おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

雨が空から降れば、思い出は地面に染み込む・・・

2009年09月30日 08時53分49秒 | 日記
今年ほど「気候変動」を実感したことはない。去年から九州に台風が来なくなったのだ。毎年のように9月、10月わが熊本にも2つ3つ大きいのが上陸ないし接近した。近年(10年スパンで)でも風速50mも2回ほど体感した。駐車場の屋根が強風に煽られて飛んでいく様、屋根瓦が木の葉のように飛んでいく様子を2階から眺めていたこともそんな昔のことではない。昔は「伊勢湾台風」とか「室戸台風」とか名前が付いていた。いつからか数字で表すようになっていた。勤務している幼稚園では、自然な中でじっくり遊ばせながらのびのびと育てていこうというコンセプトで運営しているのだが、その一環として泥んこ遊びがある。一角に赤土山(赤土を業者から購入する)があって、ここで園児はパンツ一貫、裸で泥だらけになって遊ぶ。パンツはちゃんと泥遊び用を持たせてあり、終わるとシャワーで泥を洗い落として着替える。一方、「泥だんご」作りに精を出す子もいる。赤土や砂を使ってだんごを作りこれを固めて、「さらこな」(子どもが土に含まれる小石を子ども用の小さなスコップで取り除き、細かい粉末状の土を作って、だんごに何度も何度も降りかけて磨いていく。そうすると不思議なことに変化が起こって、表面がつるつるになって輝き始めるのだ。「光る泥だんご」という。初めてこれを見た時には感動した。自分も子供時代を潜ってきたのだけど、全く覚えがない、経験がないのか忘れてしまったのかー。戦争が終わって、まだ5年いや4年かしか経っていなかったのだから、まだ復興途上の時期で余裕がなかったのだ、きっと。
この「さらこな」が実は旱魃の今年、異常な光景を生んだ。雨が降らないといっても子どもには関係がない。かえって喜んでいる。園庭では子どもが泥遊びに夢中。すると園庭、砂漠状態になってしまった。細粒上の土が風が吹くと舞い上がり、歩くと足元に纏わり付く。黒革靴はここを通るだけで真っ白、いつも穿いている黒いズボンも子どもと一緒に遊ぶのですぐ汚れてしまう。泥で汚れた手をすましてズボンにつける子が何人もるのだ。抱っこしてと飛び込んでくるので抱っこしてやると後は足跡が白く残ってしまう。今でもTシャツを3枚途中で着替えるし、ズボンも毎日洗濯してもらう。雨が降らないと子どもの「さらこな」製作が容易である。けれど、園庭は砂漠。毎朝早く出勤して、水を撒き枯葉を掃き、園児を迎えるのだが、水撒きの水は1時間も持たない。
昨日からやっと雨が降り、地面がしっとりしている。なんて久しぶりだろう。しかし雨量はたいしたことない。水は生命の源。地球も生物の身体も水分で作られている。飲料にも田圃にも畑にも、工場にも・・・適度の水は絶対必要なのだ。時には被害でリスクも生じるけど。
八ッ場も川辺も結局水の問題。難しいけどやはり、地球の恒常性を人為的に変えるような仕組みにはブレーキをかけた方がいいと思う外を見るともう雨は上がっている。
写真は、熊本城の薬げん堀をよじ登る子ども達。

機械音痴の僕にはデジタルリズムプログラマーのは無理?!!

2009年09月29日 08時54分27秒 | 日記
同じ阿蘇に住む音楽の友人が、家にお出でと誘ってくれたので、ある日お邪魔した。彼は、街で建築関係の重役さんなのだが、出身地が阿蘇で私の家の近く。元々農家で、広い田んぼや畑があって休みの日には耕作にも精を出しているという。この日は、自宅の部屋に作った録音スタジオと、ぶどう棚を見せてもらおうと頼んだ。その時、スタジオといっても田舎のこと、家と家とが離れているので防音装置は施していないという。PA,各種楽器(アコースティックギター、ベース、ドラムセット、マイクスタンド・・・)いろいろあってすぐにセッションができそう。楽器の真ん中に奇妙なものがあるので聞いた。これはリズムを打ち出す機械です。「○○○」その時名前も聞いたのだが、年を取るとすぐ忘れるのだ。ボタンを押すと正確なリズムをドラムの音で打ってくれる。こりゃあいいぞ!!「リズムがめちゃめちゃな僕にとって、矯正する強い見方になるぞー。よし俺も買おう!!それから、インターネットオークションを渉猟するようになった。そして、ある日それらしいものを見つけた。値段も手ごろな価格。早速入札。どうせ競り負けるに決まっている、ネガティブな僕は安全策で、何種か申し込んだ。ところがこれが大当たり。2種類のリズムマシンを落札。
昨日までに2つとも送られてきた。ところが、これが考えていたものと違うのだ。スイッチ入れたら何種類かのリズムが打ち出されてくるものと思っていたら、そうではない。どうも自分で音符を打ち込んで記憶させるという精密なもの(僕にとって!!)。お手上げである。年よりは無理はいかんのだ、自戒自戒。
自分らしく生ギター1本で勝負したほうがいいのかも・・・
シンセサイザーをいとも容易く操るミュージシャンあの小室や坂本龍一みたいな人尊敬するなあ。頭がいいのだろうな・・・まあしかし、この僕が今ではインターネットオークションもやって、ATMも操れるようになったのだから進歩だ。
写真は畑に地植えした苗の残りをプランター栽培しているホウレンソウ。

魂(たま)萌え・・・!

