軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

花粉症

2024-04-05 00:00:00 | 日記
 子どもの頃からアレルギーには縁がないと思っていて、成人後も、周囲で花粉症を発症する人が出てきても、自分には関係のないことだと思っていたが、違っていた。

 広島・三次での単身赴任生活を終え、再び神奈川県の自宅に戻り、東京への電車通勤が始まったのは、1997年のことであった。

 自宅からはバスで最寄り駅まで行くのであったが、ある朝、混雑するバスの車内で吊革につかまっていると、突然水のようなサラサラの鼻水がドッと出てきた。それまでに経験したことの無いような感覚であったが、これが花粉症の始まりであった。

 勤務先の飯田橋のオフィスに着いてからも、この鼻水は止まらず、瞬く間にティッシュペーパーの箱が空になってしまい、その頃には鼻が赤くなり、ヒリヒリしてきていた。

 近くの薬局にティッシュペーパーを買いに行ったが、店員は私の赤くなった鼻に気づいたのか、少し高級なカシミヤタッチのティッシュペーパーを勧めてくれた。

 こうして、その後現在まで続く花粉症との戦いが始まった。この最初の日のことは今でもよく覚えているが、その後どのように推移し、対処してきたのか、今ではよく思い出せない。とにかくこの花粉症で医者に行って相談するということはなかった。医者嫌いということではないのだが。

 飯田橋での勤務はそう長く続かず、翌1998年には新潟・上越に再び転勤になって、それまでとは全く異質な仕事をすることになった。目まぐるしく環境が変化していたからだと思うが、この後上越で過ごした12年間ほどについても、花粉症症状にどう対処してきたのか記憶はない。症状が軽減していたのかもしれない。

 花粉症のことで医者に相談に出かけたのは、ずっと後になってからで、上越から、東京・浅草橋に転勤してからのことで2010年頃のことであった。症状が強くなり、我慢できなくなってきたからだろうと思う。

 ここで、初めて花粉症の治療薬を処方されて飲み始めた。しかし、この薬の影響は強く、飲んでしばらくすると朦朧となり、全くと言っていいほど仕事にならないことが判った。

 余りのことに、再び医師に相談に行き、その結果、薬の種類を変えていただいた。

 新しい薬は眠気も起きず、花粉症の症状も抑えることができたので、その後ずっとこの薬を処方してもらうことにした。浅草橋の勤務先で定年を迎え、軽井沢に定住するようになってからも、現在まで同種の薬を飲み続けている。

 ここ数年は、それまでは春先からゴールデンウィーク頃まで飲んでいた薬だが、秋にも症状が出るようになったので、年に2回、数か月間づつ、薬のお世話になるようになった。飲み薬に加えて、目薬・喉スプレー・鼻スプレーも常備して対応している。 

 この花粉症の主原因はスギ花粉とされていて、TVの報道番組などでもスギ花粉の飛散情報が出されていることは、ご承知の通りかと思うが、一向に有効な対策が打たれていないと感じていた。

 我が家のお茶の間会談では、これは国と製薬会社の陰謀に違いなく、国会議員には全員花粉症の人を選出して、この苦しみを知った上で、国として有効な対策を打ってもらわなければならないのではないか、といった過激な意見が出るようになった。妻ももちろん花粉症を発症している。

 そうした中、我々の秘密会談が盗聴されていたのか、昨年からだったと思うが、購読紙のニュースにも、政府が花粉症対策に乗り出したという記事が出るようになった。

 内閣官房ホームページを見ると、「花粉症に関する関係閣僚会議」のページがあり、次のように書かれている。

 「花粉症について、適切な実態把握を行うとともに、発生源対策や飛散対策、予防・治療法の充実等に、関係行政機関の緊密な連携の下、政府一体となって取り組むため、『花粉症に関する関係閣僚会議』を開催しています。 」

 とあり、いよいよ政府も本格的に花粉症対策に乗り出したようで、この閣僚会議は令和5年4月14日に第1回を開催し、現在令和6年2月1日の第4回会議を終えたところである。

 出席者は第1回が:岸田内閣総理大臣、松野内閣官房長官、野村農林水産大臣、西村環境大臣、永岡文部科学大臣、加藤厚生労働大臣、西村経済産業大臣、斉藤国土交通大臣、木原内閣官房副長官、磯﨑内閣官房副長官、栗生内閣官房副長官、藤井内閣官房副長官補

であったが、その後昨年末に発覚した派閥パーティー券収入の「キックバック問題」により、閣僚が次々と交替しており、第4回では、一堂に会することが困難になったためか、持ち回り開催となっている。

 第1回会議(2023.4.14)では、加藤厚生労働大臣から、次のような現状報告があった。

 「花粉症の現状について、関係学会の調査によると、花粉症の有病率は、2019年時点では、花粉症全体で42.5%、スギ花粉症で38.8%である。いずれも 10年間で10%以上増加している。 また、花粉症を含むアレルギー性鼻炎に係る医療費の推計は、保険診療で約3,600億円、市販薬で約400 億円となっている。・・・」

 また、野村農林水産大臣からは、次の発言があった。

 「我が国のスギ人工林の現状について、スギ花粉の発生源となるスギ人工林の面積は、全国で約440万ha であり、伐採の対象となる50年生を超えるものが5割以上を占 めている。これまでの花粉発生源対策について、花粉の少ない多様で健全な森林に転換するため、スギ人工林等の伐採・利用、花粉の少ない苗木等による植替えなどを行うとともに、スギ花粉の発生を抑えるため、スギ花粉飛散防止剤の開発支援 を行っている。・・・」

 他の大臣からの発言の後、最後に岸田首相から次の発言があった。

 「花粉症は、これまで長い間、各省庁で取組が行われて来たが、いまだ多くの国民を悩ませ続けている、我が国の社会問題と言えるもの。・・・ 以下の取組を対策の3本柱として、来年の飛散期を見据えた施策から今後10年を視野に入れた施策まで、対策の全体像を取りまとめてほしい。
 第1に、官民を通じたスギの伐採加速化計画の策定・実行、外国材から国内材への転換による
  需要拡大、花粉 の少ない健全な森林への転換などの発生源対策
 第2に、スーパーコンピュータやAIを活用した花粉飛散予報の抜本的改善や予報内容の充実、
  飛散防止剤の実用化などの飛散対策
 第3に、舌下免疫療法など根治療法の普及に向けた環境整備、花粉症対策製品等の開発・普及
  などの曝露(ばくろ)発症対策。 ・・・ 」

