おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

詩吟日本一の姉妹

2010年11月30日 07時52分45秒 | 日記
今朝も寒い。

昨晩は街に降りた。教え子のTが今年全国詩吟大会で青壮年部門で優勝し、6部門すべての中でトップの成績で最優秀賞=高松宮妃杯をもらって日本一になったことを祝するパーティーに出席するためにー

メルパルクホテルの会場で150人ほどの彼女が属する詩吟団体清吟流の会員の方達が中心だったのだが、来賓来賓として県会議長、国会議員、県知事なども参列していた。

パーティーの前半は受賞のセレモニーが続いた。師匠である父親の挨拶に始まり、来賓各位それぞれの祝辞。そして記念品の贈呈があって、詩吟のお披露目。

彼女のお姉さんも今回少壮吟士(全国で50名くらい)という称号をもらったということで二重の喜びであった。

二人がそれぞれ李白の詩を吟じた。



姉妹だけに声が似ているのだが、それぞれ全国優勝の経験者だけに声に伸びとはりがあって、しかも音程はもちろんしっかりしているし、詩の叙情を巧みに表現することのできる心揺さぶる歌であった。

Tの家は清吟流の宗家なのだが、4歳から稽古を始めてこつこつと努力を積み重ねてきた結果の成果であろう。

Tは高校のバスケットの選手であった。卒業後もずーっと師弟関係なのだがチーム全員親類縁者同様の付き合いを続けている。日本一が決まってすぐ、私達夫婦で街の馴染みの居酒屋でお祝い会をしてあげた。TにはR君という長男ひとり息子がいるのだが、阿蘇の我が家に訪れる時にはいつも一緒についてくる。宴が盛り上がり、「さてそろそろR君の詩吟を聞きたいな」と頼むと少しはテレながらデッキに出て阿蘇五岳に向かって「天草灘」(頼山陽)を歌った。近所の人たちも夏だと窓を開けているので聞こえるのだという、みんな感心し、楽しみにしてくれている。
R君は小学校4年生、詩吟でも全国大会に出場している子供の有力者なのだが、サッカー少年でもある。



パーティーにはクラブのチームメートが3人だけだったが出席していたので、終わってから2次会に誘って少し飲んでいい気分になって阿蘇に帰った。帰り着いたのはもう日時の変わる時間だった。

詩吟は日本の伝統文化。しかし、ユースカルチャーはアメリカンカルチャーに押されっぱなし。日本には演歌も浪曲も民謡もあって詩吟もある。光りがなかなか射さない分野だろうが、「吟道」を極める修業を積んでいる人たちがいるのだ。
もっと称揚すべきだろう。
公共の情報伝達機関新聞があまり積極的報道しないのは、残念というか噴飯ものだ。しっかりせよ「熊本日日新聞よ!」 


あーあ「龍馬伝」終わっちゃった!

2010年11月29日 07時27分44秒 | 日記
龍馬、殺さる

慶応3年、1867年の11月15日の晩、京都河原町四条上ル醤油屋近江屋にて、土佐藩坂本龍馬、同じく中岡慎太郎、下男藤吉の3名が何者かの手によって暗殺された。
このことは歴史的な事実である。

坂本は土佐藩の下級武士(下士)だったのだが、どこから来たのか天性の「時代を見抜く先見性」を持っていた。

土佐人の豪放磊落さは風土から来るものなのだろう。土佐っぽはよく酒を飲む。たしかに「土佐鶴」はうまかった。そして桂浜にも寄った事があるが、海岸線の美しさと豪快な波が打ち寄せる浜辺。ここに立って海の向こうの知らない世界に思いを馳せるそんなロマンを育てる地理的風土がある。龍馬には土佐特有の豪放さ、天衣無縫なところがある反面、意外にも女性に対する細やかな配慮も持っていたようだ。薩摩そして霧島への新婚旅行なんて当時の侍、だれも考え付かなかったことではないか?

ドラマは龍馬の最期をリアルに描いた。

結局、京都見廻組今井信郎が斬ったと描かれていた。しかし、暗殺の犯人については謎が多く、断定はできない。先日ブログで書いたように佐々木只三郎という説(早乙女貢)もあるし、三好徹は後藤象二郎が怪しいとみる。船山馨は薩摩陰謀説だし、証拠が少ないので謎は謎を呼ぶ。新撰組の原田左馬之助説(残され僅かな物証の一つ下駄が原田のもの)もあるようだ。
しかし、龍馬は無防備だった。寺田屋事件の時のように高杉晋作からもらったピストルを携帯していたならばとかもし風邪気味でなかったならばいつものように裏の土蔵の二階の隠れ家に潜んでいてもしものことがあっても逃げられただろうに・・・とかいろいろ思う。そして中岡が訪ねてこなかったらという「もし」もある。

                 
            

