おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

浅田次郎の世界

2014年07月29日 07時32分07秒 | 日記


先日、公民館に寄った折にその中にある図書室から浅田次郎の「一路」を借りた。もちろん他にも3冊時代小説を借りたのだが、先ずは浅田ワールドに浸ろうと読み始めた。

浅田作品は多く読んできた。映画化された「鉄道員」から「地下鉄に乗って」さらには中国ものまでー

この作品を知ったのは妹が膝の手術で入院したのだが、その見舞いに行った際、この小説を熊本駅前の新らしい図書館から借りて読んでいたので初めて知った

私が読むのは中古本になってからだから新刊本を読むことはあまりないのだ。

百田は数冊買ったけど、あの男には完全に裏切られた。ガッカリだ

浅田は人情の機微を実に巧い表現で描き出す筆力を持っている。読後にこころが「ホッ」とする

今回の作品は江戸後期の一旗本家で徳川家との関係が歴史的に深く大名ではないのに参勤交代が義務付けられている。

その陣中供頭を当主の父親を突然失って20前に若き身空で任務を継承した主人公の悪戦苦闘の物語。

これが面白いのだ。

読んでいてワクワクするというのも久しぶり。

重い気持ちになって考え込まざるを得ない純文学ではない。いわゆる大衆小説の部類に属するのだろうが浅田文学は絶対支持する。読み手の心にどう届くのかが本の勝負!

貸本だから2週間で4冊という期限付きなので急がざるを得ないのだが、自然と先へ先へ進んでいく。一日ですでに150ページ読んでいる。読書は大いなる楽しみだ。

子ども「キャンプ」手伝い

2014年07月28日 07時09分41秒 | 日記


26日、所属している生涯学習支援組織「クラブ南阿蘇」主催の小学生夏休み子どもキャンプを行った。

残念ながらキャンプとはいってもここ数日の天候不順で特に雷の危険があって熟慮の末、炊事食事だけを外で、主要プログラムキャンドルの集いを公民館付属の体育館に行うことにした。

寝泊りも体育館内にテントを4帳設営。

事前にこのキャンプの責任者である「キャンプ長」に指名されたので責任が思い。

まずは怪我人なく、無事子供たちを家庭に返さなくてはなら。ない参加者は子ども30名足らず、親御さんが2人、あとスタッフ10名ほど。

4時集合、オリエンテーションから早速準備に懸かる。

子どもにはテント設営。ボランティアで山岳救助隊で救急救命士の資格を持つ若い消防隊員が指導。

終わったら、食事の準備だ。メニューは言わずもがな「カレーライス

食材は女性スタッフで用意がされていた。子どもを使い、8基(4班に分けご飯用とカレー用のカマド二つ)のカマドを設置し薪を集め、米研ぎ、火を起こす。

子どもに火を使うことの大切さを教えること。子どもの半数はマッチを擦ったことがないという。先ず杉の枯葉に火をつける。

杉葉はよく燃える。この上に木材屋から貰ってきたという杉の板キレをくべる。勢いよく火が燃え出したらご飯用の御釜を据える。昔のご飯焚きだ。

一方のカマドではカレー作り。地元の阿蘇の赤牛の細切れ肉を大量に購入してあるのでこれを炒め、タマネギ、ジャガイモ、トマト(これは初めての経験)を次々に入れてしゃもじで炒めていく。子ども達が交代でこれを行う。

最初のミーティングで私は子どもの様子を見てこう言った。「皆の様子を見ていて気付いたことがある。先生の話を聞いて呼びかけられた時返事がないし、あっても覇気がない。子どもは元気が一番。挨拶と返事は元気良く大きな声で言おう!!」と。

私がこう話し後、子どもは「ありがとうございました」と大声で挨拶。

これが子どもだ

料理の時、一緒に仕事していても子ども達は少しも擦れていなかった。「今の子は」と不安もあったが、参加してきた子どもは純朴そのもの。気持ちがいい

最上級生6年生が班長でA君、これが素直ではきはきしていて、よく動く。中心は3,4年生でみな仲がいい。

薪で炊くご飯とカレーは絶品だった。これを子どもが選んだ野外の場所で一緒に食べた

大人が気を利かせてサプライズでこの村人気のカラアゲを配った。ところが大好きだと予想していたカラアゲに反応は冷めていた。「先生僕要らない!肉あげます!」とー

カレーに牛肉は美味しそうに食べるのだが、これは意外だった。

食事が終わって一時していよいよキャンドルの集い。ロウソクを全員に渡し、キャンプ長の私から子どもが手に持つロウソクに火をつけ、次々に点火していく。全員のロウソクに火が灯されたところで私の講話。体育館の火は消されてロウソクの灯だけ。

事前に何を話そうかと考えた末に、これまで教師として語ってきた「夢、挑戦、一所懸命」の話をした。何でもいいから夢を持つこと。夢に向かって挑戦すること、その努力は人の見えないところで懸命にやること。君たちには無限の可能性があるのだということを話した。

翌朝は子どもが大人の手を借りずに説明を聞いただけで朝食を作ること。ご飯と味噌汁。

子どもはよく動いた。喧嘩もしない彼らは実に。仲がいい。ひ弱そうな子には皆優しく接している。

最後の行事はスイカ割り。目隠しして木刀をもって大きなスイカに向かう。変な方向に歩いて木を振り下ろすとそこは何もない地面。大笑いだ。

最後、子ども代表が突然の指名を受けて挨拶。「いろんなことを学べてとても楽しかったし、夜の夢、挑戦、一所懸命の話もよかったです。ありがとうございました」と大きな声で述べたときは少し涙腺が緩んだ。

