毎月の大阪行きを利用し、大阪ではあちらこちらの博物館、美術館を訪問しているが、今回は途中下車をして、静岡県掛川市にある資生堂アートハウスで開催されていた香水瓶などの展示「ヴィンテージ香水瓶と現代のタピスリー/ラリックとバカラを中心に」(2018.4.10-6.24)を妻と共に見学した。
香水については、小学生の頃親しかった同級生のA君の家が、化粧品店を開いていて、そこに行くと店先に香水サンプルがいくつも置かれていて、見せていただいた思い出がある。
それぞれ小さなガラス瓶の中に香水が入っていたが、何故かその中で「ヘリオトロープ」という名前が印象的であった。
今改めてその「ヘリオトロープ」について調べてみると、これはペルー生まれの植物の名前で、フランスの園芸家が1757年にペルーからパリの王室の庭園に種子を送り、ヨーロッパに伝えたとされる。その後アメリカや他の国に伝えられ、日本には明治時代に伝わり、栽培されている。
この「ヘリオトロープ」が香水の名前として用いられ、明治30年に日本に初めて入ってきた香水として有名であり、夏目漱石の小説「三四郎」にも登場する。もしかしたら、学生時代に読んだこの本のこともあって、私の記憶に強く残っているものかもしれない。
記憶に残る2番目の香水は「シャネル5番」である。これは大学時代の友人Yさんから海外生活のお土産としていただいた。このことがきっかけになり、その後私も仕事で海外に出かけることがあると、必ず香水を1瓶お土産に買って帰ることが習慣になった。たいていは機内販売で、その時々の新製品を選んでいたように思う。そんな訳で、自宅には未使用の香水が結構溜まっていた。
こうしてたくさんあった香水だが、その後娘がやってきた折に、孫が通っている幼稚園のバザーで販売するのにちょうどいいというのでほとんど持ち帰り、いまは手元には残されていない。
今思い返すと、これらの香水は、それぞれ意匠を凝らした瓶に入っていた。香水の中身についてはよく判らなかったが、選ぶときには、機内誌を見ながら、瓶のデザインが気に入ったものを選んでいたように思う。
今年、軽井沢でアンティークガラスショップを始めたが、扱っている商品はテーブルウエアがほとんどで、香水瓶は妻がたまたま仕入れた数点にとどまっている。
しかし、ガラス工芸の近代史の中では、テーブルウエアの中心であるリキュールグラス、ワイングラス、デキャンタなどと共に、香水瓶もまた重要な役割を果たしている。
今回、見学した資生堂アートハウスでの展示品は、現在ガラス器のメーカーとしては共に世界のトップにランクされているバカラ社とラリック社の作品が中心であるが、これらを見ていると、バカラ社は香水瓶の製造をとても大切にしてきたことがわかるし、ルネ・ラリックにいたっては、香水瓶製造によってガラス器メーカーとしてのスタートを切ったのであった。
さて、今回訪問した資生堂アートハウス、パンフレットには次のように書かれている。
「資生堂アートハウスは、1978年(昭和53)に開設しました。その後、2002年(平成14)のリニューアルを機に、美術館としての機能を高め、近現代のすぐれた美術品を収集・保存すると共に、美術品展覧会を通じて一般公開する文化施設として活動しています。
・・・当館の建物は高宮真介、谷口吉生両氏の設計によるもので、1979(昭和54)年度の「日本建築学会賞(作品)」を受賞しており、建物自体がアートとしての価値を有しています。」
資生堂アートハウス外観(2018.6.16 撮影)
また、今回の企画展「ヴィンテージ香水瓶と現代のタピスリー」の開催については次のように記されている。
「資生堂アートハウスでは、19世紀末から第二次世界大戦前を中心にフランスで制作された香水瓶と、1960年代から70年代にかけて国内で制作されたタピスリーの展覧会を開催いたします。
・・・
香水瓶は、フランスの装飾工芸家ルネ・ラリック(1860-1945)と、クリスタルガラスのブランド、『バカラ』が手がけた作品を採り上げます。アール・ヌーヴォーからアール・デコに至る時代、香水産業が飛躍的に発展するにつれて、一部の香水は現代では考えられないほどの贅を凝らした瓶やケースに入れられ店頭を飾るようになりました。その時代を代表する香水瓶の担い手が、ルネ・ラリックとバカラだったと言えるでしょう。・・・
本展ではラリックとバカラの代表作を約100点展示し、香水と香水瓶が真の贅沢を謳歌していた時代の片鱗を目の当たりにしていただきたいと思います。・・・」
