軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

OB会展と夢と平和

2023-07-21 00:00:00 | 日記
 今年も元の勤務先のOBによる作品展が、6月18日から24日まで東京交通会館2階で開催された。今年で18回目の開催である。私も誘われて、2017年から参加し、途中不参加であったり、コロナ禍で展示会の開催そのものが中止になったりしたが、今年で4回目の出品であった。

 私の場合、今年は出展作品に悩むことはなかった。すでに当ブログで紹介したように、第1回軽井沢フォトフェストに応募していたからで、今回の作品展にはその中から次の2点の写真を選んで出品し、新たに説明用キャプションを用意した。

OB会展出品作品ー1「アトリの群れ(2022.2.5  撮影)」

 「アトリはスズメ目・アトリ科の鳥で、大きさはスズメと同程度です。カムチャツカ・サハリンにかけての亜寒帯で繁殖し、日本には冬鳥として全国に渡来します。渡来数の多い年には数十万羽の大群となることがあるとされます。
 軽井沢にも数百羽の群が飛来することがあり、樹上に群れたり、写真の様に地上に下りて餌を食べる姿を見かけることがあります。
 第1回軽井沢フォトフェストの佳作入選作品です。」

OB会展出品作品ー2「けあらしの朝の雲場池(2022.12.27  撮影)」

 「冬の朝の雲場池の光景です。雲場池の水源は、御膳水と呼ばれる清らかな湧水で、冬に外気温がマイナス十度以下になっても、比較的暖かく、豊富な水が流入する雲場池はめったに凍ることはありません。
 冬の朝、池から立ち上る水蒸気が冷たい大気に冷やされて、写真の様に”けあらし”と呼ばれる霧を発生させます。一羽の水鳥が写っていますが、これはコガモの姿です。
 第1回軽井沢フォトフェストの入選作品です。」 

 さて、昨年から始まったことであるが、展示会終了後、出展全作品のカラー写真と作品に添えられた説明文をまとめた「作品集」が今年も自宅に送られてきた。そこには、今回の作品展の出展者数は34人、作品展数は72点、来場者数は403人であったと、書き添えられている。これは世話人のお一人のM氏の尽力により作成されているものである。

 全38ページの大分なものであるが、表紙と内容の一部を紹介すると、
 
 ●作品集表紙


 ●作品集「絵画部門」から
 ●作品集「写真部門」から
 ●作品集「陶芸部門」から

 ●「作品集「工芸部門」から、

 以上、ごく一部をご紹介したが、力作揃いである。

 ところで、今年の絵画部門の中に異色の作品が出展されていて、私の目を引いた。O氏の作品2点であるが、いずれも絵物語になっている。

 作品名は「プーチン犬にされた『ゆめ』物語」と「『九尾狐伝説』別伝」である。後者の方は、那須岳にある「殺生石」が2022年3月に割れ、ニュースになったことを題材としたものであるが、前者の方は、ご存じプーチン大統領に日ロ友好の証として当時の秋田県知事から贈られた秋田犬についての物語であり、作品集から引用すると次の様である。
OB会展に出品されたO氏の作品「プーチン犬にされた『ゆめ』物語」(作品集から引用)

 この作品に添えられた説明文は次のようである。

 「昨年2月プーチンによるウクライナ侵攻が始まりました。その10年前の2012年、あきたいぬ『ゆめ』が日ロ友好のためプーチンに贈られました。
 ネット情報によれば、その後の『ゆめ』の消息を多くの方が心配されています。
 ウクライナの忠犬ハチ公と呼ばれている『リニ』の話も事実です。
 イソップ童話『欲張り犬』寓話も取り入れて絵物語を制作しました。」

 この絵物語の作者O氏は職場では私よりも数年先輩であり、若いころ勤務した研究所では共に絵画部に所属していたことがあるが、私が入社した時にはすでに転勤で他所に出られていたので、一緒に部活動をした記憶はない。ただ、絵画部の部室にO氏の作品が残されていて、そこから氏の力量が感じられたことを覚えている。

