令和6年1月21日(日)
大津市: 瀬田の唐橋と網定入口
瀬田の唐橋は、
瀬田の唐橋は、
瀬田-唐橋町の瀬田川に架かる橋。
全長223.7 mで、滋賀県道2号
大津能登川長浜線がこの橋を渡る。
京都の宇治橋、山崎橋とならんで
京都の宇治橋、山崎橋とならんで
日本三大橋(日本三名橋・
日本三古橋)の一つとされてきた。
また、近江八景一つ
また、近江八景一つ
「瀬田の夕照(勢田夕照)」
として有名。
かつて架けられた橋は、
かつて架けられた橋は、
丸木舟を横に何艘も並べ、
フジの木を利用し、
その蔓(つる)を絡めた橋で
「搦橋(からみばし)」とも称される。
この「からみ橋」から
「から橋」に転訛、
また、架け替えられる中、
中国や朝鮮半島の様式、
唐様が採り入れられたことにより、
唐橋。
その他に辛橋、韓橋とも
記されるようになる。
東海道・東山道(中山道)
東海道・東山道(中山道)
方面から京都へ向かうには、
琵琶湖を渡るか、
南北いずれかに迂回しない限り、
琵琶湖から流れ入る瀬田川を
渡るしか方途なし。
明治22年(1889)まで、
明治22年(1889)まで、
瀬田川に架かる唯一の橋で
あった瀬田の唐橋は、
交通の要衝かつ京都防衛上の
重要地である。
<網定前の瀬田川に浮かぶ屋形船と唐橋>
古来
「唐橋を制する者は天下を制す」
といわれる程。
唐橋を舞台として繰り広げられた
壬申の乱、
寿永の乱、承久の乱、建武の乱等、
橋は昔からさまざまな戦乱に
巡り合う。
そのため、何度も焼き落されたと
されるが、その度に当時の浅瀬の
位置に橋が架けられる。
<作者不詳の句碑>
また、
『日本書紀』など数多くの文献に
この地が登場する。
芭蕉も何度か訪れ、
芭蕉も何度か訪れ、
貞享5年の夏の句。
「五月雨に
「五月雨に
隠れぬものや
瀬田の橋」
琵琶湖やあたりの気色の全てが、
琵琶湖やあたりの気色の全てが、
五月雨に霞む中、
瀬田の唐橋だけは、
雨にも隠されることなく、
長々と横たわって見えている
の意。
唐橋公園に建立。
唐橋公園に建立。