
今テレビで事々しく「イスラム国」のことをいろんなコメンテーターが喋っている。
世界各地からそのもとへ若者が集まっているという。
原因は?
貧困と格差と抑圧・差別。
日本の場合東アジアの端、「東南海上に浮かぶ列島」である国。海が外との壁を作ってきたし、ある意味防壁にもなっている。
大きな問題は移民。この意味を問う時に地続きのヨーロッパと中東諸国、地中海を隔てるアフリカ大陸とヨーロッパ。
深く歴史がかかわっていて、宗教もユダヤ教、キリスト教(新旧)、イスラム教、さらに東に行けばヒンズー教、仏教と
錯綜としている地域。
一言で解決策を言うことなどできやしないだろう。
日本では宗教には寛容な民族で、近代化政策の一環として断行した神仏分離、廃仏毀釈、その後満州事変から第一次世界大戦戦争
第二次ーそして敗戦。戦後処理・・・
日本人の宗教とは一体何なんだろう?古代神道から仏教、その仏教も釈迦の教え=原理とは全く違う性質になってしまってる
と言われる。
テレビを見てたら「鑑定団」に元のお寺の住職が出ていて、骨董に注ぎ込んだ金額は1億円だとー澄まし顔で喋っていた。
その金はどこから出ているの?お寺の収入ってお布施がすべてだろうから、檀家の身銭を切った願いの籠った捧げものを
住職が私的に使うなんて許されることだろうか?
もしかしたら、高く経営で駐車場や貸マンション、幼稚園経営のたく経営の収入だからお布施ではないと言い切れる?
元手はすべて檀家からスタートしてるはずではないか?
国民が宗教離れし、寺や神社は収入のためにあらゆる資本主義的手法を駆使せざるを得ない社会的位置にあるー
宗教の原理はどこへ行った?
己の宗教のファンダメンタルとはなに?
そして国民は派手な異国文化だったら「何でもあれ!!」カボチャに浮かれ、映画に浮かれ、結婚式をキリスト教会で、葬式を
お寺で、正月には神社の参拝から1年のスタートを切る。神仏混合どころか宗教何でもあれ!逆にいえば宗教には無関心。
阿倍の「3本の矢」から世は経済・経済と大合唱。金がすべての世の中になり果てた。そして結果の格差問題。
若者はいく場所がない。こういう中から「イスラム国」へ絶望的な夢を抱いて進んでいくことって考えられるのでは?
イスラムとは関係ないところではすでに世界に未来に絶望した若者が簡単に無差別的殺人行為に走るケースが増えている。
宗教原理主義という筋の通った主張と戦争・テロではなく、何もないところから生まれる衝動的な無差別殺人事件。
どうも根は一つではないか?
・・・
さて私は恒例行事、正月の松飾りづくりを今から行う。これは神道に纏わる行事。神への願いを籠めて!!