2009年09月28日 08時46分02秒 | 日記
桐野夏生の『魂萌え!』を読んだ。500ページに喃々とする大作だ。後で知ったのだが、毎日新聞の連載だったらしい。題名が現代風で新しい感じがして、つい買ってしまった。中身は59歳の妻が夫に先立たれ、何の心の準備も具体的な寡婦になってからの対策も講じていなかったために、茫然自失状態にあった。ところがある日、洋服ダンスの中から携帯の音がする。電話に出ると、何と夫の愛人からのものであった。そして、音信さえ途絶えていた長男が葬儀に帰ってきて、予想だにしなかった話をし始める。「父親が死んだのだから、子供として遺産の相続権が発生する。子供の正当な権利として、父親が残した貯金、保険金、家(家を売って処分する場合、売却した額の相当分)の相続を受けたい、と。頼りにしていた夫に突然逝かれ、ショックの中にある時、アメリカにいて知らぬうちに結婚もしていて、しかも子供までいる。そして、会ったことのない嫁を連れてきて、「じき帰国するつもりでいて、同居をしたい」。・・・次から次に展開する意想外の事態に、惑乱する。とうとう「切れて」、家出。行き先は近くのカプセルホテル。ここでも奇想天外のドラマが待っていた。そして、塚本という67歳の男との不倫。愛人との直接対面。そして、対決。ただ夫の後ろについていくだけだった女が夫死して後の短い期間に様々な体験を重ねることによって、次第に自分の意思をしっかり表明する強さを身に付けていく。
なにしろ、主人公が59歳という同い年。定年、第二の人生設計。どう生きていったらいいのかー。私にもやはりどこかに不安感が存在する。退職後の経済も万全ではない。頼りの年金も今後どうなっていくのか、恐らく減額が予想されるし、かといって再就職といっても難しかろう。身につまされる思いがあって、いっきに読み上げた。最後は結局、落ち着くところに落ち着いた感じがある。桐野は1951年生まれという。同年代だ。これが毎日新聞に連載されたという。どんな反応だったのだろうかー。
さっきネットで調べたら、TVのドラマにも、映画にもなっているというから、反響大きかったのだろう。
さて、長く雨が降らなかったので、畑の作物も可哀想な状態だ。週末、金、土、日の夕方になると1時間ほどかけて畑に丹念に水遣りをしたが、その水は地表10センチ位しか届かないという。今日、月曜日予報では雨というが今のところ降りそうではない。
写真は今年初めて作ったゴマの天日干し。近所の方からゴマの種をいただいたので、プランターで苗にして、間引きをやって畑に初めて植えた。うちはゴマをよく食べる。健康のためにさじ一杯のゴマを飲んだり、いろいろ食事に使う。今、サヤエンドウが実っているので、胡麻和えにして食べる。これは実に旨い。ただ、採り入れた後の、乾燥から混じっている泥土、ごみ、殻を取り除くのに苦労する。これは家内の役。しかし、初めての挑戦でこれだけ、収穫できたのは良かった。自然の恵みに感謝だ。家内が園芸評論家の柳生さんの講演会に行ってきた。野菜には育てる人とのコミニュケーションが必要で、足音を聞かせることによって思いが届くのだそうだ。現在、龍村仁の「地球(ガイア)のささやき」を読んでいるが、同じことが書いてあって、とても共感する。地球上を人間だけが独善的に生きていくことはできないのだ。共生と共感、作物の「こころ」が読み取れるようになるといいのだが・・・