 第2回会議(2023.5.30)では、前回の会議で岸田首相が指示した3つの対策について各大臣から対応案が示された。
 野村農林水産大臣からは、
 1.発生源対策として、10年後の令和15年度には花粉発生源となるスギ人工林の431万 ha
   を約2割減少させることを目指して、取組を集中的に 推進する。・・・将来的には花粉発生
   量の半減を目指し、「花粉発生源スギ人工林減少推進計画」を速やかに策定し、着実に
   実行していく。・・・
   スギ苗木全体に占める花粉の少ない苗木の生産割合を現状の5割から9割以上に引 き上
   げる。・・・
 2.飛散対策としては、スギ花粉飛散防止剤の開発を促進し、5年後に実用化の目処を立て、
   速やかに実行することを目指していく。
 3.発症・曝露対策としては、花粉症の症状緩和を目指し、農研機構が開発したスギ花粉米に
   ついて、今後、医薬品としての実用化に向け、更なる臨床研究等を実施していく。

 加藤厚生労働大臣からは、
 1.発症・曝露対策として、花粉症の治療法のうち、特に対症療法では効果が不十分な方に
   対して根治が期待できるアレルゲン免疫療法に関する適切な情報提供を推進す る。
   また、アレルゲン免疫療法のうち、多くの方が選択されている舌下免疫療法について、
   年間の治療薬供給量を、現時点で同治療法を活用することが見込まれる患者の数も見越し
   て、今後5年以内に、現在の約25万人分から約100万人分へと増加させるべく、 治療薬
   の増産に向けた要請を行うとともに、体制整備への支援を実施していく。

 といった発言があり、これに対して岸田首相が、最後に次のように締めくくった。

 「花粉症は、これまで長い間、課題は指摘されて来たが、実効的な対策が行われず、未だ多くの国民を悩ませ続けている、我が国の社会問題と言えるもの。一朝一夕で解決す るものではなく、しっかりと将来を見据えて取組を着実に実行することが必要。 
 この社会問題に対応するため、まず第一に、発生源対策を強力に進める。我が国は、戦 時中に荒廃した森林について、国土保全や戦後の旺盛な木材需要に応える観点から、スギ人工林を造成して来たが、現在は花粉発生源の一つとなってしまっている。野村大臣においては、このスギ人工林について、林野庁の総力を挙げて、伐採・植え替え・利用の取組を抜本的・集中的に、加速してほしい。
 第二に、飛散対策として、林野庁・環境省で全国調査を実施しつつ、気象庁においてス ーパーコンピューターやAIを活用し、民間事業者による花粉飛散量の予測の精度向 上を支援する。
 そして第三に、発症・曝露対策として、アレルゲン免疫療法の治療薬の増産・治療環境 整備を進めるとともに、日々の予防行動について国民の皆様にしっかりと伝えていく。」

 また、この第2回会議では3本柱について、政府一丸となって取り組むとして、それぞれに対する工程表が示された。次のようである。



    
花粉症対策の3本柱の工程表(内閣官房 「花粉症に関する関係閣僚会議(第2回)」資料2から引用)

 花粉症への対策は、我々国民としてできることは、すでに取り組んできている。政府に最も期待したいのは、こうした対処をしなくてもよい環境づくりで、発生源対策ではないかと思う。これは国民レベルや民間レベルでは対処できないからである。

 その点について見ると、発生源対策には2つあって、1つは現在あるスギ人工林の伐採である。要は発生源を直ちに断ち切る方策である。我々としてはまずこれを望みたい。
 2つ目は長期的な展望に立ち、花粉の少ないスギに植え替える方策である。

 しかし、2本目と3本目の柱の工程表が3年計画であるのに対し、1本目の柱である発生源対策は令和15年度までと、10年計画になっていて、その目標を見ると、伐採によりスギ人工林を約2割減少させるとあり、将来的には花粉発生量の半減を目指すとなっている。

 改めて、この部分の対策について見ると、<現状>と<今後の取り組み>についての解説は次のようであり、伐採と花粉の少ないスギへの植え替えを合わせて、約30年後に花粉発生量を半減させると言う計画である。

 「<現状> これまでも、花粉発生源対策として、スギ人工林を伐採し、花粉の少ないスギ苗木や他樹種による植替え等を進めてきた。 花粉の少ないスギ苗木の生産量は10年前の約140万本から10 倍の約1,500万本へと飛躍的に伸び、全スギ苗木の生産本数のうち約5割を占めるまでに増加している。しかしながら、花粉の少ないスギ苗木による植替えは、これまでの累計でも約4万 haと、未だ全スギ人工林面積の1%以下の水準である。このため、花粉の少ないスギ苗木の更なる生産拡大が必要である。 また、人口がさらに減少していく中で、伐採や植替えを行うために は、生産性の向上とともに林業労働力の確保が課題である。 加えて、木材需要の約4割を占める建築分野において、建築基準の合理化、中・大規模の木造建築物プロジェクトや地域材を活用した住 宅整備の促進、輸出の促進などに取り組んで来たところであるが、スギ材需要の一層の拡大に向けた環境整備が必要である。 
<今後の取組> 10年後の令和15年度(2033年度)には花粉の発生源となるスギ人工林を前述の431万haから約2割減少させることを目指して、以下に掲げる取組を集中的に推進する。これらの取組により、スギ人工林由来の花粉が約2割減少すれば、例えば、花粉量の多かった今シー ズンであっても平年並みの水準まで花粉量を減少させる効果が期待できる。また、将来的(約30年後)には、継続した取組により花粉発 生量の半減を目指す。 」

 もっと花粉症に苦しんでいる国会議員の比率を増やさなければならないのではと感じる今回の「政府一体となった取り組み」である。

 この中でも取り上げられているが、花粉の少ないスギというものが見いだされて、植林されている。これは、平成4年に富山県の神社に植わっていたスギの中から初めて発見されたものだという。その後の研究で、スギの中には無花粉に関連する遺伝子を持つものが自然の中で一定の割合で存在することが分かり、また、その遺伝子を持つもの同士を人工交配させると、無花粉スギが生まれることがわかったという。


 上の写真では、明らかに花粉の少ない様子がわかる。こうしたスギ品種の割合を増やしていくことで、スギ花粉症の発生を根本から改善することを期待したいが、こうした遺伝子をもつスギ苗木の生産量は次図のようであり、急速に増えているように見えるが、絶対量でみると、全国のスギを置き換えるにはまだまだ時間を要するというのが実態である。先の説明の通りである。

 
 
 

 



  

 
 

 

  

 

 


 
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突然死?

