軽井沢からの通信ときどき3D

移住して11年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

オガサワラシジミ

2020-09-04 00:00:00 | 日記
 2020年8月27日、ネット上でオガサワラシジミが絶滅したのではとの情報が配信され、翌28日の新聞紙上にも記事が掲載された。これまで国内のチョウで絶滅した種はないという。

オガサワラシジミの絶滅の危機を伝える読売新聞記事(2020.8.28付)

 私のように、多少チョウに関心を持っている者でも、オガサワラシジミと聞いてすぐにその姿が思い浮かばない。

 いつもチョウについて調べる時には、真っ先に参考にしている「原色日本蝶類図鑑」(横山光夫著 1964年 保育社発行)を見てみたが、オガサワラシジミの名前は見当たらなかった。後でわかったことであるが、米国の統治下にあった小笠原諸島が日本に返還されたのは1968年のことであるから、この本が出版された時には採りあげることができなかったのだと思われる。

 手元の他のいくつかの資料をまとめてみると、オガサワラシジミは次のようである。

 前翅長14~18mm。裏面は灰色、後翅は強く青緑色をおびる。♂は翅表が濃青紫色、外縁に黒帯がある。低温期の♀は、外縁の黒帯が♂よりやや幅広くやや明るい青色部が広がり、高温期では狭く、ほとんど黒褐色になる。♂♀の差異は翅表で明瞭、翅形は♀の方が丸みを帯びる。♂の複眼は♀よりも顕著に大きい。
 小笠原諸島(弟島、兄島、父島、母島、姉島)の特産種(本の出版された1991年時点の話)。国の天然記念物に指定されている。
 ほとんど周年見られ、食樹はオオバシマムラサキ(クマツズラ科)、テリハコブガシ、コブガシ(クスノキ科)。花、蕾を食べる。
 日中、♂は樹上を敏捷に飛翔し、見晴らしのよい場所で占有行動をとる。♀は♂よりもやや緩やかに飛翔する。シマザクラやオオバナセンダングサなどで吸蜜する。

 「フィールドガイド・日本のチョウ」(2013年 誠文堂新光社発行)には約束通り雌雄の翅表・裏の写真が載っていて、生息状況と保全の様子も次のように紹介されている。

 「父島列島にも生息していたが、すでに絶滅し、現在は母島で見られるのみである。外来種グリーンアノールによる捕食や外来植物の繁茂が減少の要因とされ、さまざまな主体が参画し、保全活動が行われている。」

 ♂の翅表の写真を見ると、解説のとおり濃青色をしていて外縁に黒帯がある。♀の方はこの部分がやや明るい青色部になっている。これを見ていると、ムラサキシジミに似ているように見えるが、別の図鑑「日本産蝶類標準図鑑」(2011年 学研教育出版発行)の標本の写真では、ルリシジミやスギタニルリシジミとの共通点が多いようである。

 翅裏の色は特異である。近縁の種とされるルリシジミとは異なり、後翅は亜外縁~外縁を除いて青緑色を帯び、不明瞭な黒点列がある。この後翅の淡い青緑色は、構造色のようであり光沢があってなかなか美しい。前掲の新聞の写真でこれを見るのはもちろん無理な話であるが、「フィールドガイド・日本のチョウ」掲載の写真にはその特徴がよく現れている。
 
 今回こうした事態に至った簡単な説明は上掲の新聞記事にも見られるが、その背景をもう少し詳しく調べてみた。

 先ず生息地とされる小笠原諸島から。東京から約1000㎞南に位置し、北から聟(むこ)島列島、父島列島、母島列島、西ノ島、火山列島(群島)などからなる。火山列島には第二次世界大戦の激戦地・硫黄島がある。

小笠原諸島・群島の地図 

 こうした、隔絶された環境により生まれた特異な生態系が高く評価され、2011(平成23)年に小笠原諸島は世界自然遺産に登録された。島で独自の進化を遂げた動植物は550種以上を数え、特にカタツムリなどの陸産貝類とシダなどの維管束植物の固有率には目をみはるものがあるとされる。

 ほかにも独自の進化を遂げてきた「固有種」の宝庫とされ、常緑広葉樹林に覆われた島には亜熱帯の植物が多く、ワダンノキ、シロテツ、オオハマギキョウなどの世界的にも珍しい固有植物も少なくない。動物では、特別天然記念物であり国際保護鳥のアホウドリや、同じく特別天然記念物で母島にしか生息していないハハジマメグロをはじめ、アカガシラカラスバト、オガサワラノスリ、オガサワラハシナガウグイスなど貴重な個体が生息している。

