川賞を受賞しただけはあると思うし、その感受性と思考、そして決して妥協を自分に許さない厳しい生き方と深い表現力、好きな作家というよりも尊敬できる「男」だ。

今日は畑仕事ができないだろう

読み始めた再読の藤原の「ひまわりの祝祭」と何を選ぼうかな?読む本を選ぶ時って一つの至福だよな・・・

芋の収穫と保存

2011年10月28日 07時27分34秒 | 日記
夜中にしっとり雨が降ったのだろう。地面が濡れている。

急に寒くなって、少し風邪気味だし防寒対策にテーブルから掘りコタツにチェンジした。

ところが、今朝は昨日より5度も温かい。

物事は人事と同じすべては一直線には進まない、行きつ戻りつしながらいつの間にか変化していくのだ。

さて、私の畑は里芋や山芋、ジャガイモなどイモ類の栽培に適しているらしい。もう霜の時期が近付いているようなので、昨日は急いで里芋を掘った。よく生っている。

畝一列の白芋、10株位で全部で実が200個くらいはあるだろう。すぐには食べきれない。一冬持たさなければならない。
なにしろ自給自足を生活の柱としているのだから・・・冬は葉っぱものが少ないし、いろんな芋類を食べなきゃあ・・

すでに保存用の穴を畑の縁に掘っている。ただこれに保存するだけではだめ

去年は藁を厚めに敷いて、さらに芋の上に厚く被せて土で被った。

昨冬の寒さの中でもこれで保存は成功した。

今年は1mくらいの穴の底に竹を縦に二つ割して長さを調節して格子状に敷き詰めた。


昨夕お向かいのHさんと奥さんと3人で近所にある林から了解を得てスギの葉とヒノキの葉をたくさん貰って来た。

これを厚く敷き、収穫した芋をカブを上下逆にして丁寧に置いて、隙間には籾殻を入れ(これも昨日Hさんと農家に貰いに行った)また上に杉の葉を敷き、仮に薄く土を被せた(まだ一列紅芋がある)。これで保存はオッケイ

今里芋の味噌汁を食べているのだが実に美味いものだ。

今日は残りの紅いもを掘る。比べると紅が美味い。

寒冷地では保存に気を使う。放って置くと凍ってすぐ腐ってしまうのだ。

日曜日に予約しているタマネギの苗300本が手に入る。買ったら弱らないようにすぐ植えなければならない。

だから低い畝を作ってマルチを張って用意を終えている。準備万端だ、さあ来い

十分耕したし、元肥もしっかり入れた。大玉を作るどーっ

去年は700植えてできたタマネギは赤ちゃんのコブシ台。一口サイズで便利と妻は本気なのか揶揄なのかわからぬが慰めてくれるが・・・

畑には今、チンゲン菜、春菊、ホウレン草、大根、カブ、キャベツ、白菜、カリフラワーなど・・・深ねぎは植えたばかり。

キャベツは人間用か青虫のために作っているのかわからないほど、虫喰われでレース状

白菜は第二段がやっと巻き始めた。こっちは虫喰われは大丈夫みたいだ、今のところ・・・

手作りこんにゃく

2011年10月27日 07時39分26秒 | 日記
昨日は雲ひとつない「日本晴れ」、こんにゃくを作る絶好の日和だった・・・?

高森の草部(くさかべ)という人里離れた山奥にある田舎の民宿「さくらそう」のおかみさんがこんにゃく作りを教えてくれるというので、二日酔いの頭を拳で叩きながら、現地に向かった。運転はお向かいのHさん。ランドクルーザーを持っている。

ここには夏に一度お邪魔をしたことがあるのだが、悪路が続く曲がりくねった細い山道を登っていく。

ポツンと一軒山を切り開いて宅地とした民宿「さくらそう」が建っている。

斜面に作られているので畑は一段下にあるし、手つくり露天風呂は平屋の母屋から一段上がったところ。

崖を降りていくと山女の養殖場と有料釣り場がある。

ここには竈がある。台所ですでにコンニャクイモを小さく切って、調理するばかりになっていた。

女性達がその芋を湯がいて、さらにミキサーにかける。

私達旦那連は竈の火焚き。かまどは昔我が家にも在ったし覚えている。すぐ火を起こすことができた。


ミキサーで捏ねたものを今度は手で丸めて薄べったいお餅状にしていく。この時、「あく」をつけて表面を滑滑(すべすべ)にする。

竈で沸かした大鍋でこれを50分かけて、湯掻く。そしてできたものが「こんにゃく」だ。

これだ!!

昼食は仲間のKさんのご主人が調理をしてくれた。

昼食のお膳にはもちろん作ったばかりのこんにゃくを刺身にして皿に盛ってある。

やっぱり、自分で作ったもの、そして出来立てのこんにゃくの味は格別だった。

あんまり味はないものとばかり思っていたのだが、どっこい!美味いのだこれが

来月は豆腐作りをおかみさんにリクエストした。