9階にある南海ホークスメモリアルギャラリーに向かうと
立派なギャラリーを想像していたのだが、
思ったよりもずっと小ぶりで全面ガラス張りの施設、
実はエレベーターホール。
鶴岡監督のスタジアムジャンパー他
杉浦4連投で勝ち取った1959年のチャンピオンフラッグ他。
こちらは2度目の日本一に輝いた1964年のチャンピオンフラッグ。
1964年と言えば東京オリンピックが開催された年です。
背番号71は南海ホークス最後の監督となった杉浦忠のユニフォームです。
歴代の選手紹介(野手・投手・打者)
メモリアルギャラリーの外には、南海ホークスで活躍した選手の手形があった。
岡本伊三美
残念ながら現役時代は全く知らない。
本塁打王・門田博光
広瀬叔功
1978~1980年まで監督を務めた。
少し離れた場所にある、あぶさんでおなじみ水島新司の手形。
南海ホークスの全盛期を支えた一人で日本プロ野球史上屈指の名選手であった
野村克也の名前が一切無いのが寂しい。
現役時代を知らないですか?よく覚えていますよ。
この球場観客席が急傾斜だったんです。
出てくるかなと最後まで見ましたよ(笑)
関東は後楽園、神宮などで観戦しました。
今の選手は、記憶に残っていません
杉浦選手 すごかったですね
大阪球場の観客席は傾斜がきつくすり鉢球場と
言ってたと思います。
球団と野村夫人と色々あったようです。
今の投手は休みすぎですね。
杉浦といえば、受験時神宮で立教vs早稲田のオ-プン戦を観ました。
立教は投手が杉浦、三塁が長嶋、捕手が片岡、遊撃が本屋敷、
早稲田は一塁は木次、二塁が近藤、中堅が本橋だったかな?
あの試合では断然本屋敷(芦屋高校)→阪急は目立っていました。
今の様子を紹介していただいて興味深いです。
南海は強かったですね~
野村さんがいないのはさびしいですね。
阪急の本屋敷も覚えていますよ。
たですね。
南海時代の優勝回数は12回で日本一は2回で
したからね。
このギャラリーに野村がいないのは球団と野村
夫人と色々あったようです。