 昨年度の作品集を見直してみると、現在のお住まいがある福岡市中央区展区長賞(2020年)を受賞されていることがわかる。次のようである。
O氏の2022年度OB会展出展作品「地に顕われて」、「なんどす?」(作品集から引用)

 世界の多くの人が日々心を傷めているウクライナ情勢であるが、企業OBの我々の展示会にもこうした影響が及んでいることに、あらためてこの侵略戦争が与えている衝撃の大きさを見る思いである。

 私も、このブログで別項目を設けて、2022年2月24日に始まる、ロシアによるウクライナ侵略の経過を「ウクライナ情勢」として、購読紙から関連記事の見出しだけを拾い集めて、記憶にとどめる作業をしているが、長引く戦乱にいつ終わるとも知れない作業になってる。

 さて、絵物語で紹介されたあきたいぬの「ゆめ」についてもう少し調べてみると次のようである。
 
 「ゆめ」は2012(平成24)年、東日本大震災後の支援に対する東北地方からのお礼として秋田県の佐竹敬久知事からプーチン氏に贈られた。「ゆめ」は当時生後3か月で、秋田犬保存会(大館市)を通じて依頼を受けた畠山正二さんが送り出した。

 一方、秋田犬の「ゆめ」を贈ったお礼として、2013年にプーチン大統領から秋田県の佐竹知事に、ロシアのシベリア猫のオスが贈られている。この猫に、佐竹知事は「ミール」と名付けた。「ミール」はロシア語で平和という意味で、プーチン大統領が秋田犬に「ゆめ」という名前をつけたことから、佐竹知事はロシアとの経済交流という夢をさらに進めるためには平和でなければならないと考え、この名前にしたという。

 その後の「ゆめ」だが、2013年には、プーチン大統領と「ゆめ」が一緒に写っている写真が公開されている。
 
 「ゆめ」の消息は、2014(平成26)年2月にロシア南部ソチの大統領公邸で行われた日露首脳会談の際、大統領と一緒に安倍晋三首相を出迎えて以来、3年近く分かっていなかったが、2016年12月、日本メディアがモスクワ・クレムリンで行ったインタビューの際にプーチン氏とともに現れ、AP通信やロイター通信が、プーチン氏と「ゆめ」が戯れる写真を配信し、「ゆめ」(雌、4歳7カ月)が生きていたことが分かった。

 この時、「ゆめ」の元の飼い主の畠山さんは「しばらく報道されなかったので、どうしているか心配していた。大統領に大事にされている様子で、随分たくましくなっていて、うれしい」と話している。

 しかし、その後は「ゆめ」の消息はわからないまま、今回のウクライナへの侵略が始まった。侵略開始後間もないころ、「ゆめ」を育てた畠山正二さんの言葉をNHK WEBニュースは次のように伝えた。

 「秋田県が10年前にロシアのプーチン大統領に贈った秋田犬を育てた大館市の男性は、ウクライナへの軍事侵攻について『強引なやり方で、情けない』としたうえで一日も早く撤退するよう訴えました。
 秋田県は10年前の2012年に経済や観光でロシアとの交流を深めるきっかけにしようと、愛犬家として知られるプーチン大統領に赤毛のメスの秋田犬を贈り、プーチン大統領が『ゆめ』と名付けました。
 生後3か月まで『ゆめ』を育てた大館市の畠山正二さん(78)は、プーチン大統領がウクライナへの軍事侵攻を続けていることについて『どんな理由があろうとも話し合いで解決すべきで、軍事行動を起こすことはよくないことだ。10年前に『ゆめ』を贈ったときは交流のためと考えていたが、強引なやり方でこのような事態を起こしていて情けない』と非難しました。
 そのうえで『ゆめ』の名前が日本語の『夢』に由来していることから『名前に込められた思いとは違う状況が起きていて情けないと思う。『ゆめ』もこのようなことは望んでいないはずだ。これ以上被害が拡大しないように一日も早く軍事侵攻をやめてほしい』と訴えていました(2022年3月4日配信記事)。」