ダイエット戦争?に白旗・・・

2009年09月25日 08時21分11秒 | 日記
人の遺伝子の中に、太る体質というものがあって若い時はいざ知らず、年をとると必ず自分の親の姿かたちに似てしまう。男系、女系があってそれぞれに似ていく。17年前に死んだ親父の姿に最近とみに似てきているなあと実感する。若かりし頃、親父が軍人だった時のもので、場所は中国だろうか軍刀を下げて、軍服で馬に跨っている。色褪せ黄ばんだ写真が残っている。スタイルも顔も凛々しくて格好がいい。私も実は20台まではそうだった。太ることなんて想像付かなかった。ところが結婚して一変。だらしなく飲む、食う、運動しない・・・あっという間だった、80キロ超えたのはー。その後、ジョギング始めて、ボーンと10数キロ減量したこともあるのだけれど、仕事が忙しくなってジョギングから遠ざかって行くにしたがって、体重も逆戻り。現在、174センチ(病院の測定では1センチ以上も低くなるが、174は絶対譲れない!!)で、81キロ。これがなかなか不変不動の数値になっている。本当は72,3が一番いいのだけど、落ちない。心臓を悪くしたけど、それでも変わらない。毎日歩いたり、少しだけど走ったりもするけど変わらない。これで定年退職してからの生活どうなるのか心配でもある。ビールは発泡酒のカロリーオフ、プリンタイゼロのやつを選んで飲んでいるし、滅多に肉も食わない・・・。水ばかり飲んでいても「太る体質」というものがあるのだろう。体重よりも健康であることの方がもちろん大切ではある。
この夏は、大腸と胃の内視鏡検査もやったし、昨日は頭部CT検査、さらに血液検査も行った。1年中病院ばかり行ってるみたい。まあしかし、病院に行くと年寄りの多いことったらー。自分もそうだがそれぞれ止むに止まざる事情(病気)というものがあるのだろう。健康に生きていけたら一番いい。PPK(ピンピンコロリ)もいい。だけど、必死の形相で公園を徒党組んで歩いている叔母さん達の姿を見るとどこか、違うよと思ってしまう。昨晩歩いていて、公園にさしかかったら、広場で数人のおばさんが集まっていて、円陣を組んでお腹を叩いている。腹筋を叩いて鍛えて健康に!別の公園ではやはりおばさんが数人、黙々と歩いている。旦那と思われる人が後ろに離れて付いていく。なぜだかナチの軍列行進を想起する。いつか健康とでかく書いた旗を掲げて、大人数で行進でも始まるのではないかー。日本人、これといったら、これしかない。猫も杓子も一目散に健康一番。 生きてる確かな実感、充実感が先のような気がする。さて自分に、確かに生きている充実感が在るだろうか?!!

シルバーウィークって、「敬老!!の日」からきてるの?

2009年09月24日 13時06分54秒 | 日記
5日間の連休もあっという間に過ぎていった。年を取ると時間の経過がだんだんと早くなっていく。完全5日の連休で、何をしようという計画もなく、ずっと山(南阿蘇)に籠もっていた。連休中、ここに車での道路でさえ混んでいたという。途中に”もえの里”という観光物産館があって、コスモス満開でも催し物をやっているということだった。連休=安・近・短の傾向が強くなっている証左。こんな辺鄙な場所まで訪ねてくれた友人の情報だった。
5日間何をしていたか?ずっと晴天続きだったので、百姓仕事ばかりで終わった。20日だけは誘われて、同じ南阿蘇にあるライブ喫茶(?)”ジャバ”で弾き語り7曲を歌った。馴染みの店、「尚廉」グループの何人かで訪れた。歌う曲は決まっている70年代のフォークソングばかりー。「教訓」、「生活の柄」、「I SHALL BE RELEASTED」、「まぼろしの翼と共に」、オリジナルなど。
ギターは愛用茶木のアコギを持っていったのだが、自分のギターを店に持って入る勇気がなくて、備え付けのギターだったので、失礼だが弦は伸びきっているし、サウンドホールの反響がなくて、うーんという感じだった。困ったのは12,3人入れば満席の小さな店なのだが、客全員がタバコすぱすぱで、途中頭が痛くなったので、早めに失礼した。
この連休中の畑仕事。遅れて作ったキュウリが収穫時で、毎日7,8本はとり入れる。茄子は殆ど終わったのでばっさり剪定して、秋茄子が実るのを待っている。トマト、しし唐、オクラ、レタス、ツルムラサキも好調。ゴマを収穫した後、家内がそれを干して叩いて実を落し、また干して・・・いい白ゴマができた。紫蘇も一杯作ったのでお隣さんから、その実の漬け方を伝授していただき、実に旨いものができた。今年、種からの苗作りに開眼したので、何種類か植えつけた。キャベツ、白菜、ブロッコリー、サヤエンドウ、春菊、ラディッシュ、白・赤の大根を地植えした。黒枝豆もそろそろ収穫時期なのだが、先日一部刈り取って食べたけど、まったく失敗作でほとんど食べられなかった。
秋ジャガの芽がなかなか出てこないのが心配。
百姓仕事は肉体的には疲れるのだが、時間を忘れる。生産の取り組みと収穫の結果がしっかり現れ出る。手抜きすると育たないし、こまめに手をかけるといい結果が出る。果物もブルーベリーはある程度収穫して食べたが、ぶどうは2、30粒。あとイチゴが5粒。なし、りんご、かきは全く実が生らなかった。
晴耕雨読をモットーにしているが、5日間すべて晴天だった。夜中、朝方に読書時間を置き、この休み読み上げた恩田陸の作品の読後感を少し。
『蒲公英草紙』という本だが、面白かった。恩田という人のプロフィールは知らない。以前1、2冊読んだ覚えはあるのだが、題名も忘れた。たしかサスペンスだった思うのだが・・・これはまったく違うものだった。現代流お伽草紙といったファンタジックなもので、なんだか懐かしく、夢があって一気に読み上げた。柳田國男の「遠野物語」をべースに、超人であり流浪の民”常野一族”の話。シリーズになっているようだが、人気があるのだろう。面白かった。
今、朝鮮王朝末期の后妃ミンビ(漢字変換できないのでカタカナに)の暗殺事件について書かれたノンフィクションを読んでいる。