おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

人生8掛け論

2010年05月31日 07時06分35秒 | 日記
男79歳、女86歳これが日本の平均寿命。男子がアイスランドに次ぎ世界2位(スイス、香港が上回るともいわれる)、女子が世界1位。長寿国である。
入院中、この「トシ」について考えさせられた。入った部屋は4人部屋。眼科なのでみんなどこかに目の疾病を抱えている。隣のAさんは角刈りのいなせな方。少し腰が曲がっておられる。
向こうのベッドにはBさんが1日遅れで入院された。こな方は矍鑠とされているし、声も張りがあり、背筋がぴんと伸びて姿勢がいい。60台の半ばから後半位かー。窓際のCさん、お洒落な方で、病院の病衣は着ないで持参のパジャマにカーデガン。髪を後ろで束ねて結んでいる。「少し危ない人」?最初はあまり言葉を交わすことがなかった。すべて想像。

入院の翌朝、ベッドを仕切るカーテンを開けて「おはようございます」と元気よく声をかけた。みんな高齢だから早起きで、5時半頃になるとごそごそ音がし始める。もちろん私もこの時間が「お目覚め」タイム。
ここから顔を洗ったりして身の回りを整えると、心静かに朝食が運ばれてくるのを待つばかり。この時間帯に会話が始まった。

まず、年齢から。Aさん、「私は82になります。昭和2年」ときた。もうびっくりだ。さらにBさん、「私は昭和4年ですよ」。というとちょうど80か!「えーっ」。Cさん、「私は83です」。「私は今年還暦で、60になりました」というと「若いですなあー」と口を揃える。
Aさんは軽い狭心症をもっているといわれたが、Bさんはなんにも持病というのはないという。Cさんは糖尿病で後遺症としての眼科の病気で何度か入院手術されているという。

「とし」はすなわち時間の経過は普遍的なもの、確実なものでだれの身の上にも、時間は平等に大河の流れの如し。これだけは避けられない。この先に「死」が存在するのだ。
しかし、こうして見ると時間も不平等だなと感じてしまう。
60の私は満身創痍。頭のてっぺんからつま先まで病気を挙げたら限(きり)がない。上から言うと眼病が網膜裂肛、ぶどう膜炎に白内障。副鼻くう炎もある。お腹の中に入るとよりどりみどりー。
胃には胃潰瘍、腸はポリープ。それに通風があり、狭心症。初春には喘息まで指摘された。出口も先年手術している。皮膚病でも中毒症からできものでこの大学病院でお世話になった。変な色、形状のできものができたので近くの皮膚科医に掛かると顔色を変えて、紹介状を書くからすぐ大学病院に行きなさいといわれ、直行。病院で肩と顔の頬の二つの黒子のようなできもののようなものを診察した時、先生の顔色も変わった。すぐバイオプシーをして精密検査をしましょう。1週間後に来てください。この1週間が恐怖だった。病院での様子からどうも黒皮腫=メラノーマを疑っているらしい。不安な1週間が過ぎた。診察室に入ると、医師は偉そうな教授に代わっていて、後ろに若い医師を何人も従えていた。緊張の極点。そして口を開いた。これは黒子とおできが重なってできたものでメラコーマではありません。「イエーイ」と心中で快哉をあげた。
腰も腰痛=椎間板ヘルニアでの入院歴あり。そして、2年前のアキレス腱断裂。
自虐ネタは限りがないのだ。
今飲んでいる内服剤は心臓(3種の錠剤)と通風(2種)と胃(1包)。目薬が3種。先輩達にはこんなこと恥ずかしくて言えない。


Bさんがいった。「人生8掛けですからー」。はじめこの意味がわからなかった。よーく聞いてみると最近、実年齢と肉体年齢の関係を8掛けが相応ということらしい。現在の実年齢が80歳なら、心身の年齢は80×0.8=64歳!100歳で80歳。そうか、60なら48歳か。よしよし、まだアラフォーか。まだいけるぞ
婦長が入ってきてこの話しに加わった。「実は眼科に先日104歳の男性が入院されてきたのよ。そして新聞が読めないのでどうにかして欲しい」といわれ、白内障の手術をされた。目以外にはなんの疾患もなかったのよ。毎日きちんと新聞を読んで、国内政治から国際情勢、社会の趨勢まで把握されている方だった。そうか8賭けで83か、さもありなん!