2024-03-29 00:00:00 | 日記
 このところ、親類、友人、知人や著名人の突然の訃報に接することが多く、驚きとともに悲しみに襲われるのであるが、今回の話は人ではなく私が使用しているIT機器に関する話である。

 もう2年ほど前になるが、長年使い続けてきたパソコンが突然動かなくなり、自分ではどうにもならないので、近くにある家電量販店に急遽持ち込んだところ、電源系統の不具合で、古い機種なので修理も不能だという。

 すでに10年ほど使い続けてきた機種であり、仕方なく、あきらめることにして、その場で後継機の購入を決めたので、作業に大きな支障を来すことはなく、また旧機に内蔵されていたハードディスク2台については、専用のパーツが用意されていて、USB接続することで、今後も外付けのメモリーとして使えることが判ったので、そのパーツを注文して、新旧のパソコンと共に帰宅した。このパソコンについては切り替えが順調に進み、事なきを得て現在に至っている。

 もう一つ、パソコンではとても苦い思い出がある。

 新潟県の会社に転勤になって、少し経った頃、ヨーロッパに技術調査で出張する機会があった。この会社では、海外出張も特別な理由がない限り一人で出かける。

 この時は、オランダのアーネム(Arnhem)にある会社の社長NM氏と技術的な面談を行い、その後続いてオランダ・アイントホーヴェンの会社とスイス・バーゼルの会社を訪問する予定であった。

 トラブルは、オランダのスキポール空港からアーネムに行く列車での移動の際に起きた。

 空港からアーネムまでは列車で1時間程度であるが、先ずアムステルダム行きに乗って、すぐに乗り換える必要がある。大きな旅行鞄と手持ちのアタッシュケースの2個の荷物を携えての移動であった。

 空港を出てすぐに、車内の少し離れた場所にいた2,3人のアラブ系と思われる浅黒い風貌の男性の視線に気が付いたが、そのまま乗り換え駅に下り立った。

 立体的に交差している別の路線のホームに移動して、アーネム行きの列車を待っている間、階段脇の低い壁際にアタッシュケースを置いて、それを塞ぐようにして大きい方の旅行鞄を置き、天井から下がっている列車時刻表をチェックしていると、先ほど車内で見かけた男性が話しかけてきた。

 XX駅に行きたいが、このホームでいいかと聞いてくる。今いるのがその XX駅なので、おかしいことを聞くんだなと思いながら、そのように伝えると、Thank you と言って去っていった。

 アッと思って振り返って荷物を見ると、旅行鞄の後ろに置いてあったアタッシュケースが無くなっていた。

 周りを見回しても、もう先ほどの男性も、一緒にいたと思える別の男性の姿もない。あたふたとしていると、異変に気が付いたのか、別の一人の男性が、何かあったのか?と話しかけてきた。事情を話すと、駅の事務所に行って、被害届けをするといいと教えてくれた。

 そこで、階段を降りて事務所を探し、事情を話して盗難品の内容についての調書を作成した。そこで改めて気が付いたのだが、アタッシュケースの中にはビジネス用品の全てが入っていた。ノートパソコン、カメラ、名刺、筆記用具をはじめとして空港で両替した少額の外貨と不要になった日本円、それとトラベラーズチェックも入れてあった。これらすべてが一瞬にしてなくなってしまった。

 幸い、冬のことで背広とコートの内ポケットに、クレジットカードの入った財布(現金はない)、パスポート、航空券、手帳とボールペン1本があり、空港駅で買ったアーネムまでの切符はコートのポケットにあった。

 調書を提出して、再びホームに戻り、列車でアーネムに向かったが、この先どうしたものかと、頭がいっぱいになった。

 アーネム駅に下り立ったものの、ホテルまではタクシーで行くつもりであったので、ホテルの場所は確認していない。現金がなく、タクシーにも乗れないので、駅周辺をしばらく歩き回り、ホテルを見つけようとあてもなく探してみたが、全く判らないので諦め、タクシー乗り場に向かった。

 タクシードライバーにホテル名を告げて、走り出してみると、2,3kmほど行ったライン川沿いに目指すホテルはあった。これでは、駅周辺を探しても見つかるはずがなかった。

 タクシードライバーに、事情を話して現金の持ち合わせがないことを告げ、待ってもらい、ホテルのフロントで同じように事情を話して、クレジットカードでのキャッシングを頼んだところ、快く応じてくれて、タクシー運賃を無事支払うことができた。

 翌日、予定通り訪問先にNM氏を訪問し、仕事を済ませ、昨日のできごとを話したところ、最近こうした事件が多発しているが、どうかオランダ人のことを悪く思わないでほしい、多くは移民の仕業なのだと教えてくれた。

 こうして、最悪の事態の中、残る2件の訪問を何とか終えて、帰国したのであったが、このパソコンの盗難には後日談がある。

 数か月後だったと思うが、アーネムのNM氏からメール連絡が入り、アムステルダムのパソコンなどを修理する業者から連絡があり、先に盗難に遭っていた私のパソコンが見つかったようだと伝えてきた。

 詳しく聞いてみると、修理を依頼された業者がパソコンの中身を点検していると、NM氏の会社名や名前が見つかったので、念のため連絡してきたのだという。

 盗難品であることを伝えて、私の代わりに、何とかNM氏のもとに取り戻せないかと相談したが、業者に迷惑がかかったり危険が及んだりするかもしれず、難しいだろうという。

 NM氏にまで迷惑をかけることは避けたく、仕方なく、業者にはハードディスク内の情報をすべて破棄するようにNM氏から依頼してもらい、パソコンを取り戻すことは断念したのであった。

 続く話題はプリンターである。プリンターが突然使えなくなった。機種はインクジェット型プリンターだが、最近文字が滲んで印刷されるようになっていた。セットアップ機能のひとつ、プリントヘッドのノズルチェックを行うと、6色ある色のうちで、黒だけが飛び飛びに印刷されている。そこで、ヘッドクリーニング操作を行うことで、この不具合は解消されることが判ったが、毎日のようにこの操作を行わないと、きちんと印刷ができないようになった。

