人はなぜブログを書くのか? 私の場合、「自分の中の自分に気づけるから」というのが大きい。もちろん理由はそれだけじゃないが、今回はブログによる気づきに絞って話を進めよう。
ブログを書くことで気づかなかった自分を発見するパターンは、とすれば内発的な要因と外発的な要因に大別できそうだ。ではまず内発バージョンから見て行こう。
■書くことは自分のインナースペースを旅するのと同じだ
人間がモノを書くときには、まず自分の考えをまとめなきゃならない。そのためには自分の脳内に深く分け入り、ふだん無意識に働いている自分特有の思考パターンや、ものごとに対する認識を顕在化させる必要がある。
つまり書くことは自分について考え、意識下にある隠れた自分を発掘することでもある。
たとえば心理療法のひとつに、認知療法という手法がある。認知療法の治療者は、クライアント(患者)が日常生活で「何をどう感じたか?」を文章に書かせることが多い。まあ日記みたいなものだ。
つまり前述の通り文章を書くときには、自分について深く思考し、自分自身を観察する必要があるからである。
そして治療者はこの「どう感じたか?」を本人に考えさせることで、クライアントの思考や認識の偏り(認知のゆがみ)に本人が気づく手助けをする。
仮にクライアントは認知がゆがんでいるせいで、発想が必要以上にネガティブになりがちだったとしよう。そのため気分が落ち込んだり、ものごとに対する正しい判断ができない。人間が思考するための土台(材料)になる認知がゆがんでるんだから、出てくる結論もゆがんで当然だ。
それならゆがみのパターンに気づかせて、否定的な思考スタイルを自覚的に修正(意識を自分でコントロール)する習慣をつけさせればいいのである。
つまり文章を書くこと=ブログには、いわば認知療法を代行する機能があるということだ。
おっと話がそれた。余談はこれくらいにして、本題の1つめをいったんまとめよう。
【内発型の結論】
ブログを書くことは、自分に対する内側からの気づきを促す
さて、お次は外発的な気づきのパターンである。
■人とのコミュニケーションで自分を見つける
何度かこのブログでも書いているが、たとえば「私・松岡はこう思う」という記事に対してブクマ・コメントをもらう、あるいはトラックバックを受け取るってことは、他人の思考に触れることである。結果、何が起こるか?
「えっ? そんなものの見方があったのか?」
「ああ、自分は考えをうまく言語化できてなかった。オレの言いたいことはまさにそれなんだよ」
他人の思考に触発され、そのことにより自分ではうまく整理できてなかった自分に自覚的になれる。これが外発型の自己発見システムである。
【外発型の結論】
自分に宛てた他人のブログやコメントを読むことは、自分に対する気づきを促す
【本日のまとめ】
ブログを書くことは自分を見つけることであり、また他人に気づきを促すための問いかけにもなる。ブログはいわば知的精神の相互扶助ツールなのである。
【関連エントリ】
『なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ』
『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』
『SBMのブクマ・コメントはまさに集合知だった』
ブログを書くってことは、自分の考えを文章としてウェブ上に残すってことだけど、それによってより深く考えることになったり、ブログを読んだ人からの反応でより幅広く考えられるようになったりする。コメントやトラックバック、ソーシャルブックマークの反応からは、自分になかった視点の意見がもらえるし、自分が書いたものに反応して、いろんな方向に議論が広がっていくことだってある。
●北の大地から送る物欲日記『ブログを書くということ』
ブログを書くことで気づかなかった自分を発見するパターンは、とすれば内発的な要因と外発的な要因に大別できそうだ。ではまず内発バージョンから見て行こう。
■書くことは自分のインナースペースを旅するのと同じだ
人間がモノを書くときには、まず自分の考えをまとめなきゃならない。そのためには自分の脳内に深く分け入り、ふだん無意識に働いている自分特有の思考パターンや、ものごとに対する認識を顕在化させる必要がある。
つまり書くことは自分について考え、意識下にある隠れた自分を発掘することでもある。
たとえば心理療法のひとつに、認知療法という手法がある。認知療法の治療者は、クライアント(患者)が日常生活で「何をどう感じたか?」を文章に書かせることが多い。まあ日記みたいなものだ。
つまり前述の通り文章を書くときには、自分について深く思考し、自分自身を観察する必要があるからである。
そして治療者はこの「どう感じたか?」を本人に考えさせることで、クライアントの思考や認識の偏り(認知のゆがみ)に本人が気づく手助けをする。
仮にクライアントは認知がゆがんでいるせいで、発想が必要以上にネガティブになりがちだったとしよう。そのため気分が落ち込んだり、ものごとに対する正しい判断ができない。人間が思考するための土台(材料)になる認知がゆがんでるんだから、出てくる結論もゆがんで当然だ。
それならゆがみのパターンに気づかせて、否定的な思考スタイルを自覚的に修正(意識を自分でコントロール)する習慣をつけさせればいいのである。
つまり文章を書くこと=ブログには、いわば認知療法を代行する機能があるということだ。
おっと話がそれた。余談はこれくらいにして、本題の1つめをいったんまとめよう。
【内発型の結論】
ブログを書くことは、自分に対する内側からの気づきを促す
さて、お次は外発的な気づきのパターンである。
■人とのコミュニケーションで自分を見つける
何度かこのブログでも書いているが、たとえば「私・松岡はこう思う」という記事に対してブクマ・コメントをもらう、あるいはトラックバックを受け取るってことは、他人の思考に触れることである。結果、何が起こるか?
「えっ? そんなものの見方があったのか?」
「ああ、自分は考えをうまく言語化できてなかった。オレの言いたいことはまさにそれなんだよ」
他人の思考に触発され、そのことにより自分ではうまく整理できてなかった自分に自覚的になれる。これが外発型の自己発見システムである。
【外発型の結論】
自分に宛てた他人のブログやコメントを読むことは、自分に対する気づきを促す
【本日のまとめ】
ブログを書くことは自分を見つけることであり、また他人に気づきを促すための問いかけにもなる。ブログはいわば知的精神の相互扶助ツールなのである。
【関連エントリ】
『なぜ日本では議論が生まれにくいのか? ──議論とケンカのメンタリティ』
『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』
『SBMのブクマ・コメントはまさに集合知だった』