大津市義仲寺②
令和6年1月24日(水)
芭蕉51歳、
元禄7年(1694)10月12日、
御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」
の離れで永眠。
芭蕉の遺骸を乗せた舟は
芭蕉の遺骸を乗せた舟は
夜のうちに伏見まで下る。
翌朝、伏見を立ち、
昼過ぎ膳所の義仲寺へ到着する。
14日には葬儀が行われ、
14日には葬儀が行われ、
同日深夜になって境内に埋葬される。
葬儀に参列した門人は80名、
会葬者は三百余名。
芭蕉の忌日は「時雨忌」などと
芭蕉の忌日は「時雨忌」などと
呼ばれ、旧暦の気節に合わせ、
毎年11月の第二土曜日に
法要が営まれている。
(義仲寺案内より)
芭蕉は生前、
芭蕉は生前、
「骸(から)は木曽塚に送るべし」
と遺言していたので、
木曽義仲のお墓の隣に。
芭蕉の墓石は三角の墓石。
三角形の芭蕉の墓は珍しい。
でもなぜ三角形なのだろう?
「木曾殿と
「木曾殿と
背中合わせの
寒さかな」
の句碑は、
芭蕉の弟子の又(ゆう)玄(げん)の作。