資生堂アートハウスの企画展のパンフレット。上部5点は、ラリック作、下部の7点はバカラ作の香水瓶。
出品作品一覧によると、香水瓶の出品数は102点、その内バカラのものは42点、ルネ・ラリックのものは56点、その他が4点である。
バカラとルネ・ラリックの出品作品を制作年代別に見ると
1900-1909 バカラ・・・ 3 / ルネ・ラリック・・・ 3
1910-1919 バカラ・・・13 / ルネ・ラリック・・・35
1920-1929 バカラ・・・16 / ルネ・ラリック・・・14
1930-1939 バカラ・・・ 7 / ルネ・ラリック・・・ 4
1940-1949 バカラ・・・ 3 / ルネ・ラリック・・・ 0
である。
これらの中からいくつか作品を紹介させていただく。当日は来場者もまばらで、ゆっくりと鑑賞でき、また自由に写真撮影も行うことができた。
最初に紹介するのは、私だけではなく、日本人が最初出会ったという、あの「ヘリオトロープ」を入れた香水瓶。ゲラン社から発売されていた。瓶の製作者はバカラでもルネ・ラリックでもなく、特に示されていない。
1870- ゲラン社「HELIOTROPE BLANC 000(ヘリオトロープ・ブラン 000)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
ここには、次のような説明文が示されている。
「1870年代から第二次世界大戦後まで用いられた、ゲランの汎用香水瓶です。肩の部分に面取りを施しただけの角型の瓶で、栓は多面体のカットガラスです。
ここに見られるように、19世紀の香水瓶は薬瓶のように簡素な形状がほとんどでラベルを変えることによって、複数の香水に用いられました。この瓶が初めて作られた頃、ゲランのメゾンはRue de la Paix(平和通り)にありましたが、展示品のラベルには、1914年に移転し、ゲランが今もメゾンをかまえている、シャンゼリゼ通り68,Champs-Elyseesの住所がき記載されています。」
次に、バカラの香水瓶から。バカラ社についてはパネルに次の説明文が展示されていた。
《Baccarat / バカラ社について》
クリスタルガラスで知られるバカラ社は、1764年、ロレーヌ地方バカラ村に国王ルイ15世の勅許を得て設立されたガラス工場に端を発します。
その後に起きた革命の動乱や経営者の交代を経ながら歴史を刻み、現在ではフランスの奢侈産業を代表するブランドの一つとして、世界中に販路を広げています。
テーブルウエアや室内装飾品を主に生産していたバカラが、香水商の要請に応える形で小型香水瓶を手がけ始めたのは、1900年前後からになります。この背景には、19世紀に起きた香水史上の大変革がありました。一つは「合成香料」の開発、もう一つは香料の抽出法の革新であり、この結果、香水はこれまでになく豊かなヴァリエーションと生産量を獲得することになりました。フランスの香水産業は急速に拡大し、膨らんだ購買層は争って新しい香水を求めたのです。
香水瓶はそれまでの簡素な容器から逸脱し、ラベルや外箱とともに、収められた香水のイメージを高める重要な小道具となりました。さまざまなメーカーがその需要に応じる中、裕福な顧客を抱えた香水商が求めた高品質の容器を製造できる企業の代表が、バカラだったのです。
もともとバカラはテーブルウエアの一つとして、豪奢なデカンタ(酒類を小分けしておくための瓶)を製造しており、ここに用いられていた技術をそのまま香水瓶に転用することができたのでした。
同社の工場における香水瓶の一日の生産量は、1897年には150個だったものが1907年には4000個となり、10年間の間に実に27倍近くに増加しています。
その後バカラはさまざまな香水商やオートクチュールのメゾンと共に、歴史に残る香水瓶を次々に制作していくことになります。
ここでは、バカラを中心に、20世紀初頭からアール・デコの時代を経て、1940年代に至るまでに制作された名作の数々を展示します。」
バカラのコーナーでの最初の香水瓶は、香水商の要請に応えた最初のものと同型とされている作品。
1914-1917年 オリザ・ルイ・ルグラン社「CHYPRE MOUSSE(キプロス島の苔)」、「JASMIN D'ASIE(アジアのジャスミン)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
ここには、次のような説明文が見られる。
