富士の見方(芭蕉の自然観)
令和3年4月4日(日)
霧しぐれ
富士を見ぬ日ぞ
面白き
簡潔に言うと、
時雨のような霧がかかり、
今日は富士を見られない
ことが、何とも面白い。
普通は富士山が見られないときは
がっかりするのだが・・・。
箱根の関を越えた折の吟で、
『野ざらし紀行』本文に、
「関こゆる日は雨降て、
山皆雲にかくれたり」
と記載されている。
負け惜しみでは無く、
「眼に見える富士=有限」
「心の目に映る富士=無限」
という対比的発想が認められる。
師はよく分かるように解説する。
「箱根を越えようとすると、
霧が流れて富士は見えない。
しかし、秀麗な富士の姿があの辺りに
出ていたのはよく覚えている。
それはそれは美しい姿であった。
記憶の富士がかえって
以前の美しい姿を霧の幕を透して
想像させ、その最良の姿を見せて
くれる。
しかも、霧の流れも独特の形で、
記憶の富士を美しく装飾している
ではないか。
これこそ、本当の富士の面白さだ
と主張した句である。」
と。
写実を旨とした作風に反して、
想像美を楽しむ独特の境地が伺える。
自然は人の願い通りいかないものだが、
自然美の見つけ方を芭蕉は自らの歌で
教えてくれている。
貞享二年作。