龍馬はもてた     垂涎の一滴

千葉道場の佐那、寺田屋のお登勢そしてお龍、ほんとうはまだいるらしい・・・
貫地谷しほりの佐那、草刈民代のお登勢いずれもよかった。真木よう子のお龍もよかった。出会ってから始めの頃のはねっ返りの娘お龍にどーんと太っ腹で接して次第に心を引き寄せていくところが何とも言えずロマンティックで・・・

龍馬の恋愛を「小児的受動性」と書いている学者もある。潜在意識としてはマザーコンプレックスよりも「乙女姉」コンプレックスが濃いだろう。どうもその所為か年上好みではなかったのか?お登勢は当時36歳だったという。世話焼きのお登勢の「乙女姉」を見たのではないかと思う。草刈お登勢だったら、誰だって好きになっているよなあー

貫地谷佐那はすごくいじらしかった。前作?でもそんな役柄ではなかったかな?あの子化粧品の宣伝に出ているけど、あれは似合わないな。

自分の歴史への興味とドラマの時代と人物が重なったということもあるが、楽しみに見てきた。しかし、今度同じように見るだろうか?


NHKドラマ「心の糸」

2010年11月28日 07時09分47秒 | 日記
最近では珍しく心深く感動したドラマがあった。昨夜NHKで放送された「心の糸」、すごくよかった。

聾者の母と健常者の息子の二人暮し。母は魚の加工場で働いている。松雪泰子が全く言葉のない手話だけの演技という難しい役をこなしている。(「こなす」というのは適切な表現ではないと思うが他に思いつかない)
息子は神木隆之介。松雪については映画ドラマ見たことがなかった。これまであまりいいイメージを持っていなかったのだが、この難しい役柄を見事に演じきった姿に感動。イメージ一新。神木は少年から青年に脱皮しようとしている。自分もこんな時期があったよな・・・

ささやかな生活の中に突然波紋が起きる。ある日息子が街を歩いている時、偶々ストリートミュージシャンの演奏を聞く。若い女性がキーボードを弾いている。そして「へたくそ!」と彼は声にならない声を発して、その場を立ち去る。ところが、奏者も聾者で彼の口の動きで「へたくそ」という非難を読み取っていたことを彼女から伝えられる。そしてそれは手話という手段でー

そこから彼女(谷村美月)との付き合いが生まれ、母(松雪)と(息子)神木との生活に不協和音が生じるようになる。
ピアノで芸大に進学しようという母子の夢があった。清貧の生活の中で、ピアノの個人レッスンを受けさせるというのは経済的に大きな負担であろう。それでも二人の夢であった。

そのピアノに行き詰っている息子。ピアニストになることは自分の夢であったはずなのに少しずつ疑問が生じてくる。自分の夢ではなく「母の夢」を折っているに過ぎないのではないかー

そして、父親の死去の知らせが偶然に届く。息子はそれまで父親が生きていること、離婚したことを隠していた。父親は女をつくり、松雪に聾者であることから逃げていた。母親はその恨みを息子をりっぱに育て上げ、母親が耳が聞こえなくても息子はりっぱな音楽家になったということを伝えることで見返したい(障害者を差別し、女をつくって逃げて行った男に対して)それが復讐と考えていたのだ。

過去がわかって、二人は本音でぶつかり合う。「もういいでしょう、お母さんのピアノから逃げてもいいでしょう}と母親に詰め寄る神木。

ある日、谷村が出身校である聾学校に連れて行く。そして谷村が見せたのは屋上の捨てられたロッカーに刻まれた文字=詩。

t聾者できないことが3つある。耳で音を聞くこと。口でものを喋ること。そして無限の夢を見ること
聾者ができることも三つある。眼で言葉を読むこと、手で会話をすること、そして現実の中に夢を求めること

この詩がドラマの主旋律としてずっと流れている。「夢」の見方。果てしない夢は障害ゆえに見ることができない。しかし、現実の中にどこかに夢を見つけ追い求めることはできる。そしてその詩の作者は松雪母だった。

その頃母は息子に求めた(託した)夢を諦め、不似合いなグランドピアノを処分しようとしている。

神木息子が自転車で必死で追いかける。・・・

これはいいドラマだ。「心の糸」は聞こえなくても人間は対する世界と「心」で繋がっている。聞こえないはずのピアノの音が「私には聞こえる」と谷村が母親にいう。「あなたは心を閉ざしているー」

                      
            

つい教師として見てしまう。これはいい人権(「人権」と括らなくてもいい)教材になる!