久しぶりのキャンプでいい経験をさせてもらった。子ども達ありがとう











キャンドルの集いで講話をすることになった。




暑中お見舞い申し上げます

2014年07月25日 07時42分57秒 | 日記


先日法事で街に下った時、姉弟達と久闊を叙し昼間から酒を酌み交わした。

夕方になり東京の姉夫婦と長男夫婦そしてその孫と夜の食事を共にすることになった。

義兄はN製粉の元社長、今でも車での送迎があり会社には出ているらしい。なにしろ私みたいな無収入の貧乏人とは比較にならないほどのセレブ。

知ってる居酒屋で美味いもの食べ痛飲した。

その後別れてから、さらに妻と梯子した。

昼間から飲んでいる。そろそろ限界なのだがどうしても行きたい場所があった。

10年以上になるライブハウスというか団塊世代から少し下くらいの親父達が夜な夜な集まってギターを弾き熱唱するところだ。

この日は全身酒漬けになっており、マスターともじっくり話すこともままならず、しかもステージでいつもの歌=70年代フォークを歌おうとするのだが指が適わない。歌詞が途中で飛ぶ。メタメタこんな酷い状態はこれまでなかった・・・いや難解か泥酔いして失敗したことはあったなー(赤面)

いつも歌っている曲で得意中の曲、コードも少ないしなんてことないのだが、DやD7がどうしても間違うのだ。情けない。

客が見かねて助太刀をしてくれたが、なんとももはや・・・恥ずかしい。

名誉挽回したいと思うのだがなかなか街に飲みに出るということは「田舎暮らし」にとっては至難。あーあ

猿の襲来

2014年07月24日 07時26分13秒 | 日記

我が家の花壇で育てた阿蘇の名物「ひごたい」。

先日、お隣の方から「サルの被害はありませんか?」と聞かれた。

「まさか」お隣さんはトウモロコシが1本残して後全部折られてしかも齧られ捨てられていたという。

急いで畑に降りて全域を確認したけど被害はないようだった。その時まではー

外輪山の丘陵地にあるために我が家は隣家から一段低いし、家を挟んでさらに畑はもう1段低くなっている。ここまではこないのではないか・・・と高を括った。

ところが。

その晩夜、日が暮れて間もなく、外で変な音がした。窓を開き確認するも夜とて良く見えない。流石に夏の夜は懐中電灯で畑に降りる勇気はない。何がいるかわからない。特にマムシ・・・

翌朝。

やられた。今年のトウモロコシはよくできていた。ハニーバンタムという品種で特に甘く、滅多に私の作る作物の誉め言葉をいわない妻にも好評で楽しみにしていた。これまで4本だけは捥いで食べていたし近所にもお裾分けていた。

残りは2~3本だけで後は少し齧って、捨てている。中には人間が食べるように実に巧みに食べつくしているものもあった。

こういうこともあろうかと後2段目、3段目を時差を設けて植えているのでいいけど、悔しい!!

さて、今朝畑に降りて一部の作物の写真を撮ったので掲載する。



これは普通の接木苗のキュウリ4株、地這えキュウリは終わった。



これはカボチャ。すでに大きく育ったカボチャ5個を収穫している。

これは自慢のゴボウ。よく育っている。但し掘るのがたいへんで下手をすると途中で折れてしまう。


これは落花生。まだ時期尚早でこれからが楽しみ。


これは都会人にはわからないだろう。ゴマである。私は狭心症があるので血液サラサラ成分豊富なゴマやタマネギ、救急薬のしょうがをいっぱい作る。ゴマも大量生産する。畝で白黒合わせて4畝。

猿対策はすでに防護ネットを被せてしまったし、鳥被害に遭っているブルーベリーにもネットを被せた。

8月姪っ子家族が埼玉から訪れるので畑の作物をきちんと見せられるように頑張ろうと思っている。









不合理の「死」

2014年07月19日 07時34分40秒 | 日記


298名の人間の命が一瞬にして奪われた。

こんなことがあっていいのだろうか

韓国のフェリー沈没で高校生を含む300人近い尊い命が失われるという大事件が起こったばかり。
このフェリー沈没は韓国社会を根底から揺るがすどでかい波紋を投げかけた。しかし、何かへの衝突から沈没まで意想外に早かったとはいえ時間はあった。この時間で生死が分かれたのだ。

ところが飛行機がミサイル攻撃を受けて被弾しての墜落だ。落ちるまで何秒かの時。

御巣鷹山の墜落時には「迷走(ダッチロール)」という恐怖の時間が存在した。だから手帳に遺書を書き残した人もいた。

今回のマレーシア機は瞬間の墜落だったので携帯動画で様子を映した人もいないだろうし、メモも不可能。今ブラックボックスの捜索でロシアとウクライナ間で揉めているようだ。

今回の政治的複雑さは乗員の最も多い国がオランダだったということ。

ウクライナ情勢が混沌としている現在、ロシアとEU、ウクライナ問題と「世界の警察官」アメリカ、或はマレーシアとの関係・・・

先ずは真相の究明が先決だろう。それには国連の強力な指導性が必要だろう。しかし今の国連にその力があるのかどうかよくわからない。

飛行機の怖さは事故に伴う生存率の低さだ。乗客はライフジャケットの着用はできるだろうがパラシュートではないので下が地面だったらどうしようもない。

民間機に軍用ミサイルを発射するとは言語道断の悪魔の所業といっていい。人間こうも凶悪無慈悲になれるものか

同じ人間の存在者として、自分のなかの潜在するかもしれない「悪」をじっくり見つめなおさねばならない。