 その後しばらく使っていると、この不具合は自然に解消して、ヘッドクリーニング操作をしなくても正しく印刷できるようになっていたのだが、4月からのショップ再開に向けて、多数の商品写真の印刷を行っていた所、突然警告音が鳴り、動作が止まってしまった。

 表示パネルには次のようなメッセージが出ていて、廃インク吸収パッドの吸収量が限界に達したので、メーカーの修理窓口に連絡して交換しなければならないという。


プリンターのエラー表示

 取扱説明書によると、このメッセージ表示については、「廃インク吸収パッドは、お客様による交換ができないため、〇〇の修理窓口に依頼してください。」と書かれている。

 通常、プリンターを使用していて、使えなくなるのはインク切れの時である。この場合はインク残量を示す表示があるので、予備のインクを用意しておくことで、突然の事態に対処できるが、今回は突然動かなくなり、何の操作も受け付けなくなってしまった。

 取扱説明書には、こうなる前に、「廃インク吸収パッドの吸収量が限界に近付いています。お早めに〇〇の修理窓口にご依頼ください。」との表示が出ると記されているが、私の場合この表示が出ることはなく、突然の交換指示であった。

 これまで何台ものプリンターを使ってきたが、この「廃インク吸収パッド」交換といった事態に至ることが無かったので、その機能をよく理解していなかった。取扱説明書の構造図にも当然記載がなく、どこに配置されていて、どのような構造の物かも全く分からない。

 そこで、ネットで検索をしてみると、たくさんの記事が見つかった。今回の私と同じような事態に遭遇した方々のものである。対処方法について示しているものも含まれている。

 その中の一つを参考に、プリンターの右前底面のビスを2個外すと、廃インク容器を取り外して、内部を点検することができた。次のようである。

プリンターから外した廃インク容器(サイズ:50mm x 105mm x 65mm)

 簡単な構造で、プラスチック容器の中に6枚のインク吸収パッドが装着されている。インクカートリッジ交換と同じ感覚で取り外すことができるので、別売の部品として購入できれば自分で交換できそうである。何故そうしないのだろうかといぶかしく思えるものであった。

 別のネット情報によれば、このパーツは、単に交換すればいいというものではなく、別途ソフトでリセットをかけなければ、プリンターは再起動しないという厄介なもののようである。

 こうなると、メーカー窓口に連絡をして、引き取り修理を依頼するしかないが、印刷作業をその間中断することがためらわれたことと、以前からショップの業務用として別機種の購入を検討していたこともあるので、現在のプリンターは少々時間をかけて修理することにして、新たに購入することを決断した。

 すぐに届けられたプリンタを開梱すると、本体の他に、セットアップ用のインクカートリッジと共にもう1個小箱が付属していた。その箱の1つの面には「メンテナンスボックス」と書かれていて、裏面には装着方法の絵も描かれている。


新規に購入したプリンターの付属品のメンテナンスボックス

 取扱説明書にも「消耗品の交換」として「メンテナンスボックスの交換」の項があり、次のように書かれていて、上記の小箱に描かれているのと同様の説明図が記されている。このメンテナンスボックスとは「廃インク容器」のことであった。

 「メンテナンスボックスは、クリーニング時や印刷中に排出される廃インクを溜める容器です。操作パネルの画面にメンテナンスボックスの空き容量不足のメッセージが表示されたときは、新しいメンテナンスボックスを用意してください。交換の案内が表示されるまで印刷できます。交換のメッセージが表示されたら新品と交換してください。」

 この機種では廃インク容器が一杯になった時、ユーザーが交換部品と交換して印刷を継続できるように配慮されていた。

 これが正しい姿であろう。メンテナンスボックスという不明瞭な表現を用いているところに、このメーカーの姿勢がにじみ出ているし、従来機種で同じことができなかった理由は何だろうかと考えてしまう。

 このプリンタのケースでも、別機種の購入という、強硬手段での解決ということになってしまった。

 さて、こうしてストレスの溜まる状況に見舞われている時に、更なる突然死症候群が出現した。

 新潟時代からお世話になってきた、地域ネットワークサービス会社から、次のようなサービスの終了連絡が赤色でメーラー画面に表示された。

メーラー画面に突然現れたシステム管理会社からのサービス終了の連絡

 このメールサービスはかれこれ20年ほど使い続けているもので、有料であるが、新潟を離れてからも、関係者にメールアドレス変更で迷惑をかけることを避けるために使い続けてきた。送受信したメールの総数は数万件になる。

 「サービス終了のお知らせ」内容は次のようである。

 「コミュニティーサイトとして、ご利用いただいておりましたXXXX(〇〇コミュニティエリアネットワーク)サービスにつきましては、2024年8月29日をもちましてサービス提供を終了させていただくこととなりました。
 長きに渡りご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。
 詳細は こちら をご確認ください。」 

 このお知らせと共に次の文が添付されていた。

 「XXXXサービス終了のお知らせ
 日頃より XXXX サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 コミュニティーサイトとして、ご利用いただいておりました XXXX(〇〇コミュニティエ リアネットワーク)サービスにつきましては、2024年8月29日をもちましてサービス 提供を終了させていただくこととなりました。 システム自体の老朽化も進み、今後も安定的にサービスを提供することは困難との判断 に至りました。ご理解賜りますようお願い申し上げます。 これまで⾧きに渡りご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。

 記 1.提供終了サービス: XXXX(〇〇コミュニティエリアネットワーク)サービス 
     2.サービス終了日:2024年8月29日(木) 
     3.データ退避について 回覧板等に添付されたファイルデータ、ファイル倉庫に格納された必
            要なデータはご 利用者様にて退避するなど対処をお願いいたします。 回覧板への書き込
            みコメント、添付データ等含め全てのデータについて個別のデータ 抽出等の対応はでき
     ません。予めご承知おきをお願いいたします。 
     4.お問合せ先 XXXX ご相談窓口 (XXX ネットヘルプデスク) 電話番号:XXX-XXX-XXXX」

 さて、どう対処したものか考えることになった。この件は突然の連絡ではあるが、完全終了までまだ数か月の時間的な猶予はある。その間に対処法を考えるなり、心構えをすることができる。

 こうしたサービス提供の終了の話は時々聞いていたことだが、やはり利用者としては受けるダメージは大きい。日頃から、こうした事態への心構えや、備えをしておくことが必要なのだろう。

