おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

宗教の原理主義と無宗教と無教養時代人

2015年12月27日 09時18分30秒 | 社会


今テレビで事々しく「イスラム国」のことをいろんなコメンテーターが喋っている。

世界各地からそのもとへ若者が集まっているという。

原因は?

貧困と格差と抑圧・差別。

日本の場合東アジアの端、「東南海上に浮かぶ列島」である国。海が外との壁を作ってきたし、ある意味防壁にもなっている。

大きな問題は移民。この意味を問う時に地続きのヨーロッパと中東諸国、地中海を隔てるアフリカ大陸とヨーロッパ。

深く歴史がかかわっていて、宗教もユダヤ教、キリスト教(新旧)、イスラム教、さらに東に行けばヒンズー教、仏教と
錯綜としている地域。 

一言で解決策を言うことなどできやしないだろう。

日本では宗教には寛容な民族で、近代化政策の一環として断行した神仏分離、廃仏毀釈、その後満州事変から第一次世界大戦戦争
第二次ーそして敗戦。戦後処理・・・

日本人の宗教とは一体何なんだろう?古代神道から仏教、その仏教も釈迦の教え=原理とは全く違う性質になってしまってる
と言われる。

テレビを見てたら「鑑定団」に元のお寺の住職が出ていて、骨董に注ぎ込んだ金額は1億円だとー澄まし顔で喋っていた。
その金はどこから出ているの?お寺の収入ってお布施がすべてだろうから、檀家の身銭を切った願いの籠った捧げものを
住職が私的に使うなんて許されることだろうか?

もしかしたら、高く経営で駐車場や貸マンション、幼稚園経営のたく経営の収入だからお布施ではないと言い切れる?
元手はすべて檀家からスタートしてるはずではないか?

国民が宗教離れし、寺や神社は収入のためにあらゆる資本主義的手法を駆使せざるを得ない社会的位置にあるー
宗教の原理はどこへ行った?

己の宗教のファンダメンタルとはなに?

そして国民は派手な異国文化だったら「何でもあれ!!」カボチャに浮かれ、映画に浮かれ、結婚式をキリスト教会で、葬式を
お寺で、正月には神社の参拝から1年のスタートを切る。神仏混合どころか宗教何でもあれ!逆にいえば宗教には無関心。

阿倍の「3本の矢」から世は経済・経済と大合唱。金がすべての世の中になり果てた。そして結果の格差問題。

若者はいく場所がない。こういう中から「イスラム国」へ絶望的な夢を抱いて進んでいくことって考えられるのでは?

イスラムとは関係ないところではすでに世界に未来に絶望した若者が簡単に無差別的殺人行為に走るケースが増えている。
宗教原理主義という筋の通った主張と戦争・テロではなく、何もないところから生まれる衝動的な無差別殺人事件。

どうも根は一つではないか?

・・・

さて私は恒例行事、正月の松飾りづくりを今から行う。これは神道に纏わる行事。神への願いを籠めて!!

続高田郁の『あい 永遠に在り』と葉室麟の『いのちなりけり』

2015年12月23日 10時09分35秒 | 読書


ブログ書き始めて何年になるのか?10年近くにはなるものと思う。

こんな老いぼれの雑感記録をお読みくださる方がいることに感謝申し上げたい。

パソコンをセブンに換えた途端に新しい技術に附いていけず写真も未だに「フ
ラッシュプレーヤー」を立ち上げることができず古い写真を使い回している。

これも新たにカメラを購入していろいろ風物を撮りまくっているのに、パソコ
ンに取り込むまではできたが、ブログまで届けることができない。

時代に取り残されて悲しい65歳の実態。
多くの人に読まれる条件は文章が少なく、きれいな写真が多い事だろう。

こういう要素が欠落しているので面白みがないかもしれないけど、ふるいアナ
ログスタイルをこのまま続けていくしかないので、

我慢してお付き合いください。



さて今日は雨が降っている

玄関に飾る松飾を作るために今日は知り合いに頼んで竹を取りに行く筈だった
けど、雨で取りやめ。

昨日の読書録少し書き足りなかったことがあるので、追加と新たに読み終えた
葉室の作品の感想を書く。

高田郁の作品「あい」は本当に傑作だ。題材も自分に合っているということも
ある。人情ものでしかも名前は日本医学史上で既知の関寛斎のことだったこと
もある。

こういう作品は映画に取りあげたり、テレビドラマ化することもいいのではな
いか。
医療は人間の命を支える仕事。メス1本、薬一包でも命は失われる。それほど
重い生業であるし、厳しい仕事だ。

医者はだからこそ給料が途方もなく高いし、尊敬もされる。しかし現実には
地域医療に医師がなりたがらない。無医村地区があるし、あってもレベルは
極端に低いと言わざるを得ない。

本当に医師の本分=患者の命と健康を守るという使命を何を差し置いても守
り貫いている医師がこの世にいるだろうか?