 この自然観光資源をベースに、海ではイルカやクジラのウォッチングツアー、山や森ではガイドによる探訪ツアー、ナイトウォッチング、戦跡めぐりなどが催されている。
 
 内地と小笠原諸島を結ぶ唯一の定期貨客船として重要な役割を果たしているのは「おがさわら丸」で、東京港(竹芝桟橋)と父島(二見港)間に就航している。1968(昭和43)年の返還後、当初は東京都が「黒潮丸」を運行していたが、1972(昭和47)年から小笠原海運が定期便の運航を開始し、現在に至っている。当初は「椿丸」、続いて「父島丸」によって運航。「初代おがさわら丸」が登場したのは1979(昭和54)年のことであった。その後、1997(平成9)年~2016(平成28)年まで「2代目おがさわら丸」、現在は、より大型化、高速化された3代目が就航している。通常は週に1便、繁忙期は3~4日に1度のペースで運行し、所要時間は24時間。また父島・母島間は「ははじま丸」が足となり、多くの島民や観光客を運んでいる。

 今回の話題の蝶、オガサワラシジミについては、参考にしたこれら一般的な資料の中には出てこない。その意味ではマイナーな存在のようである。

 2002年に発行された「自然科学のとびら」(第8巻第3号、神奈川県立生命の星・地球博物館 広報誌)に苅部 治紀氏の「小笠原の固有昆虫は今」でオガサワラシジミについて触れたところがあるので、一部を引用すると次のようである。

 「東京から南に約1000キロのところに位置する小笠原諸島は、『東洋のガラパゴス』とも呼ばれ、世界中でもここにしか生息しない固有動植物の宝庫です。今回は、この貴重な小笠原諸島の固有昆虫のおかれている危機的状況について紹介したいと思います。・・・
 動植物の豊富な大陸からは陸続きでないために、生物は直接侵入することができず、例えば海流に乗って漂着する流木の中に入ってきたり、台風などに巻き込まれて運ばれたりという、偶然の機会によってのみ島にたどり着くことになります。そして、そのような少数の先祖から長い時間をかけて進化した結果が、現在のような固有種の豊富な独特の生物相がみられる島なのです。
 しかし、残念ながらこの東洋のガラパゴスはかなり危機的な状況にあります。・・・
 固有鳥類であったオガサワラマシコ・オガサワラガビチョウ・オガサワラカラスバトなどはわずかな標本を残して(入植による開発で)早々に絶滅してしまいました。・・・
 ただし、興味深いことに固有昆虫類については、この時期(戦前のこと)に減少した種があった様子は見られません。
 第二次世界大戦中には全島民に避難命令が出され、さらに大戦後は米軍統治下にあって、住民の帰島も許されず、結果的にこの期間中に島の自然はかなり回復したといわれています。そして日本返還直後の1968年に行われた調査をもとに昆虫ではシマアカネ・オガサワライトトンボ・オガサワラトンボ・ハナダカトンボ・オガサワラシジミ・オガサワラタマムシ・オガサワラアメンボなどが国指定の天然記念物に指定されました。これらの固有種は当時は父島にも多産しており、本土から遠く離れた小笠原の立地条件からしても、これらの昆虫が減少するとは誰も想像していなかったのが実状です。当館のもう一人の昆虫担当である、高桑正敏学芸員も1976年に小笠原を調査に訪れ、多くの新知見をもたらしましたが、当時はシマアカネやオガサワラトンボといった固有トンボ類、オガサワラシジミなどの固有蝶類は、それこそ『そこら中に普通に見られた』ということです。・・・
 島の昆虫たちに異変が起きた(正確には研究者たちが異変に気がついた)のは、1980年代の中頃です。それまで普通に見られたシマアカネやオガサワラトンボ、オガサワラシジミなどが、父島からほぼいっせいに姿を消してしまったのです。・・・そして、あとを追いかけるように今度は母島です。1990年代初頭まではやはり多数確認されていたこれら固有種が、1990年代後半にはほぼ姿を消してしまう事態になってしまいました。
 では、これらの昆虫はなぜこつ然と姿を消してしまったのでしょうか?・・・
 開発によって環境悪化したとはいえ、父・母両島はオガサワラの中では面積が大きいおかげで今でも良好な植生の山や川は多く残っています。そこで、はっと気がついたのが、『もしかしたら昆虫の減少は捕食者によるものではないか!?』ということでした。・・・」