 当ブログについても、同じことが言えるのだろうと思う。開始からすでに9年目、基本毎週1回の投稿だが、特別版もあるので、記事数も766件になっている。1回の平均文字数を5000字とすると、累計で400万字ほどを書き続けてきたことになる。

 このブログのサービス終了と、自分自身の寿命が尽きるのと、どちらが先なのだろうかなどと考えさせられてしまう。こうした点についても、そろそろ終活が必要なのだと思い知らされる出来事の数々であった。




 
 



 

 
 

 

 

 

 

 
  
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シルバーカトラリー

2024-03-22 00:00:00 | 日記
 日本人には"箸"という便利なものがあって、家庭での食事の際にはこれでほとんどの場合、用が足りてしまう。日常生活における食事では、カトラリーを使うのは、カレーライス、オムライスやチャーハンをたべるときのスプーンくらいだろうか。

 先日、テーブルウェア・フェスティバルを見に行ったので、その時のことは当ブログでも紹介したが、ここでの大賞・経済産業大臣賞をはじめとする受賞作品を改めて紹介すると、次のようであった。

テーブルウェア大賞、大賞・経済産業大臣賞受賞作品(2023.12.6 撮影)

テーブルウェア大賞、最優秀賞・東京都知事賞受賞作品(2023.12.6 撮影)


テーブルウェア大賞、優秀賞受賞作品(2023.12.6 撮影)

テーブルウェア大賞、佳作受賞作品(2023.12.6 撮影)

 これら受賞作品を見ても判るように、家庭での食事をテーマとしたテーブルセッティングで、金属カトラリーが使用されるケースは少なく、もっぱら箸がつかわれている。

 一方、結婚式などのフォーマルな場では、フランス料理などの洋食が提供されることが多く、こうした場では多種類の金属カトラリーがテーブルにセットされるので、何をどのように使うのか、戸惑うこともある。そうしたこともあってか、子供たちが高校を卒業するころに、テーブルマナーを学んだりするケースもあると聞いている。


フォーマルなディナーのテーブル・セッティングの例(米国カトラリー販売会社のサイトから引用)

 家庭でも、招待客を迎えての食事や、パーティーを開いたりする場合にはやはり金属カトラリーを用いることが多くなることから、金属カトラリー一式を揃えるケースも増えてきているようである。

 欧米では、結婚のお祝いにカトラリーセットを贈るといったことも行われているとされる。

 私のアンティーク・ガラスショップにも、少しだけ金属カトラリーを置いてきたが、その中でも純銀製のティースプーンを中心に、お買い求めいただくことが時々でていたので、この春のショップ再開に合わせて、純銀製(スターリングシルバー、SS)および銀メッキ製(シルバープレート、SP)カトラリーの品ぞろえを進めてきた。一部を紹介すると、次のようである。

柄部分にエングレーヴィングによる美しい装飾加工があるバークス社(アメリカ)製アンティーク・カトラリーセット(SS、1914年からのモデル、8人用のケース入りセットから)

日本人にも使いやすいサイズのジョージ・ジェンセン社(デンマーク)製カトラリー・セット(アカンサス、SS、布袋入りの6人用セットから)


日本でも人気のクリストフル社(フランス)製カトラリーセット(40ミクロンSP)

日本人にも適した組み合わせのストラチャン社(オーストラリア)製カトラリーセット(30ミクロンSP、ケース入り6人用セットから)


アンティーク・フィッシュカトラリーセット(メーカー・制作年代不詳SP、 12人用木箱入りセットから)

英国製アンティークのフィッシュナイフ・フォークサーバーセット(SP)

 日本での食事シーンを想定すると、ナイフ、フォークとスプーンが基本で、これにサラダ用フォーク、スープ用スプーンやケーキ/デザート用フォークとティー/コーヒースプーンがあれば先ずは十分かと思う。

 ちなみに、国内メーカーの製品サイトには、次のような12種類が紹介されている。


主なカトラリーの種類とサイズ(山崎金属工業のHPから引用)

 これに対して、欧米のカトラリー販売会社の解説などにはより多くの種類が紹介されている。次の例では19種類の、更に様々な用途の物が揃っている。サイズの明示はないが、長さは相対的な図となっているので推定できると思う。また、ここでは国内メーカーと呼称も一部異なっている。




米国のカトラリー販売会社のサイトに見られるカトラリーの種類と呼称

 このほか、カトラリーの本には、フォークとして、フィッシュフォーク、フルーツフォーク、デザートフォーク、ペストリーフォーク、ロブスターフォーク、スネイルフォーク、オイスターフォーク、シーフードフォーク、サーディーンフォーク、ブレッドフォークなどが、ナイフでは、フィッシュナイフ、フルーツナイフ、バターナイフ、チーズナイフ、サラダナイフ、ブレッドナイフなどが、そしてスプーンには、ソーススプーン、ブイヨンスプーン、シトラススプーン、フルーツスプーン、アイスクリームスプーン、キャビアスプーンなどの名前が見られ、実に様々なものが用意されていることがわかる。

 ハンドル部に金属以外の材質、象牙、骨、角、真珠母貝、木を用いたものも知られており、特に真珠母貝(マザーオブパール)を用いたものは美しく、純銀部との相性が良いと感じる。

 当ショップでは純銀製(92.5%のスターリングシルバーが主体)と純銀メッキ(洋白製をベースに銀メッキされたものが主体)を店頭で紹介しているが、その良さはやはり外観の白さである。銀はあらゆる金属の中で最も反射率が高く、可視光線を98%反射するので白く美しい。

 次の表は理科年表に示された金属の分光反射率で、人間の目が感じる明るさに近い波長0.55ミクロンで比較して、銀が最も高く97.9%、次いでアルミニウムが91.6%、金が81.7% である。

 日常使いのカトラリーの大半はステンレス製であると思うが、反射率は60%前後とされているので、その差は大きい。
 

金属の分光反射率(理科年表から引用)

 この銀製品も、空気中の硫黄と反応して黒っぽく変化するという欠点がある。特に当地は、浅間山からの噴気の影響で、空気中の硫黄成分が多いために変化のスピードが速いように思える。

 だだ、この表面の黒ずみも、専用のペーストを布に付けて拭き取ったり、銀磨き用液体に数秒浸漬することで簡単に落とすことができるので、それほど気にはならない。人によっては、この作業がいい気分転換になるという人もいる。 