オリザ・ルイ・ルグラン社 「CHYPRE MOUSSE(キプロス島の苔)」、「JASMIN D’ASIE(アジアのジャスミン)」の香水瓶 1914-1917年 バカラ製 個人蔵
「バカラが、香水商の要請に応えて制作した初めての香水瓶は、ORIZA L.LEGRAND(オリザ・ルイ・ルグラン)の「VIOLET(ヴィオラ)」のための瓶(1889年)とされています。本作はこれと同型の瓶で、「VIOLET(ヴィオラ)」には金彩によって香水名や写実的な蜜蜂がえがかれていましたが、ここでは緑、青、黒のエナメル彩で円形の文様が表現されています。リズム感のある装飾はいかにもモダンな雰囲気ですが、瓶自体のデザインは19世紀の簡素な様式をよく伝えています。」
c1907年 ウビガン社「LE PARFUM IDEAL(ル パルファム イデアル)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
左:1908年- ゲラン社「Cuir de Russie(ロシア皮)」の香水瓶
右:1911年 ゲラン社「L'HEURE BLEUE(ルール ブルー)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1911年 ヴィオレ社「VALREINE(蜜蜂の女王)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
左から:1921年 フォンタニス社「JASMIN FONTANIS(フォンタニスのジャスミン)」
1912年 ドルセー社「TOUJOURS FIDERE(いつも忠実)」
1913年 グルノーヴィル社「BLEUET(矢車菊)」
1912年 ドルセー社「LEURS AMES(彼らの魂)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
左:1919年 ウビガン社「SUBTILITE(シュブティリテ)」の香水瓶、バカラ製
右:1927年 ゲラン社「LiU(リュウ)」の香水瓶、ポシェ・エ・デュ・キュルバル製(2018.6.16 撮影)
左:1924年 ゲラン社「SHALIMAR(シャリマー)」
中:1925年 エドゥアード社「EGYPITIAN ALABASTRON(エジプトの香油壺)」
右:1921年 リュバン社「KISMET(運命)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1922年 ドルセー社「LE DANDY(ダンディー)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1922年 ドルセー社「LE DANDY(ダンディー)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1925年 キャロン社「NUIT DE NOEL(クリスマスの夜)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1925年 ウビガン社「LUXUARY FLACON(デラックス香水瓶)」(2018.6.16 撮影)
左:1913年 ドルセー社「LEURS CEURS(彼らの心)」
中:1929年 ガビラ社「LA VIERGE FOLLE(陽気な乙女)」
右:1925年 ピヴェール社「REVE D'OR(黄金の夢)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
c1930年 ウビガン社「Essence Rare(珍しいエッセンス)」のアトマイザー(2018.6.16 撮影)
左:1925年 リュバン社「L'OCEAN BLEU(ロセアン ブルー)」
右:1925-1934年 コルデー社「le lilas(ル・リラ)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1927年 ピヴェール社「ASTRIS(星)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1938年 エリザベス・アーデン社「CYCLAMEN(シクラメン)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1949年 クリスチャン・ディオール社
