1977年春ヤマハ発動機に入社、静岡県磐田市の本社で新人研修を受ける毎日が始まりました。
二輪やボート、四輪エンジンの製造現場の見学、バイクの講習など。
そして袋井のテストコースの見学の日がやって来ました。
サーキットに立つのは初めてでしたので、何もかも珍しく、なるほどコースの路面はこんなサンドペーパーみたいなんだ!などと感心していました。
そこにシングルエンジンの鼓動を響かせて数台のマシンが帰って来ました。
それはXT500ののエンジンを搭載したロードバイクの試作車でした。
数カ月前に雑誌のフェイクニュースだったはずのバイクがすでに試作車となっていて、テストコースを走っていたのです。
そして翌年にはSRと名付けられ発売されたのでした。
この一連のスケジュールでわかると思いますが、モトライダー誌のロードボンバー記事が掲載されたときには、すでに実走できるテスト車ができていたわけですから、かなり早期にヤマハではSRの開発が進められていたわけです。
ですからロードボンバーの反響がSR開発の端緒となったというのは間違いといえます。
ここからは想像に過ぎませんが、ひょっとすると進行中のSRプロジェクトが何らかの形で伝わってモトライダー誌の企画につながったのではないか?とも思われるのです。
さらにそれがもしヤマハ側の意図的なものだったとしたら、なんだか面白いのになぁと思ったりします。
しかし、外から見ると洗練されたイメージのヤマハですが、実際は田舎っぼく垢抜けない社風なので、そんな洒落っ気はないだろうなとも思います。
ともあれ、シンプル軽量、人馬一体で操縦するというバイクの本来の快感を追求しようとしたのはロードボンバーもSRも変わりなく、素晴らしかったことは40年以上にわたって多くのバイクファンから愛されてきたことで証明されていると思います。
私のSRの思い出でした。