年収何千万をもらい、社会的ステータスが高い故に周りからチヤホヤされ、近
づく製薬関係者の袖の下に心を動揺させたり、看護婦についちょっかいかけた
りしている医者いないだろうか?金持ちだから高価な外車を乗り回し、目の前
に担当患者が病変が起きてても休みだから遊びを優先させている人いませんか?

関寛斎は違った。百年以上も前の話と切り捨てることができるだろうか?

貧しい人からは医療費を1銭も受け取らず代わりに金持ちから2倍3倍の金を
請求。これは佐藤泰然・緒方洪庵の教えであり、義父母や妻の生き方を見て、終世貫いた
スタイルだった。

医療で人を助ける、ただそのことだけで他を求めない。安定した地位も、財産
も・・・最後はすべての財産を北海道の開拓に注ぎこんで、夫婦無一物でその
地に果てる。

人間に対する底知れない愛、自利を捨て、他利に徹する生き方。

私も後どれだけ生きれるか知れないが、少しでもこの人の生き様をわが鏡とし
て生きていきたいと思う。

葉室麟はすきな作家の一人でたくさん読んできた。「いのちなりけり」は歴史
小説であり時代小説である。
舞台は佐賀藩の支藩小城。主人公は雨宮蔵人、「妻」咲弥(さくや)。
妻はその父が家中筆頭で七百三十石の家柄。夫となる蔵人よりも身分は上。

結ばれる筈のその夜に妻が夫に問いかけた言葉がある。
「あなたはこれこそご自身の心だと思われる和歌とはなんでしょうか。歌こそ
人間の心映えが分かるものです」

蔵人はその時答えられなかった。これをずっと引きずって政争に巻き込まれな
がらも、その歌を追い求めていく。

「あい」とは色合いが全然違うのだけれど、面白かった。緻密な時代考証と細
やかな筋立て。さすが葉室である。

最後に先の関寛斎のこと、濱口梧稜のこと司馬遼太郎はじめいろんな作家が書
いているらしい。先ずは本を探し求めよう。

日本には素晴らしい人間がいた

2015年12月22日 17時37分12秒 | 読書


今高田郁の『あい 永遠に在り』を読んでいる。後残すは20ページこの後、
風呂に浸かりながら読んでしまうだろう。

こんな感激した小説はほんとに久しぶりだ。

私はやり残していることとして、郷土における日本近世・近代の医学史を
書きたいという願いがある。

この小説を読む前は高田郁の人情江戸の話だろうと思っていた。ところが
読み始めてすぐ気付く。

これは一人の巨人の話で、しかも人間としての生き方の根本を教えわが実
人生で差し示す「処世訓」でもある。しかも江戸時代の蘭方医師である。

この人と結婚して死ぬまで同じ方向を向き生き方を変えずに一途に生きた
妻あいが主人公なのだが、小説には夫寛斎とこの人を終世支援し続けた
関口梧稜という豪商であり実は人を愛し、苦しんでいる人への支援を全精
力傾けてやり通す人格をもった人間であった。

この人が寛斎を精神面、経済面すなわち物心ともに終世支えていく。

篤志家とはよく聞く言葉だがこの三人はこの言葉で語れないもの凄い生き方を
貫いた。

参った、参った!

本を読み終えても暫くはその余韻から冷めたくないし、ずーっと浸っていたい。
そして関夫妻・関口についてもう少し調べてみたと今痛切に感じている。

年末の恒例行事は?

2015年12月21日 10時19分50秒 | 日記


3日間部屋に籠りっきりになって年賀状を仕上げた。(まだその途中・・・

何とも悲しいことを書かなくてはならない事態が今年も起こった。

年賀状をパソコンですべて書いてしまうというは意外に容易い。「筆王」様がいらっしゃるので
簡単操作だ。とベッキーが宣伝している。

ところが高齢者入りした私にはそれが無理。どこかで操作を誤ってしまう。上下反対にセットしたり、
裏表が逆だったり、それで間違えないように十分用意して去年の賀状を使って試運転をしてやってみた。

ところが最初うまくいっていたパソコンプリンター、順調に進んでいたのだが裏面に進んでセットして
スタートさせて、私は別の作業をしていた。

ふとプリンターで打ち出される葉書を見ると、あれーっ

上下反対にセットされているではないかーすでえに32枚順調に!!?印刷していたので慌ててストップをかけた
のだが、被害甚大!

