先日、ハーバード大学の「Justice(正義)」という講義の公開番組をちらっと見ました。面白いですよね。
私はコロンビア大学の英会話学校に行っていたのですが、そこでも、よくそういったエッセイを書かされ、ディベートを行う練習をする授業を受けていました。
でも、なにせ英会話学校ですから、自分の言いたいことの半分も言えないで、そちらのほうが歯がゆかったのを覚えています(笑)。
そして、「あれ?こういう究極の選択って日本でも経験あるぞ・・・」と考え、ふと高校受験を思い出しました。
私が受けた高校のひとつに、国語、英語、数学の中から一つ選択すればよい学校がありました。私は国語を選択。
その内容はたしか要約するとこうでした。
あなたは、パンを盗む女性を目撃してしまいます。盗んだパンは、たったひとつ。その女性は、パンを買うお金がなくて、そのパンも自分の子供のお腹を満たしてあげるために盗んだというのです。女性は、女手ひとつで子供を育てており、自分がいなければ子供達はどうにかなってしまう、と言います。さて、あなたは警察にその女性を連れていくか、もしくは、法を犯してでもその女性を見逃してあげるか、どうするか選んでエッセイを書きなさい。そしてなぜそれを選んだのか理由も述べなさい。
そして、エッセイを書いた後、それに対する面接があり、5、6人の試験官から、けっこう苦しいところまで追求されるのです。
「あなたは、なぜこの学校に入りたいのですか?」という面接ではないのですよ。面白いでしょ。
中学生だった私は、見逃す、を選び、その理由を書きました。
さて、面接では、「その女性はもしかして、嘘をついているかもしれない。あたなは信じるのか?」とか、「法に反して、見逃すことで、あなたは後で罰せられるかもしれないが、それでもいいのか?」などと聞かれたのを覚えています。あとはたしか、「もしあなたが警察官の立場で、その現場を発見したら、捕まえるか、捕まえないか?」とも聞かれたような気がします。
あまり詳しいことは覚えていませんが、私は、「それでも見逃す」といったような気がします。たったパンひとつで、子供から母親を引き離せないと子供心に思ったのでしょうか?はたまた、一度決めた自分の選択を、少しつつかれたからといって、直ぐに変えることはできないとでも思ったのでしょうか?何しろ高校受験なんてずいぶん昔のことで、覚えていること自体が珍しいので、詳しい内容をお教えできずに残念ですが。
さて、先日同じ問題をオットに出してみました。オットは、中学生の自分なら分からないが、今の自分なら、もし警察官でなければ見逃す。警察官であれば、捕まえる。」でした。なぜ警察官であれば捕まえるのか?と聞いてみると、「自分が捕まえなければ、きっと誰かが捕まえるかもしれない。いち早く更生させて、子供のところに戻してあげるべきだ。」と言っていました。なるほど。
ちなみに、英語をえらんだら、英語で書かれた物語の続きを、英語で書いて終結させるというものでした。数学は・・・忘れた。今思えば、個性的で面白い試験だったな~。
「正義」は言うだけならいくらでもできますが、実際にその場になったらどうするか、が人間の真価が問われるところですね。
私も自分を磨いて真の正義を行える人間になりたいです。
しかし、「真の正義」とは何なのか?そこが問題ですけどね(笑)。
だから「Justice(正義)」の講義は面白いのです。よりベターな考えが見つかるかもしれないから。
私はコロンビア大学の英会話学校に行っていたのですが、そこでも、よくそういったエッセイを書かされ、ディベートを行う練習をする授業を受けていました。
でも、なにせ英会話学校ですから、自分の言いたいことの半分も言えないで、そちらのほうが歯がゆかったのを覚えています(笑)。
そして、「あれ?こういう究極の選択って日本でも経験あるぞ・・・」と考え、ふと高校受験を思い出しました。
私が受けた高校のひとつに、国語、英語、数学の中から一つ選択すればよい学校がありました。私は国語を選択。
その内容はたしか要約するとこうでした。
あなたは、パンを盗む女性を目撃してしまいます。盗んだパンは、たったひとつ。その女性は、パンを買うお金がなくて、そのパンも自分の子供のお腹を満たしてあげるために盗んだというのです。女性は、女手ひとつで子供を育てており、自分がいなければ子供達はどうにかなってしまう、と言います。さて、あなたは警察にその女性を連れていくか、もしくは、法を犯してでもその女性を見逃してあげるか、どうするか選んでエッセイを書きなさい。そしてなぜそれを選んだのか理由も述べなさい。
そして、エッセイを書いた後、それに対する面接があり、5、6人の試験官から、けっこう苦しいところまで追求されるのです。
「あなたは、なぜこの学校に入りたいのですか?」という面接ではないのですよ。面白いでしょ。
中学生だった私は、見逃す、を選び、その理由を書きました。
さて、面接では、「その女性はもしかして、嘘をついているかもしれない。あたなは信じるのか?」とか、「法に反して、見逃すことで、あなたは後で罰せられるかもしれないが、それでもいいのか?」などと聞かれたのを覚えています。あとはたしか、「もしあなたが警察官の立場で、その現場を発見したら、捕まえるか、捕まえないか?」とも聞かれたような気がします。
あまり詳しいことは覚えていませんが、私は、「それでも見逃す」といったような気がします。たったパンひとつで、子供から母親を引き離せないと子供心に思ったのでしょうか?はたまた、一度決めた自分の選択を、少しつつかれたからといって、直ぐに変えることはできないとでも思ったのでしょうか?何しろ高校受験なんてずいぶん昔のことで、覚えていること自体が珍しいので、詳しい内容をお教えできずに残念ですが。
さて、先日同じ問題をオットに出してみました。オットは、中学生の自分なら分からないが、今の自分なら、もし警察官でなければ見逃す。警察官であれば、捕まえる。」でした。なぜ警察官であれば捕まえるのか?と聞いてみると、「自分が捕まえなければ、きっと誰かが捕まえるかもしれない。いち早く更生させて、子供のところに戻してあげるべきだ。」と言っていました。なるほど。
ちなみに、英語をえらんだら、英語で書かれた物語の続きを、英語で書いて終結させるというものでした。数学は・・・忘れた。今思えば、個性的で面白い試験だったな~。
「正義」は言うだけならいくらでもできますが、実際にその場になったらどうするか、が人間の真価が問われるところですね。
私も自分を磨いて真の正義を行える人間になりたいです。
しかし、「真の正義」とは何なのか?そこが問題ですけどね(笑)。
だから「Justice(正義)」の講義は面白いのです。よりベターな考えが見つかるかもしれないから。