今日から年齢48歳でいこうみたいな

月が二つある不思議な世界

2010年05月30日 07時13分01秒 | 日記
素晴らしい朝日が書斎の出窓から差し込んでいる。

昨日、昼前に退院して、南阿蘇に帰った。気になることがあって、家に入らずに、近所の友人ところに顔を出すことにした。今回、私は誰にも秘密に入院した。5泊6日の入院で家を長く空けることになったので、この方が不在にしている私を「何かあったのではないか?」と案じて、電話をくれたり、メールで確かめたりしてくれていた。有難いことだけれど、今回は白内障手術という短時間で安全なものであり、前もって教えれば必ず見舞いに来られるのがわかっていたので、心苦しい思いはしたけれど嘘をついていた。市内の家に用があって泊まりに言っているとー。
心配されているので先ずは顔を見せなければならない。やはり「急病で入院しているのではないかと」心配されていた。「ごめんなさい」と素直に頭を下げた。この方は本当に義理堅い方で、とても信頼しているのだ。                         

さて入院して、他にすることがないからと本を7,8冊抱えていった。そのうち3冊を5日の間に読み上げた。読後感を少し書いておこうと思う。

「1Q84 第3巻」。面白かった。最後までぐいぐい引きつけたまま離さない村上の筆力は流石だ。決して重くない。どちらかというとタッチは軽妙。1行1行苦しみながら読み進めるような作品ではない。
昔読んだ埴谷雄高の「死霊」を思い出す。苦しみもがきながら読んだものだ。
閑話休題。
「BーOFF」の顧客であるが、五木の本の中にその経営戦略について書かれていた。売れない本はすぐ見切りをつけて「105円」の値札を附けるそうで、「死霊」も今では売れない本になってしまい、「105円」コーナーに出ていたとかー。なんという時代だろう!?

村上のこの本、ベースにはオウムがある。その教祖のことが描かれているのだが、作中ではいわば超能力者。決して世間的な常識で断罪していない。
主人公は天吾と青豆という奇妙な名前の二人の男女。形而上的な意味はどこにあるのか、未だによくわからない。死(父親の看取り)や宗教(オウムを思わせる教団さきがけや青豆の両親が属していた「証人会」という宗教組織)が書かれているのだが、それを表現としてはそんない深くは掘り下げていかない。だからすーっと読んでいける。

私は流行の速読をしない。必ず1行1行、1語1語丹念に読んでいくようにしている。書くものにとって言葉は大袈裟に言うと命をかけて紡ぎだしていると思うからー。

もっとよく考察していきたいと思うが、今言えるのは、「面白い」と感じたのは、ファンタジックで、現代的なセックス(天吾が10歳年上の人妻との不倫、青豆の本能的な欲望に任せた行きずりの性、レズビアン)が描かれているのだが、本質は純愛の二人。その恋が最後に成就する。これは純愛小説といってもいいのではないかー。「読みが浅いなあ」と非難されそうだが・・・
そして、二つある月の世界(「猫の国」)への旅路。冒険旅行小説ともいえよう。わくわくしながら読んだミハエル・エンデの「はてしない物語」を髣髴させる。

パッシバ、レシバ、マザ、ドゥタの象徴するものとは何なのか。教祖というのはパッシバでありレシバでもあるはず。宗教者(宗教学者ではなく)とは神(仏)の声を聞き、大衆に語る「語り部」でもあるので、宗教とは何かを表現しているのか、オウムに通じる何かがあるのか、まだわからない。
二つの世界については、なるほど私達の日常の世界の一つ向こうには別の世界が存在しているのかもしれない。もしかしたら時間を起点にして今住んでいる世界と過去の1分前、1時間前、1年前の世界が逆に1分後1時間後1年後、100年後の世界があるのかもしれない。
どうも第4巻が続くのではないかとも思うがー。

