令和5年8月26日(土)
焼津市: 海 蔵 寺
山門は、幼稚園併設で、
山門は、幼稚園併設で、
封鎖されている。
<幼稚園併設の寺>
丁度休憩時間。
園児達が元気よく遊んでいる。
見守っておられる先生に、
「参拝したいのですが・・・」
と声をかけると、
「どうぞ!」
と開けてくださる。
園児達とも挨拶を交わしながら、
園児達とも挨拶を交わしながら、
参拝。
<本殿>
本堂左の松2本と
ドウダンツツジの処に
芭蕉句碑がある。
<芭蕉句碑>
句は、
「春もやゝ
気色とゝのふ
月と梅」 。
安政6年(1859)、
月と梅」 。
安政6年(1859)、
焼津港から讃岐へ向かう途中
遭難した福寿丸で、
ただ一人一枚の板子にすがって
2日2晩泳ぎ続け、
助かったのが天野甚助。
甚助はその板子をいつもお助けを
祈っている小川のお地蔵さま
(海蔵寺)に奉納。
<小川地蔵の話 小泉八雲>
八雲は焼津で天野甚助老人から
この体験談を聞き、
「漂流」(『日本雑記』に所収)
という作品を書き残す。
この板子は、長い間海蔵寺に
保存されていたが、
現在は焼津小泉八雲記念館に展示。
室町時代のお話が
室町時代のお話が
「小川(こかわ)の地蔵」。
沖の海で毎晩なにか光るもの。
ある日、吉平という漁師が鰯を
とるために網をしかけ、引き揚げる。
ずっしりと重たい物がかかる。
1メートル程の木のお地蔵さん。
急いで引き揚げ、合掌。
小さな仮のお堂を建て祀る。
お地蔵さんの頼みで海蔵寺に
祀られる。
村人の願いを叶え、
後に「川除地蔵」とも呼ばれることに。