 手元にあって、やはりいつも参考にしているチョウの生態写真図鑑「チョウ①、②」(渡辺康之著 1991年保育社発行)でオガサワラシジミの項を見ると、1985.9.13、14日にそれぞれ母島で撮影された♀の翅裏の写真と幼虫の写真が載せられている。

 撮影された1985年といえば上記苅部氏の報告ではオガサワラシジミが父島から姿を消した時期であり、母島ではまだ多数が生息していたとされている時期である。しかし、翅表の写真がなく翅裏のものだけであること、♂の写真が見られないことなどから、既にこの当時、オガサワラシジミを見つけることが困難になっていたことが想像される。

 ところで今回の報道は、オガサワラ諸島での話ではない。本州の2施設で人工繁殖を試みていた幼虫、成虫がすべて死んでしまったという内容である。現地小笠原諸島の最後の生息地である母島でも2018年以来発見されていないことから、絶滅の可能性が出てきたという話である。

 この2施設とは、東京都の多摩動物公園と環境省新宿御苑である。ここでの人工繁殖の取り組みについては、次の資料からその様子が伝わってくる。2017.11.9付けの東京ズーネットからの発表であるが一時は人工繁殖成功の喜びに沸いていた様子が知れる。

 「多摩動物公園では環境省が進めるオガサワラシジミ保護増殖事業の一端を担い、2005年からオガサワラシジミを非公開で飼育繁殖し、生息域外保全に取り組んでいます。
 このたび第6世代の交尾に成功、第7世代が孵化し、導入から1年以上の飼育を初めて継続させることができましたのでお知らせします。 」   
 
 同じく東京ズーネットの公式HPには成功発表からその後、今日に至る経緯が次のように示されている。
 
 「絶滅危惧種のオガサワラシジミについては、小笠原諸島で分布が記録されていますが、外来種のグリーンアノールの影響等により、1990年代までに父島列島で姿を消し、近年、母島で見られるのみとなったため、関係機関、団体、専門家、地域住民などと、生息域内外での保全対策に取り組んできました。
 その一環で多摩動物公園と環境省新宿御苑においてオガサワラシジミの累代飼育にも取り組んできましたが、今春から個体の有精卵率が急激に低下し、繁殖が困難となり、2020年8月25日に飼育していたすべての個体が死亡しました。

保全対策の経緯
2005年東京都が多摩動物公園において飼育下での繁殖の取組みを開始
2008年種の保存法に基づく国内希少野生動植物種に指定
2009年種の保存法に基づく保護増殖事業計画を策定
関係機関と連携しながら、生息状況の調査や外来種対策などの保全対策を開始
2016年多摩動物公園において、園内施設を使用した交尾に成功し方法を確立
2017年多摩動物公園において、1年以上の継続した累代飼育にはじめて成功
2018年公的機関による生息状況調査では母島において個体が確認されなくなる
2019年10月環境省が多摩動物公園から個体を譲り受け、新宿御苑で飼育下繁殖を開始
2020年4月多摩動物公園および新宿御苑における有精卵率の顕著な低下
2020年7月新宿御苑において飼育していた全個体が死亡
2020年7月、8月母島において個体確認調査をおこなうが、確認なし
2020年8月25日すべての個体が死亡(多摩動物公園20世代目の幼虫)
 」 

 現在天然記念物に指定されているチョウは10種いて次のとおりである。


 また、絶滅危惧Ⅰ類に指定されているチョウは次表の16種である。オガサワラシジミの名前は両方に入っている。この両方に名前があがっている種は他にはゴイシツバメシジミがある。
 
 このゴイシツバメシジミ、天然記念物指定は、熊本県、宮崎県の一部とあるが、「フィールドガイド・日本のチョウ」によると、生息地はこのほか奈良県にもある。食草はシシンラン(イワタバコ科)ということで、近年、原生林の伐採や樹林の乾燥、食草も含めた密猟により、生息地や食草が失われ、個体数が激減しており、保全活動が行われているとされる。オガサワラシジミの絶滅が決まったわけではないが、ゴイシツバメシジミもまた厳しい状況にある。





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