 外観だけを見ると、純銀(SS)と銀メッキ(SP)の差はないが、耐久性についてはこの作業のことを考えると注意を要する。

 銀の表面に自然に形成されるこの硫黄との反応層の厚みについての詳しいデータは手元にないが、十数原子層から厚くても数十原子層だと推定されるので、仮に10nm程度の厚さになると色変化して、気になり始めるとすれば、以下のような計算で、銀メッキ層の耐久性が推定できる。

着色層の厚さ:10nm(= 0.01ミクロン)
月に1回クリーニング
    1年間に減る銀メッキ層の厚さ:0.01x12=0.12 ミクロン
  10年間に減る銀メッキ層の厚さ:1.2ミクロン
100年間に減る銀メッキ層の厚さ:12ミクロン
 
 国内で洋白銀と呼ばれている製品は洋白(銅、亜鉛、ニッケルの白色合金)をベースにして、その表面に銀メッキを施したものであり、メッキ層の厚さはメーカや商品により異なるが、おおむね、2ミクロンから4ミクロン程度とされる。

 一方、欧米の製品ではメッキ層の厚さは、その品質基準が定められていて、33ミクロン以上あるのものをA1クラスと呼んでいる。

 英国のMappin & Webb 社ではこれをマッピンプレートと称して、そのメッキ層の厚さを保証しているし、フランスのChristofle France 社やErcuis 社ではそれぞれ、40ミクロンおよび33ミクロン以上と公表している。

 このように国内製品とヨーロッパ製品とでは、銀メッキの厚さに大きな差のあることが判るが、これはおそらくは日常的な使用頻度から来る耐久性への要求レベルが異なるためと思われる。

 激しくこすれ合うような、お玉のような使い方をすると別だし、研磨剤入りのペーストで磨いたり、深い傷をつけたりするともちろん事情は異なるが、通常の家庭での使用の場合には、国内製品でも十年から数十年の使用に耐えるものと思えるし、ヨーロッパ製品では親から子供、さらに孫の代にまで引き継いでいっても、メッキがはげ落ちるという心配はないと言える厚さであることが理解される。

 実際、製品の基本的な品質も加味してのことであるが、純銀製のカトラリーと、高級な銀メッキ製品のカトラリーの市場価格には、使用されている銀の量ほどの差がついていないのが実態である。

 日本のカトラリー市場規模は欧米に比べると、とても小さいと推定できるが、製造技術では決してひけを取らず、むしろ凌駕していると言える事実があるので、紹介しておきたい。

 それは、ノーベル賞の晩さん会で使用されているカトラリーである。1991年に、ノーベル賞創設90周年記念として採用されたカトラリーセットは日本製である。

 次の写真は、その製造メーカーである山崎金属工業のHPから引用したものであるが、当ショップも、当面非売品扱いとしていくが、同製品を保有している。

ノーベル賞晩さん会で使用されている山崎金属工業製のカトラリー(GP, SP 同社HPより)

 これまで紹介してきた銀製品や銀メッキ製品を実際に手に取って見ていただき、その良さを実感して、使っていただければと思っている。 


 

 




  

 
 


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雨氷

2024-03-01 00:00:00 | 日記
 2月22日の朝、いつもは散歩に出かける時刻であったが、寒い日だったのでぐずぐずしているところに、妻がやってきて、外の景色が何だか変だという。

 窓のブラインドを開けて、庭のもみじの木を見ると、小枝が凍り付いていて、所々に小さなつらら状の氷がぶら下がって見える。

凍りついたモミジの枝先(2024.2.22 撮影)

凍りついたドウダンツツジの枝先(2024.2.22 撮影)

太めの枝にはつらら状の氷ができている(2024.2.22 撮影)

モミの木にできたつらら状の氷(2024.2.22 撮影)

 これは雨氷というものだと妻が何かで調べたらしく、教えてくれた。これまで、霧氷とか樹氷という語は聞いていたが、その違いもよく分からないし、雨氷という語になると聞いた覚えが無く、その違いは何だろうかということで、ウィキペディアで調べてみた。

霧氷(むひょう、英: rime)は、着氷現象の一種で、氷点下の環境で樹木などの地物に付着して発達する、白色や半透明で結晶構造が顕著な氷層の総称。
 過冷却にある霧粒子や雲粒子(着氷性の霧)によるものと、空気中の水蒸気の昇華によるものがある。樹氷、粗氷、樹霜の3つに分類される。
 霧氷は気泡を多く含むため、密度は 0.2 - 0.3 g/cm3程度。

 樹氷(じゅひょう、英: soft rime)は、過冷却水滴からなる濃霧が地物に衝突して凍結付着した氷層のうち、白色で脆いものをいう。
 気温−5 ℃以下の環境で風の弱いときに顕著に発達し、気泡を多く含むために不透明で、白色を呈する。小さな粒状の氷が無数に凝集する構造で、手で触ると簡単に崩れるほど脆く、樹氷が付着している物体を揺らすと簡単に落ちる。

 粗氷(そひょう、英: hard rime)は、過冷却水滴からなる濃霧が地物に衝突し、凍結付着した氷層のうち、半透明のものをいう。樹氷よりも硬いが、大抵は手で触ると崩れる程度の脆さである。樹氷に比べ氷の粒が大きく、粒同士が融合して大きな氷の塊を形成する場合もあるが、気泡を多く含むため透明にはならず半透明にとどまる。

 樹霜(じゅそう、英: hoarfrost)は、空気中の水蒸気が昇華して樹枝などの地物に付着した樹枝状ないし針状の結晶である。観察すると、球状霧粒の混じることもあるが、針状や板状、柱状など結晶のはっきりした性状が目立つものが多い。
 霜と同じ原理であるが、層状に発達し、特に樹木などに付着したものをこう呼ぶ。霜は地面付近の地物に多く付くのに対して、樹霜は高い枝にも付く。樹氷と樹霜の判別が難しいことがあるが、霧がなかった場合にはふつう樹霜と考える。

 雨氷(うひょう、英: freezing rain)は、0℃以下でも凍っていない過冷却状態の雨(着氷性の雨)が地面や木などの物体に付着することをきっかけに凍って形成される硬く透明な氷のこと。着氷現象の一種でもある。
 地物の温度が0℃以下またはわずかに上回るときに生じ、こちらは密度 0.8 - 0.9 g/cm3程度になる。」
 
 粗氷や樹霜という語まで登場したが、樹氷、粗氷、樹霜は、霧氷の一種で、どれも氷の密度は比較的小さなもので、白色から半透明の外観になるが、雨氷は密度が高く、硬く透明だとされる。

