暫時面影・・・百景の美
令和3年4月5日(月)
雨霧の
暫時面影を
つくしけり
貞享元年の作?
雲霧に覆われた富士が目の前にある。
さっきまで見えていた全容が
今は少しも見えない。
富士を見に来た人々は、
「だめだ。富士山は見えなくなった。
帰ろう」と去ってしまった。
芭蕉は一人残って富士の表面を
覆っている雲と霧とを見つめる。
あの雲霧とは、何と美しい富士の着物を
つくっていることだろう。
さっきの明朗な富士を覆っていて
富士を守っているようだ。
思えばいろいろな富士を見てきた。
朝、昼、夕方を富士は様相を変えた。
季節による独特の変化も、
一日のうちの景色の差異も、
どれも素晴らしく美しかった。
おやおや雲が去り、薄い霧が
富士の姿を見せている。
何という美しさであろう。
さっき帰った人々はあの薄い夏着を
装った美しい富士を見たことが
ないのだろう。
芭蕉はうっとりと眼を細めて
富士を鑑賞している間に、
一句を仕上げる。
何も見えないときこそ、
百景の美があるので・・・・。
さて、いい句できたぞ。
「暫時面影」
これこそ詠みたかった俳句だ。