吉村昭の「日本医家伝」は2回目。近代の西洋医学者達の伝記。これも古本で買ったものだが、故吉村の直筆のサインがある。

五木寛之の「知の休日」は確かに頭休めの憩いの本だった。

第6病棟10階15号室

2010年05月29日 14時19分37秒 | 日記
24日の月曜日、大学病院に入院した。6病棟10階15号室。これが私の病室である。この病棟は古い建物で今年中に新しいビルに移転することが決まっているらしい。2年前、防腐剤の中毒症で皮膚科に緊急入院した時は西病棟という新しいビルだった。ここは12階建てではあるが、作りが古くどこか薄汚れている。4人部屋で、ベッドは一つ空いていた。二人がこの入院。もう一人の方も水曜日に手術を受けるというから、私と同じ日程。
1日目は、2種類の検査。血液検査と心臓の心電図。これだけー。
2日目は明日に備えて風呂に入ってよく磨いとくようにとー。
3日目、ついにまな板の鯉になる。時間は11時。朝からこれまでと違う点眼剤。車椅子に乗せられていざ、手術室へ。これが遠い。手術室はなにしろ広い。いくつ手術室があるのだろう・・・病棟の担当看護師から手術室の担当看護婦へ身柄を渡される。もう見ただけでカッコウが違う。いかにもここは命を預かるところよ、あなたの命、この手に預かったわよ!!と言ってる感じ。緊張する。手術室は心臓をやった時のK中央病院と似ている。狭い手術台に乗せられる。手はお腹の上に、右手には点滴の針。動かないようにしっかり固定される。まさに俎板の鯉だ。
そういえば、この点滴の針がなかなか血管に入らずに何度も何度も縛っては解き、叩いてはこすり、右手から左に、二の腕から手首にあちこち針を刺そうとするが血管が沈んでいて入らない。いつものことだが、これが痛いのだ。そして、看護師は高校時代この大学から実習で2週間預かった学生であった。「いいよ、臨床の腕を上げるために協力するよ」と弱音は吐かなかったが、本当は痛かったのよー。
病気は白内障の治療一本。硝子体が曇っているので、かすみが酷くなっていて、視力がほとんど取れない状態。このレンズを削り出して、新たに人工レンズをいれるという。目に機械の管を入れ、顕微鏡?で医者が診ながら、曇ったレンズを破壊し、吸い取るのだそうだ。目薬とが眼球への直接麻酔注射で痛みはない。
しかし、耳はそのまんま聞こえるのだ。顔には手術する左目だけを空けた分厚いマスクが掛けられているので殆ど見えない。音だけが「びーん」と耳元に届く。賞味19分で手術は終了。「うまくいきましたよ」というメスを握った(実はメスではないのだが)担当医の言葉にほっとする。
手術後も痛みはない。
翌朝、医師の診察で始めて覆いを取ると、摩訶不思議、かすみがない!!あれーっ?!!右目よりもかえって視力が回復したので逆に合わなくなってしまった。それでもかすみがないことのなんて素晴らしいことかー。
後は、病室でゆっくり時間をかけて回復を待つしかない。
大学病院というところは流石に県内最先端の医療を施している。医療器具もそうだが、総合病院の利点がやはり存在する。私のように持病を他にも持っている患者に対しては、実に慎重に対応する。特に心臓病持ちの患者には丁寧だった。薬を飲んだかどうか、食後にいちいち点検に来る。間違わないように、空きケース入れの容器を置いてチェックする。手術中もしものことがあっても、総合病院だとすぐ対応できるというのは確かに心強い。
主治医はギャル先生だが、何回か話してみると、格好と違って意外に優しい人で、おとなしかった。声が小さいので聞き取りにくいのが困ったくらい。
もう一つの縁。担当看護師はうちの高校の専攻科の2回生だった。まだ管理職前だったがこの子達には。「医学概論」という大それた教科を受け持たされた。当時の校長命令だったのだが、その頃「医療倫理」の研究をしていたことから、抜擢されたようだった。もう一人臨床医の先生と授業を専門分野を半分ずつ分けてやった。そのころの学生だった。この子も最後までよく面倒を見てくれた。そして妻の親友がこの眼科病棟の「お局さま」で、彼女のお陰で手術をいろいろ手配してくれたようだ。いろんな人にお世話になった。退院する時には花束をくれて、涙を浮かべて別れを惜しんでくれたありがとうございました。
霧のかかった目(先入見)ではなく、マッさらな目で見なさいという神の思し召しなのだろう。心を入れ替えていきなおします。(なんちゃってー)