左:「Miss Dior」、中:「Diorama」、右:「Diorama」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
この後、ルネ・ラリックの香水瓶の展示コーナーに続くが、次週に譲る。
香水については、小学生の頃親しかった同級生のA君の家が、化粧品店を開いていて、そこに行くと店先に香水サンプルがいくつも置かれていて、見せていただいた思い出がある。
それぞれ小さなガラス瓶の中に香水が入っていたが、何故かその中で「ヘリオトロープ」という名前が印象的であった。
今改めてその「ヘリオトロープ」について調べてみると、これはペルー生まれの植物の名前で、フランスの園芸家が1757年にペルーからパリの王室の庭園に種子を送り、ヨーロッパに伝えたとされる。その後アメリカや他の国に伝えられ、日本には明治時代に伝わり、栽培されている。
この「ヘリオトロープ」が香水の名前として用いられ、明治30年に日本に初めて入ってきた香水として有名であり、夏目漱石の小説「三四郎」にも登場する。もしかしたら、学生時代に読んだこの本のこともあって、私の記憶に強く残っているものかもしれない。
記憶に残る2番目の香水は「シャネル5番」である。これは大学時代の友人Yさんから海外生活のお土産としていただいた。このことがきっかけになり、その後私も仕事で海外に出かけることがあると、必ず香水を1瓶お土産に買って帰ることが習慣になった。たいていは機内販売で、その時々の新製品を選んでいたように思う。そんな訳で、自宅には未使用の香水が結構溜まっていた。
こうしてたくさんあった香水だが、その後娘がやってきた折に、孫が通っている幼稚園のバザーで販売するのにちょうどいいというのでほとんど持ち帰り、いまは手元には残されていない。
今思い返すと、これらの香水は、それぞれ意匠を凝らした瓶に入っていた。香水の中身についてはよく判らなかったが、選ぶときには、機内誌を見ながら、瓶のデザインが気に入ったものを選んでいたように思う。
今年、軽井沢でアンティークガラスショップを始めたが、扱っている商品はテーブルウエアがほとんどで、香水瓶は妻がたまたま仕入れた数点にとどまっている。
しかし、ガラス工芸の近代史の中では、テーブルウエアの中心であるリキュールグラス、ワイングラス、デキャンタなどと共に、香水瓶もまた重要な役割を果たしている。
今回、見学した資生堂アートハウスでの展示品は、現在ガラス器のメーカーとしては共に世界のトップにランクされているバカラ社とラリック社の作品が中心であるが、これらを見ていると、バカラ社は香水瓶の製造をとても大切にしてきたことがわかるし、ルネ・ラリックにいたっては、香水瓶製造によってガラス器メーカーとしてのスタートを切ったのであった。
さて、今回訪問した資生堂アートハウス、パンフレットには次のように書かれている。
「資生堂アートハウスは、1978年(昭和53)に開設しました。その後、2002年(平成14)のリニューアルを機に、美術館としての機能を高め、近現代のすぐれた美術品を収集・保存すると共に、美術品展覧会を通じて一般公開する文化施設として活動しています。
・・・当館の建物は高宮真介、谷口吉生両氏の設計によるもので、1979(昭和54)年度の「日本建築学会賞(作品)」を受賞しており、建物自体がアートとしての価値を有しています。」
資生堂アートハウス外観(2018.6.16 撮影)
また、今回の企画展「ヴィンテージ香水瓶と現代のタピスリー」の開催については次のように記されている。
「資生堂アートハウスでは、19世紀末から第二次世界大戦前を中心にフランスで制作された香水瓶と、1960年代から70年代にかけて国内で制作されたタピスリーの展覧会を開催いたします。
・・・
香水瓶は、フランスの装飾工芸家ルネ・ラリック(1860-1945)と、クリスタルガラスのブランド、『バカラ』が手がけた作品を採り上げます。アール・ヌーヴォーからアール・デコに至る時代、香水産業が飛躍的に発展するにつれて、一部の香水は現代では考えられないほどの贅を凝らした瓶やケースに入れられ店頭を飾るようになりました。その時代を代表する香水瓶の担い手が、ルネ・ラリックとバカラだったと言えるでしょう。・・・
本展ではラリックとバカラの代表作を約100点展示し、香水と香水瓶が真の贅沢を謳歌していた時代の片鱗を目の当たりにしていただきたいと思います。・・・」
資生堂アートハウスの企画展のパンフレット。上部5点は、ラリック作、下部の7点はバカラ作の香水瓶。
