貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

富士の見方・・・芭蕉の自然観

2021-04-04 16:20:08 | 日記

富士の見方(芭蕉の自然観)

令和3年4月4日(日)

霧しぐれ 

  富士を見ぬ日ぞ 

      面白き

 簡潔に言うと、

時雨のような霧がかかり、

今日は富士を見られない

ことが、何とも面白い。

 普通は富士山が見られないときは

がっかりするのだが・・・。

 箱根の関を越えた折の吟で、

『野ざらし紀行』本文に、

  「関こゆる日は雨降て、

   山皆雲にかくれたり」

と記載されている。

 負け惜しみでは無く、

「眼に見える富士=有限」

「心の目に映る富士=無限」

という対比的発想が認められる。

 師はよく分かるように解説する。

「箱根を越えようとすると、

霧が流れて富士は見えない。

しかし、秀麗な富士の姿があの辺りに

出ていたのはよく覚えている。

それはそれは美しい姿であった。

 記憶の富士がかえって

以前の美しい姿を霧の幕を透して

想像させ、その最良の姿を見せて

くれる。

 しかも、霧の流れも独特の形で、

記憶の富士を美しく装飾している

ではないか。 

 これこそ、本当の富士の面白さだ

と主張した句である。」

と。

 写実を旨とした作風に反して、

想像美を楽しむ独特の境地が伺える。

 自然は人の願い通りいかないものだが、

自然美の見つけ方を芭蕉は自らの歌で

教えてくれている。

 貞享二年作。