そういえば、「アンビリーバブル」で放映されて知ったことだが、アメリカであった実際のプロアメフト選手の話。ホームレスだった黒人少年を引き取って育てていく平凡ないや神のような心きれいな家庭があって、その家族の一員として育てられた少年が才能を開花させ、ついにはビッグなアメリカンフットボールの選手になる話。マイケル・オアー、これはすでに映画になっているらしい。あれも良かった。

あんな素敵な美しい話ばかりを見ていたいものだがー

この冬一番の寒さ

2010年11月27日 06時56分50秒 | 日記
昨夜、寝ている間には感じなかった寒さだが、朝起きて窓から外を見ると地面は霜で真っ白になっている。

たしかに、昨日玉葱の追肥の作業をしているとだんだん冷えてきて、夜の気温の低下を予想させてはいたがー

この南阿蘇外輪山麓では海抜高度が450mほどある。地形の関係もあるのだろう「霜」がすごいのだ。時には地中10cm以上になって、一日中それが解けないでいることもある。

作物を食べる害虫の心配はなくなったのだが、これからの寒さへの対策が肝要となる。

今年はない知恵をめぐらして、藁を入手し、果樹の幹に撒きつけたり、根元に敷いたり、畑の作物にも幹の根方に強いて霜から少しでも守ってやろうとしている。しかし、藁は軽いのでこの南郷谷特有の北風に吹きやられてしまうのだ。跳ばないように厚めに敷いたり、土をかけたりしている。

その後に手に入れた米の籾殻を根方にまいて、防霜用としているのだが、困った問題が生じている。

昨日ネットで調べると、籾殻は種の成長を抑制する因子を持っているとか、水を通しにくい性質があるので注意と出ていた。

現在玉葱作りはこうしている。
しっかり耕した上で、畝を作り、マルチを着せる。そして、穴あけの道具で植え付け用の穴を開ける。

植えた玉葱の種類は早生、晩生、赤玉、サラ玉の4種。全720苗。

マルチで寒さ対策にしているのだが、そうだ穴を開けた直径10cmくらいの穴が空いて、植えた苗がその部分だけ「すーすーしている」(風が通り寒そう)

さて?と考えた末に「そうだ!そこだけ籾殻を撒けばいい

そのようにしたのだが、確かにマルチで覆われているので雨水が吸収できないので、苗の根元の空いているところだけが水の吸収できることになる。それが籾殻に覆われているのだから、水分を防いで仕舞う。

昨日はこの籾殻を指で押し分けながら、肥料を入れた。これは手間がかかって、昨日200で止めた。

なんとか今年は大きな玉葱を作りたいという夢実現に向けて十分手を入れているので、この辺りの不安について、だれか詳しい方に教えを乞いたい。

眼圧、平常値に下がる!

2010年11月26日 08時34分11秒 | 日記
先週の眼科の定期健診で、異常に右目の眼圧が上昇しているというので、薬の処方を変えて1週間後の再診をーということになっていた。

そこで昨日は朝早くから山を降りて街の大学病院へ。毎月一度訪れてもう2年。8時頃着くと、到着番号札をもらうのだが、いつもは70番台から80番台。早くて60番台なのだが、昨日はいつもより早めに出たのだがもらった番号は103番。
こんな遅い番号なんて初めてだった。
途中、通勤の車の混雑で渋滞に巻き込まれた所為かなと思うのだが、いつものことだしー

こでじゃ受診は待たされるなあと覚悟を決めて待っていると意外に早かった。

まずは眼圧検査。
結果は右15、左11.
先週右は40まで上がっていたのだ。良かった、ほっと安堵の胸を撫で下ろす。

そして、担当医による診察。
眼圧を詳しく検査しなおして16と数値。しかし、かすみは以前変わらないことをいうと、やはり白内障が進んでいますという。

「それは覚悟しています・・・」「こんなかすんだ状態は辛いので、左目のように手術した方がいいのではないかと自分でも思っています」

目薬の処方はそのままで来月また診察しましょうと予約を入れて病院を後にした。


次は先週行ったホームドクターのところ。血液検査の結果を聞かねばならない。

詳しい検査を依頼していた。前立腺がんの検査、TVで「50になったら前立腺がんの検査を!」と呼びかけているし、自分でも夜中のトイレが多すぎる(4~5回)ので、「もしかしたらー」と心配でもある。
内臓の腫瘍のあるなしを示す数値もお願いしている。

不安な面持ちで先生に結果を聞くと「正常の範囲を超えているのは中性脂肪だけで他は全て良好です」と説明。
良かった!!

中性脂肪は痩せることで下がってきますので「痩せるように!」と釘を刺されてしまった。

それから狭心症発作手術から丸4年を迎える。大きな変化はないのだが、そろそろ検査が必要ではないかと思い相談。長く診てもらているこの医師から依頼書を書いてもらいCT検査を受けることにした。
1年に一度はきっちりとした検査が必要だと思っている。第二の人生も健康があってこそだ!!

来週は1日に胃腸の内視鏡検査。翌日が心臓のCT検査。妻はそれ相応の金がかかるので不安げな様子だが、費用はある程度は戻ってくるので「すんっまっせん」。