そういえば去年も同じ間違いを犯し何度郵便局に足を運んだろうか???

仕方ないので昨日は作業を止め、月曜になるを待ってさっき賀状の交換に行って来た。
1枚5円で新品と交換してくれる。これは私ども高齢者にとってはありがたい!

近代の技術革新のスピードは物凄く早い。携帯がスマホになってどの位の時間を要したろうか?

ガラケーは時代に取り残されている・・・と言われている。私はしかしあくまで粘るぞ!
情報の通信にこんなお金をかける必要はない!!!そんな急いでどこへ行くの?

新聞があり、テレビがあっていっぱい情報番組があって飽きるほど垂れ流しているではないか。

インターネットも訳わからん事態になっている。ウィンドーズ10の無償提供が場面に性懲りも
なく出てくるのだが、やってみるとできない。時間ばかりかかって通信料で儲けようって魂胆か?

ウィンドーズ7に変えたが前のXPの方が使い易かった。

いらん情報で頭の中一杯一杯になっていて、新しい情報を受け付けない。

妻は今のガラケーの調子が悪いのでスマホに変えようとしているのだが、まだ60前なのに
「高齢者専用」スマホにしようなんて言うから「やめて!!」と反対している。

恒例のサル軍団襲来と読書録

2015年12月17日 11時04分23秒 | 日記
これは里芋。

昨日は週一の治療日。

前々日に突然我が家にやってきた猿軍団には驚いた。

何度か畑を襲われて被害を出した(あくまで自家菜園で自給用)ことがあるし、
一度は正月帰省中に大軍団2分隊の合同訓練?と思われるような100匹近くの集団
が一帯を暴れまわった。

この時はご近所どこも規制しておられ人がいない野生獣にとっては「天国」だっ
たのかもしれない。

その時に対策として100金ショップで短銃と詰め替え用火薬があったのでサル退治
に鉄砲(ただし飛び道具ではないので脅しのためだけの底浅いシロモノ)を使おう
と思ったけど探したら無いんだ!!!これがー

随分時がたっていた、久し振りのご登場だったので慌てた。

追いかけると猿は木に登って興奮して枝を揺さぶったり叫び声をあげたりでこちら
を威嚇しる。妻は怖くて近寄れないし、私も石でも投げようかとつかんだが筋力が
落ちているので距離の半分までも届かず切歯扼腕

昨日病院から家に帰ると、庭から畑に下りた妻が叫んだ。

「ニンジンがやられているよー!」妻は不吉な予感があったのだろう。人参だけが
四分の一が抜かれて遊ばれていた。食べた後は殆ど見られず、サルの子供が手遊び
したのだろうか?     ちゃんと親はしつけろよ!!font>

さて読書録。

藤沢周平の短編集「夜消える」人情ものの超短編集、藤沢流ペーソスあふれる作品
集で軽く読め、少しの感動を頂いた。

司馬遼太郎、『一六の話』。司馬は簡単には語れない。
作品は再読だけど、感動に色褪せはなかった。

理・化・哲の鉄人には立花隆がいるし、文芸評論には吉本隆明いるが歴史学ではやはり
この人司馬遼太郎だろう。

深い史料の渉猟、読書の量の凄さ彼の部屋をテレビで見たことあるけどちょっとした
図書館だった。深い思索の末の俯瞰総論的述作。実に思い切った表現で歴史的事実・事件
をぶった切っていく。そこが痛快で何とも言えない快感があるのだ。前半は仏教の蘊蓄。

そして出身の大阪論。

最後は自分の死を意識していたのだろうか。若い人たち語る珠玉の詞群。
近代は人間を神を凌駕したと錯覚した時代だった。
司馬は言う、

「おそらく自然に対していばりかえっていた時代は、21世紀に近づくに
つれて終わっていくにちがいない」と。

しかしどうだろう、司馬の予見は当たっているだろうか?21世紀も15年過ぎた。
3・11は何だったのだろう?
世界中で猛威を振るっている異常気象による大災害は?12月になってまで台風の
心配をしなければならない時代になっている事実。

北京のスモッグは世界を覆っていくのでは・・・

次は出久根達郎の「おんな飛脚人」。
読む前は不安だった。珍しい女性の飛脚、実際いたのだろうか?これで時代小説
ストーリは極端すぎない?

読んでいくと話が章だてになっていて、飛脚屋に飛び込んだ足の速い女まどかと
出自が怪しい韋駄天の清太郎。江戸の人情の温かみが溢れる作品で良かった。

今日の新聞を読んでいたら出久根の文字を発見。この師走28日に来熊し講演する
という。やったーっ!聴きに行こうーっと。