嵐が残していったもの!

2010年05月24日 07時13分49秒 | 日記
まだ霧雨が降っている。一昨日から雨量は恐らく200mmんい達していることだろう。よく降ったものだ。この土地は特に風が強いのが特徴、昨夕雨が小雨になったので、畑を見て回ったが、「被害」も出ている。

キャベツの幼子が一株風に飛んでいた。またカブを植えていた1列の畝、そう高くすることもなかったのだろうが、偶々種を撒く時空いていた畝を使ったのでそこが高かったのだ。まだ5mmから1cm位のカブだが、強い雨に表土が洗われて白い根茎が見えているではないか。これに土寄せしてあげた。これからというのに、もう!

ミニトマトの苗も風雨に晒され、幸い折れてはいなかったが、ぐにゃりと倒れこんでいた。これに竹の支柱を立て、麻ヒモで緩く縛って保護。ラディッシュも表土を洗われ赤いさくらんぼ大根の実が見えていた。だいぶ成長しているので、大きなやつは抜いて収穫。昨晩、サラダで食べた。ラディッシュは育てるのが簡単で、見た目も可愛くて美味しいし、第2弾をすでに植えている。それにしても大根ばかり3種類、随分たくさん作っている。春大根は今度は大丈夫のようだ。乞うご期待!

庭の果樹たちも見て回ったが、山椒が倒れそうになっていたので支柱でしっかり補強。この前植えたウドは葉が全部萎れてしまったので思い切って、ばさばさ剪定、枝だけ残した。さあ生き残ってくれるか?がんばれ!!
大発見だ!
昨年秋に植えた「かぼす」1m位の幼木だが、よく見ると花芽らしいのがついている。こっちの枝にもあっちの枝にもたくさんついているぞ。花が咲いて受粉したらカボスの実がなるのだろう。これは楽しみ!焼酎に1滴落したら香りが最高

畑が気になるけれど、今日からの1週間の入院、無事順調に育ってくれよ、頼むぞ!
去年の夏作物
11時までに病院に行かなければならないので、9時半にはここを出よう。準備は昨日すべて済ませているし、ゆったり出発だ。
恐らくこのブログ、1週間のご無沙汰になると思う。目が使えないだろうからーでは行ってきまーす。



明日入院。手術は水曜日?でも心は明鏡止水の如し

2010年05月23日 08時27分36秒 | 日記
ひどい雨が降っている。
昨夜来の強い雨で、デッキから畑を見ると水を、はけきれずにあちこちプール状に溜まっている。昨日、1時間位勢いをつけは決めた竹を格闘した。抜いても抜いてもどこかに細い竹の子が顔を出す。まだ名前を知らない。少なくとも「竹の子」とはいえ食えるような代物ではない。3,40センチ穴を掘ると、根っ子を発見し、根を張っている方向にスコップで穴を広げていく。適当なところで根っ子を引っ張るとスーッと抜ける。昨日は2cm余りの長い奴が取れたので、一人で喝采。記念写真にも収めた。「竹取物語」ってこんな苦労話って知ってる?違うかっ!!
畑の土を50cm位掘ると、赤土の層にあたる。これが固い。これが水の浸透を阻んでいるのかもしれない。もっと降り続いたらどうなるのだろう。

