悲しげな月
令和3年4月22日(木)
義仲の
寝覚の山か
月悲し
義仲の一夜半の寝覚めに
月を眺めた山が此処かと思えば、
月も悲しげな感じであるの意。
元禄二年作。
前書きに「燧が城(ひうちがじょう)」とある。
木曾義仲が籠もり、平家に攻められた
古戦場である。
義経や義仲に対する芭蕉の愛着は並々でない。
特に、木曾義仲は、近江の義仲寺にある
義仲塚の傍に、自分の遺骸を葬るよう、
生前遺言していたほど。
福井から敦賀に向かう途中にある山を
燧山と言い、その山にあった城は、
木曾義仲が平維盛の軍勢に敗れた所。
ここは、今は廃墟になっているが、
かつてここで城に立てこもっていた義仲は、
真夜中に目覚めて、月を見て
何を思ったであろう。
如何にも悲しげな月であったろう。
歴史を思い感慨に耽っているのが、
芭蕉である。
義仲寺の芭蕉の墓