出品作品一覧によると、香水瓶の出品数は102点、その内バカラのものは42点、ルネ・ラリックのものは56点、その他が4点である。
バカラとルネ・ラリックの出品作品を制作年代別に見ると
1900-1909 バカラ・・・ 3 / ルネ・ラリック・・・ 3
1910-1919 バカラ・・・13 / ルネ・ラリック・・・35
1920-1929 バカラ・・・16 / ルネ・ラリック・・・14
1930-1939 バカラ・・・ 7 / ルネ・ラリック・・・ 4
1940-1949 バカラ・・・ 3 / ルネ・ラリック・・・ 0
である。
これらの中からいくつか作品を紹介させていただく。当日は来場者もまばらで、ゆっくりと鑑賞でき、また自由に写真撮影も行うことができた。
最初に紹介するのは、私だけではなく、日本人が最初出会ったという、あの「ヘリオトロープ」を入れた香水瓶。ゲラン社から発売されていた。瓶の製作者はバカラでもルネ・ラリックでもなく、特に示されていない。
1870- ゲラン社「HELIOTROPE BLANC 000(ヘリオトロープ・ブラン 000)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
ここには、次のような説明文が示されている。
「1870年代から第二次世界大戦後まで用いられた、ゲランの汎用香水瓶です。肩の部分に面取りを施しただけの角型の瓶で、栓は多面体のカットガラスです。
ここに見られるように、19世紀の香水瓶は薬瓶のように簡素な形状がほとんどでラベルを変えることによって、複数の香水に用いられました。この瓶が初めて作られた頃、ゲランのメゾンはRue de la Paix(平和通り)にありましたが、展示品のラベルには、1914年に移転し、ゲランが今もメゾンをかまえている、シャンゼリゼ通り68,Champs-Elyseesの住所がき記載されています。」
次に、バカラの香水瓶から。バカラ社についてはパネルに次の説明文が展示されていた。
《Baccarat / バカラ社について》
クリスタルガラスで知られるバカラ社は、1764年、ロレーヌ地方バカラ村に国王ルイ15世の勅許を得て設立されたガラス工場に端を発します。
その後に起きた革命の動乱や経営者の交代を経ながら歴史を刻み、現在ではフランスの奢侈産業を代表するブランドの一つとして、世界中に販路を広げています。
テーブルウエアや室内装飾品を主に生産していたバカラが、香水商の要請に応える形で小型香水瓶を手がけ始めたのは、1900年前後からになります。この背景には、19世紀に起きた香水史上の大変革がありました。一つは「合成香料」の開発、もう一つは香料の抽出法の革新であり、この結果、香水はこれまでになく豊かなヴァリエーションと生産量を獲得することになりました。フランスの香水産業は急速に拡大し、膨らんだ購買層は争って新しい香水を求めたのです。
香水瓶はそれまでの簡素な容器から逸脱し、ラベルや外箱とともに、収められた香水のイメージを高める重要な小道具となりました。さまざまなメーカーがその需要に応じる中、裕福な顧客を抱えた香水商が求めた高品質の容器を製造できる企業の代表が、バカラだったのです。
もともとバカラはテーブルウエアの一つとして、豪奢なデカンタ(酒類を小分けしておくための瓶)を製造しており、ここに用いられていた技術をそのまま香水瓶に転用することができたのでした。
同社の工場における香水瓶の一日の生産量は、1897年には150個だったものが1907年には4000個となり、10年間の間に実に27倍近くに増加しています。
その後バカラはさまざまな香水商やオートクチュールのメゾンと共に、歴史に残る香水瓶を次々に制作していくことになります。
ここでは、バカラを中心に、20世紀初頭からアール・デコの時代を経て、1940年代に至るまでに制作された名作の数々を展示します。」
バカラのコーナーでの最初の香水瓶は、香水商の要請に応えた最初のものと同型とされている作品。
1914-1917年 オリザ・ルイ・ルグラン社「CHYPRE MOUSSE(キプロス島の苔)」、「JASMIN D'ASIE(アジアのジャスミン)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
ここには、次のような説明文が見られる。
オリザ・ルイ・ルグラン社 「CHYPRE MOUSSE(キプロス島の苔)」、「JASMIN D’ASIE(アジアのジャスミン)」の香水瓶 1914-1917年 バカラ製 個人蔵