明日入院する。場所は大学病院。今日は明日のための準備で忙しい、かな?書類が入院誓約書など何種類かあってうるさい。同意書もこれまで何度も書いてきた。心臓でも、全身発疹で緊急入院した時にも。文章のなんと冷たいことか!怜悧・冷徹で「健康な」医療関係者が、そこから依頼された法律関係者が書いたのだろうがー。
「どんな事態になっても私は病院を訴えません」そんなことはないか!!

手術しながら、今日はどの看護婦と遊ぼうかと虎視眈々周囲を物色しているような若いプレーボーイ医者、どこかにいたぞ、大学病院では「あーあ昨日から寝てないぜ、早く帰って酒飲んで寝たいなあ」と出そうになるあくびを噛殺しながらメスを握る医者もきっと多いはず。それでも「どうかよろしくお願いいたします」と患者は医師に手を合わせる。これが医療者と患者との社会関係なのだから、止むを得ない。何しろ自分の体であってもでは目に針もノミも刺し入れることが出来ないのだからー。

医者だけが人間の肉体に刃物で切り開き、内臓を切ったり、縫ったり、時に入れ替えたり(移植)することを許される。まさに特殊免許なのだ、この職業は。そして法律でそれは守られている。但し、それは命を守るという、健康に害を与えず病気を治すという限定が附いているのだがー。緊張度の高い、精神的肉体的疲労度が高いからこそ、社会的ステータスもまたその報酬も高い。私が私立の高校の校長をしていた時代でさへ、同年齢の医師と比べると年収は数倍に及んだ。但し、これは零細経営の学園ゆえの話だが・・・恥ずかしい限りだ。

姉が勤務医だが、私の月給の2~3倍くらいあった。
家の近所の土地に豪壮な別荘が次から次に建ったり、買い占められたりしているが、その半分くらいは医者だ。が先日友人が神主で主宰した地鎮祭の当家が東京の医者であった。別荘らしいが何時来るんだろう???周りに金持ちの別荘だけが増えていっても、永住で住んでいる者からいうと畑や田圃や林が次々に無くなっていくので環境が変わっていくので内心困ったものと思う。もちろん勝手な言い草だがー。

目を手術するので、術後は本が読めなくなるだろうから、ラジオでも持って行くかあ、「持ってないじゃん!!」そうか、携帯でも聴けるか?待てよ今使っている携帯、TVはあるけどラジオがないんだ。あーあ、暇だな!まっ仕方ないか。
母の妹=89歳の叔母が開業医として長い間使っていた、病院を壊すことにしたという。この建物、私が小さい時に棟上があって、屋根に上って恐くて降りられないで震えたことを覚えている。


萩原浩の「噂」を読み終えた。途中、このストーリー覚えがあるぞと書棚を丹念に探してみたらやっぱりあった。二度目になるのだが、やはり面白かった。茶木則雄という書評家が「ミステリー史に残る傑作」と評しているが、これは少し言いすぎ。だが、現代の大都会の若者の文化風俗を詳しく書いていて、「うそぴょん」、「まじっす」、「きもさぶ」など現代用語がつぎつぎ出てくる。しかし、事件を追う中年の木暮がいい。妻に逃げられ、女子高生の娘と二人暮し。警察内での出世からすでに外れている。野暮ったい木暮と若い女性刑事名島の組み合わせがいい。これはドラマ化、もしくは映画化されたらきっと受けると思うが。それにしても最近買ってくる本、既に読んでいたという二重購買の多いこと。次に読もうと思っていた、真保裕一の「連鎖」、読む前に気になったので書棚を調べたらやっぱりあった。あーあ。年取るってやだねえー。