 さらに1年後、ウクライナの情勢は長期化の様相を見せ、ロシア側からの戦術核使用をほのめかす発言も度重なる情勢であるが、再び畠山正二さんの発言が報じられた。関係者にも「ゆめ」の情報は伝えられていないようである。

 「『ロシアで元気に暮らしているといいな』。秋田県の佐竹知事がロシアのプーチン大統領に贈った秋田犬『ゆめ』の幼い頃の写真を手にする大館市のブリーダー、畠山正二さん(79)はつぶやいた。・・・
 畠山さんによると、ゆめは素直で人懐こい性格。皮膚が弱く毛が抜けやすかったため、週1回のシャンプーを欠かさなかった。ロシア渡航後しばらくは、新聞などの報道を通じて現地で元気に暮らす様子を知ることができた。 
 畠山さんが自宅横で運営する犬舎『比内三岳荘』には、12歳のゆめの母犬『 優姫ゆうひめ』がいる 。『ゆめも親と似て体が大きくなっているはず。どんなふうに育ったのだろうか』と思いを巡らせる。・・・ 
 ただ、テレビなどでゆめの映像が流れる機会は減り、5年以上『見た記憶がない』という。元気なら今年で11歳で、犬としては高齢期を迎える。畠山さんは『秋田犬の寿命は14、15年。ゆめを見たい。早く戦争が終わり、元気なうちに姿を見せてほしい』と話す(読売新聞オンライン、2023年3月1日配信)。」
 
 プーチン氏から贈られた猫「ミール」の方は秋田県によると、佐竹知事の自宅で飼われている。軍事侵略が始まる2日前の2022年2月22日(猫の日)には、様子を撮影した動画が動画投稿サイトに公開されているという。タイトルは「ミール君ののんびりした1日」で、「ミール」が佐竹知事の自宅でくつろぐ様子やほかの猫と一緒に過ごす様子が収められていると報じられている。
 
 O氏の絵物語にはもう1頭のあきたいぬの「リニ」が登場する。

 「リニ」はウクライナの首都キーウ近郊マカリウで、ロシア軍に殺害された飼い主の女性を約1カ月にわたって女性宅前で待ち続けたあきたいぬである。ゲラシチェンコ内相顧問が、交流サイト(SNS)に玄関の前に座る「リニ」の写真を投稿。飼い主は悲劇的に亡くなり、「リニ」はボランティアが餌を与えて連れ出そうとしても離れようとしなかったと紹介した。

 O氏はOB会展に出展した絵物語の中で、この2頭の交流を描いていた。

 第二次世界大戦出征体験のある親世代に育てられた我々の世代は「平和」に対する思いが強いのではと思う。O氏は戦後生まれの私よりは少し年上だが、同じように平和を願い、戦争を憎む気持ちが強いようである。

 冷戦が終結し、核戦争の危機から遠のいたと思われた世界であったが、今回のロシアによるウクライナ侵略により状況は一変してしまった。

 この冷戦の終わりにあたり、1985年に米ソ両国のトップ、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長はジュネーブで会談し、「これからは人類の平和と発展のため、共通で一つの核融合をめざそう」という合意がなされたとされる。現在話題になっている国際協力による熱核融合実験炉「ITER(イーター )」建設のスタートである。

 核融合発電は戦後も長い間「夢」の発電技術とされてきた。しかし、この技術は今や多くの困難を克服しつつあり、その実現が確実視されるようになってきた。

 「ゆめ」を夢に終わらせることなく、その実現に向けて努力することこそが国家のリーダーの果たすべき役割であろう。協力することの重要性に気づき、恒久平和の実現というもう一つの人類の究極の目標に向けて、無益な戦争に終止符を打ってもらいたいものである。

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