今年ほど「気候変動」を実感したことはない。去年から九州に台風が来なくなったのだ。毎年のように9月、10月わが熊本にも2つ3つ大きいのが上陸ないし接近した。近年(10年スパンで)でも風速50mも2回ほど体感した。駐車場の屋根が強風に煽られて飛んでいく様、屋根瓦が木の葉のように飛んでいく様子を2階から眺めていたこともそんな昔のことではない。昔は「伊勢湾台風」とか「室戸台風」とか名前が付いていた。いつからか数字で表すようになっていた。勤務している幼稚園では、自然な中でじっくり遊ばせながらのびのびと育てていこうというコンセプトで運営しているのだが、その一環として泥んこ遊びがある。一角に赤土山(赤土を業者から購入する)があって、ここで園児はパンツ一貫、裸で泥だらけになって遊ぶ。パンツはちゃんと泥遊び用を持たせてあり、終わるとシャワーで泥を洗い落として着替える。一方、「泥だんご」作りに精を出す子もいる。赤土や砂を使ってだんごを作りこれを固めて、「さらこな」(子どもが土に含まれる小石を子ども用の小さなスコップで取り除き、細かい粉末状の土を作って、だんごに何度も何度も降りかけて磨いていく。そうすると不思議なことに変化が起こって、表面がつるつるになって輝き始めるのだ。「光る泥だんご」という。初めてこれを見た時には感動した。自分も子供時代を潜ってきたのだけど、全く覚えがない、経験がないのか忘れてしまったのかー。戦争が終わって、まだ5年いや4年かしか経っていなかったのだから、まだ復興途上の時期で余裕がなかったのだ、きっと。
この「さらこな」が実は旱魃の今年、異常な光景を生んだ。雨が降らないといっても子どもには関係がない。かえって喜んでいる。園庭では子どもが泥遊びに夢中。すると園庭、砂漠状態になってしまった。細粒上の土が風が吹くと舞い上がり、歩くと足元に纏わり付く。黒革靴はここを通るだけで真っ白、いつも穿いている黒いズボンも子どもと一緒に遊ぶのですぐ汚れてしまう。泥で汚れた手をすましてズボンにつける子が何人もるのだ。抱っこしてと飛び込んでくるので抱っこしてやると後は足跡が白く残ってしまう。今でもTシャツを3枚途中で着替えるし、ズボンも毎日洗濯してもらう。雨が降らないと子どもの「さらこな」製作が容易である。けれど、園庭は砂漠。毎朝早く出勤して、水を撒き枯葉を掃き、園児を迎えるのだが、水撒きの水は1時間も持たない。
昨日からやっと雨が降り、地面がしっとりしている。なんて久しぶりだろう。しかし雨量はたいしたことない。水は生命の源。地球も生物の身体も水分で作られている。飲料にも田圃にも畑にも、工場にも・・・適度の水は絶対必要なのだ。時には被害でリスクも生じるけど。
八ッ場も川辺も結局水の問題。難しいけどやはり、地球の恒常性を人為的に変えるような仕組みにはブレーキをかけた方がいいと思う外を見るともう雨は上がっている。
写真は、熊本城の薬げん堀をよじ登る子ども達。
この「さらこな」が実は旱魃の今年、異常な光景を生んだ。雨が降らないといっても子どもには関係がない。かえって喜んでいる。園庭では子どもが泥遊びに夢中。すると園庭、砂漠状態になってしまった。細粒上の土が風が吹くと舞い上がり、歩くと足元に纏わり付く。黒革靴はここを通るだけで真っ白、いつも穿いている黒いズボンも子どもと一緒に遊ぶのですぐ汚れてしまう。泥で汚れた手をすましてズボンにつける子が何人もるのだ。抱っこしてと飛び込んでくるので抱っこしてやると後は足跡が白く残ってしまう。今でもTシャツを3枚途中で着替えるし、ズボンも毎日洗濯してもらう。雨が降らないと子どもの「さらこな」製作が容易である。けれど、園庭は砂漠。毎朝早く出勤して、水を撒き枯葉を掃き、園児を迎えるのだが、水撒きの水は1時間も持たない。
昨日からやっと雨が降り、地面がしっとりしている。なんて久しぶりだろう。しかし雨量はたいしたことない。水は生命の源。地球も生物の身体も水分で作られている。飲料にも田圃にも畑にも、工場にも・・・適度の水は絶対必要なのだ。時には被害でリスクも生じるけど。
八ッ場も川辺も結局水の問題。難しいけどやはり、地球の恒常性を人為的に変えるような仕組みにはブレーキをかけた方がいいと思う外を見るともう雨は上がっている。
写真は、熊本城の薬げん堀をよじ登る子ども達。