 庭の木の枝を包むようになっている今回の氷を見ると、透明で硬そうに見える。確かに雨氷である。

 雨氷をつくり出す、前記の着氷性の雨が発生する条件は、地上気温が0℃からマイナス数℃の狭い範囲であり、上空に適度な厚みの逆転層が存在することが必要なことから、ごくありふれた現象である雨や雪と比べて、雨氷は目にする機会が少なく、発生頻度も低いため、珍しい気象現象とされている。

 ちなみに、よく似た語には流行歌の題名でも知られる「氷雨」というものもあるが、ウィキペディアによるとこちらは、次のようである。

氷雨(ひさめ、ひあめ)は、空から降ってくる氷の粒のこと。あるいは、冬季に降る冷たい雨のこと。気象学で定義された用語ではない。 」

 結局、この日は散歩を止めて庭で雨氷の写真撮影をしたが、曇天で外気温が低いままであったためか、この雨氷は終日溶けることなかった。

 見ているとなかなかきれいな雨氷であるが、軽井沢を発着する「しなの鉄道」には大きな被害をもたらしていたことが、夕方のTVニュースで報じられた。



雨氷による架線凍結の影響で終日運休となったしなの鉄道の様子を伝えるTVニュース(2024.2.22 TV放送画面を撮影)

 この雨氷は硬く、簡単には除去できないため、作業者が手作業で取り除かなければならず、その作業が困難を極めたため、しなの鉄道はこの日から2日半にわたり運休することになり、運転を再開したのは24日の昼近くになってからであった。

 自宅付近の電線をみると、24日の朝もまだ、しなの鉄道の架線に着氷したものと同様の小さなつらら状の雨氷が見られたが、やがて天候の回復と共に溶けていった。

 しなの鉄道の発表によると、雨氷による運休は2010年以来とのことで、軽井沢でも珍しい現象であったことがわかる。

3日目の朝もまだ電線などには雨氷が残る(2024.2.24 8:55 撮影)

雨氷がほとんど消えた電線など(2024.2.24 11:16 撮影)

 鉄道には大きな被害を及ぼすことになった雨氷であるが、景色としてはなかなか珍しく、美しく思えたので、発生の翌日、小雪がちらついている中、いつもの朝散歩に出かけ、雲場池周辺の木々に付着した雨氷とその上に降り積もった雪の様子を撮影した。

 先ずは自宅周辺で見かけた雨氷から。雨氷のサイズ(つらら状の雨氷の直径など)は付着物によらずほぼ一定の大きさであることが判る。






自宅周辺の人工物などに見られた雨氷(2024.2.23 撮影)

 続いて雲場池周辺の木々の雨氷。





















雲場池周辺の木々に見られた雨氷(2024.2.23 撮影)

 曇天が続いたこともあり、電線や家の周りの人工物の雨氷は溶けて、消えていったが、雲場池周辺の木々の雨氷は25日まで残っているのが見られた。

 翌26日の朝は快晴となり青空が見られるようになり、この間に降り積もった雪が解け始めたためか、雨氷がより太く、長いつらら状に成長していると思われる場所も見られた。途中経過を見ていたわけではないので、雨氷が一旦溶けた後に新たにできたものか、残っていた雨氷がさらに成長したものかは判然としないが。

快晴の朝の雲場池(2024.2.26 撮影)

ワインセラーの建物壁面のツタにできたつらら状の氷(2024.2.26 撮影)

 できることなら、次は雨氷の成長と消滅過程を観察したいところであるが、いつ見ることができるのか・・・。
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禁酒

2024-02-23 00:00:00 | 日記
 20年ほど前、上越市の会社に勤務していたころにお付き合いのあったMEさんから寒中見舞いの手紙が届いて、その文の中に次のような記述があった。

 「さて、私事になりますが、無事古希を迎えることができました。・・・
すこぶる健康なのですが、ここで大好きなお酒を止めることとしました。これまでの人生の中で、何よりも大切なのは健康であると痛感しておりますので、”時すでに遅し”と感じつつも、残りの人生を元気に過ごす端緒となればと思っています。今のところ禁断症状もなくあっさりしたもので、我ながら驚く次第です。・・・」

 この決断には拍手を送りたい。そういえば、最近出席している同期会や同窓会の席でも、お酒は飲みませんという人が次第に増えているように感じていた。ドクターストップの人は当然というか、仕方ないにしても、自らの意思で禁酒する人が、だんだんと増えているということなのだろうか。

 よく禁酒・禁煙と言われるが、禁煙の方は、明らかにたばこの害が言われていて、一般的にも理解が進んでいるが、酒の害となると、よく分からないし、改めて考えたこともなかった。

 実際のところどうなのか。昔から長い間、酒は「百薬の長」と言われていることもあり、適量の飲酒はむしろ健康のためには良いのではと思ってきたのだが、考え直してみることにした。 

 厚生労働省のホームページ(健康日本21・アルコール)から、我々世代の者についてのアルコールとの関係性についての記述を引用すると次の様である。

 「はじめに:我が国においてアルコール飲料は、古来より祝祭や会食など多くの場面で飲まれるなど、生活・文化の一部として親しまれてきている。一方で、国民の健康の保持という観点からの考慮を必要とする、他の一般食品にはない次のような特性を有している。

 (1)致酔性:飲酒は、意識状態の変容を引き起こす。このために交通事故等の原因の一つとなるほか、短時間内の多量飲酒による急性アルコール中毒は、死亡の原因となることがある。
 (2)慢性影響による臓器障害:肝疾患、脳卒中、がん等多くの疾患がアルコールと関連する。
 (3)依存性:長期にわたる多量飲酒は、アルコールへの依存を形成し、本人の精神的・身体的健康を損なうとともに、社会への適応力を低下させ、家族等周囲の人々にも深刻な影響を与える。

 アルコールに関連する問題は健康に限らず交通事故等、社会的にも及ぶため、世界保健機関では、これらを含め、その総合的対策を講じるよう提言している。 
 アルコールに起因する疾病のために、1987年には年間1兆957億円が医療費としてかかっていると試算されており、アルコール乱用による本人の収入減などを含めれば、社会全体では約6兆6千億円の社会的費用になるとの推計がある。これを解決するための総合的な取り組みが必要である。」