「バカラが、香水商の要請に応えて制作した初めての香水瓶は、ORIZA L.LEGRAND(オリザ・ルイ・ルグラン)の「VIOLET(ヴィオラ)」のための瓶(1889年)とされています。本作はこれと同型の瓶で、「VIOLET(ヴィオラ)」には金彩によって香水名や写実的な蜜蜂がえがかれていましたが、ここでは緑、青、黒のエナメル彩で円形の文様が表現されています。リズム感のある装飾はいかにもモダンな雰囲気ですが、瓶自体のデザインは19世紀の簡素な様式をよく伝えています。」
c1907年 ウビガン社「LE PARFUM IDEAL(ル パルファム イデアル)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
左:1908年- ゲラン社「Cuir de Russie(ロシア皮)」の香水瓶
右:1911年 ゲラン社「L'HEURE BLEUE(ルール ブルー)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1911年 ヴィオレ社「VALREINE(蜜蜂の女王)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
左から:1921年 フォンタニス社「JASMIN FONTANIS(フォンタニスのジャスミン)」
1912年 ドルセー社「TOUJOURS FIDERE(いつも忠実)」
1913年 グルノーヴィル社「BLEUET(矢車菊)」
1912年 ドルセー社「LEURS AMES(彼らの魂)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
左:1919年 ウビガン社「SUBTILITE(シュブティリテ)」の香水瓶、バカラ製
右:1927年 ゲラン社「LiU(リュウ)」の香水瓶、ポシェ・エ・デュ・キュルバル製(2018.6.16 撮影)
左:1924年 ゲラン社「SHALIMAR(シャリマー)」
中:1925年 エドゥアード社「EGYPITIAN ALABASTRON(エジプトの香油壺)」
右:1921年 リュバン社「KISMET(運命)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1922年 ドルセー社「LE DANDY(ダンディー)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1922年 ドルセー社「LE DANDY(ダンディー)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1925年 キャロン社「NUIT DE NOEL(クリスマスの夜)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1925年 ウビガン社「LUXUARY FLACON(デラックス香水瓶)」(2018.6.16 撮影)
左:1913年 ドルセー社「LEURS CEURS(彼らの心)」
中:1929年 ガビラ社「LA VIERGE FOLLE(陽気な乙女)」
右:1925年 ピヴェール社「REVE D'OR(黄金の夢)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
c1930年 ウビガン社「Essence Rare(珍しいエッセンス)」のアトマイザー(2018.6.16 撮影)
左:1925年 リュバン社「L'OCEAN BLEU(ロセアン ブルー)」
右:1925-1934年 コルデー社「le lilas(ル・リラ)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1927年 ピヴェール社「ASTRIS(星)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1938年 エリザベス・アーデン社「CYCLAMEN(シクラメン)」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
1949年 クリスチャン・ディオール社
左:「Miss Dior」、中:「Diorama」、右:「Diorama」の香水瓶(2018.6.16 撮影)
この後、ルネ・ラリックの香水瓶の展示コーナーに続くが、次週に譲る。