 ここまでは、アルコールのマイナス面が挙げれれている。ところが、『基本方針』の『アルコールと健康について』の項目を見ると一転、次のように述べられている。

 「わが国の男性を対象とした研究では、平均して2日に日本酒に換算して1合(純アルコールで約20g)程度飲酒する者が、死亡率が最も低いとする結果が報告されている。諸外国でも、女性を含め、近似した研究結果が出ている。
 これらのアルコールと健康との関係について正確な知識を普及することが必要である。」

 むしろ適切なアルコール類摂取の勧めととれる内容である。続く『現状と目標』の『節度ある適度な飲酒 』では実際に適量のアルコール摂取を勧めている。

 「前述したわが国の男性を対象とした研究のほか、欧米人を対象とした研究を集積して検討した結果では、男性については1日当たり純アルコール10~19gで、女性では1日当たり9gまでで最も死亡率が低く、1日当たりアルコール量が増加するに従い死亡率が上昇することが示されている。
 従って、通常のアルコール代謝能を有する日本人においては『節度ある適度な飲酒』として、1日平均純アルコールで約20g程度である旨の知識を普及する。
 なお、この『節度ある適度な飲酒』としては、次のことに留意する必要がある。

 1) 女性は男性よりも少ない量が適当である
 2) 少量の飲酒で顔面紅潮を来す等アルコール代謝能力の低い者では通常の代謝能 
    を有する人よりも少ない量が適当である
 3) 65歳以上の高齢者においては、より少量の飲酒が適当である
 4) アルコール依存症者においては適切な支援のもとに完全断酒が必要である
 5) 飲酒習慣のない人に対してこの量の飲酒を推奨するものではない 」

 飲酒が身体的、精神的、社会的な害があるとしながらも、むしろ健康で、正常な代謝能力のある者については、健康のために適量の飲酒を勧めているというのが日本の現状であることが判る。

 この適量は、1日当たりのアルコール飲料の適量の摂取量の目安として次のように具体的に示されている(一部筆者が計算)。

  ビール・・・・・・・・・・・中瓶1本500ml/アルコール量20g
  清酒・・・・・・・・・・・・1合180ml/アルコール量22g
  ウィスキー・ブランデー・・・ダブル60ml/アルコール量20g
  焼酎・・・・・・・・・・・・1/2合90ml/アルコール量25g
  ワイン・・・・・・・・・・・1杯240ml/アルコール量24g

 そうはいっても、厚労省のホームページの別の箇所(アルコール関連問題の予防、独立行政法人国立病院機構久里浜アルコール症センター 樋口 進氏)の記述には、ややニュアンスの異なる内容も紹介されているから、話はややこしくなる。

予防の大前提
この世からアルコール(酒)をなくすことはできない
米国における禁酒法の失敗が物語っている
酒とうまく付き合っていくしかない

 この原稿を書いているところで、厚労省から「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」が発表された(2024年2月19日付)と新聞やNHKなどの報道機関が一斉に報じた(2月21日)。余りのタイミングの良さに驚いたが、17ページにわたるこのガイドラインを読むと、当然ながら基本的な考え方は上記の内容と変わるところはない。

 ただ、今回のこのガイドラインには、より具体的に疾病ごとに発生リスクが高まる飲酒量を示した表が添付されているので、引用する。

厚労省「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」より(P6, 表1)

 次の表は同時に公表された海外のガイドラインで、表1とは数値の基準が異なるが、参考にはなる。


厚労省「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」より(P7, 表2)

 他方で、少し前になるが、海外の報道の中には、1日にわずか1杯でも飲酒をすると、寿命が縮まる可能性があるとした研究結果を報じるものもあるので、比較してみる必要があるようだ。( 2018年4月13日、BBCニュース )

 「・・・飲酒する60万人を対象に調べたところ、1週間に5杯から10杯のアルコール飲料を飲むと、寿命を最大6カ月短くなる可能性があると判明したという。

 研究によると、寿命を縮めるリスクはアルコール消費量が多くなるにつれて高まる。1週間に18杯かそれ以上を飲む人は、寿命を最大で5年失うという。

 専門家はこの研究が、軽い飲酒は健康に良いという説に異議を唱えるものだと話している。・・・」

 こうなると、本当はどうなんだろうかと疑いたくなるのだが。さて、先の厚労省のサイトでも触れられているように、過去を振り返れば、飲酒を国家が統制しようとした例が多く存在するし、もちろんよく知られているように宗教上の理由で、現在も飲酒を禁じている国は多い。

 アメリカでは1920年頃には有名な禁酒法が制定された時代があった。そのほかにも古くは17世紀にオスマン帝国で禁酒令が制定されており、かのソ連でも禁止されたことがあって、これまでの国家による禁酒法制定や、禁酒令には次の様なものがある。


過去に禁酒令の出された国とその期間

 こうした禁酒令や禁酒法はどのような理由で決められたのであろうか。アメリカ(米国)での禁酒法について見ると、背景には宗教の戒律で飲酒を禁じているケースもあって、もともと道徳的な面で禁酒する風土は存在していたとされる。

 これに加えて禁酒運動の盛り上がりがあり、その目的は、多くの禁酒派団体が訴えていた、アルコール中毒や犯罪などのトラブルの発生を減らすことや、家庭内暴力や健康被害、治安悪化を減らすことなどであった。

 こうした強い圧力のもと、1917年12月、禁酒法を施行するために、アルコール飲料全般に関する禁止事項を記した憲法修正第18条の追加が議会で可決され、その後、各州の批准や法律の具体的な内容の調整が行われ、禁酒法(ボルステッド法)が1919年に確定公布、1920年1月より施行となった。

 消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が法律により全面的に禁止された。しかし、ボルステッド法はアルコールの販売を禁止したが、法律を強制することはほとんど行われなかったとされる。

 一方、飲酒に対する国民の要望は根強く、またよく知られているように、無許可で酒を製造販売することで、マフィアの資金源となるなど、 社会的な弊害のほうがむしろ多くなるといったことから、この法律は1933年に廃止されるに至っている。この法律制定が失敗と評価される所以である。

 世界各国の一人当たりのアルコール消費量と国民の平均寿命を調べてみたが、直接的な相関は見られず、正常な範囲での飲酒はやはり個人の判断に委ねられるべきものと言えそうである。


国の一人当たりのアルコール消費量と国民の平均寿命(公開資料を参考に筆者作成)

 酒は飲むべし、飲まれるべからず

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