令和7年3月6日(木)
平泉市高館義経堂②

『奥の細道』
<平泉>の項では、
「三代の栄耀(えよう)
「三代の栄耀(えよう)
一睡の中(うち)にして、
大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成て、
金鶏山のみ形を残す。
先(まづ)高館にのぼれば、
北上川南部より
流るゝ大河也。

(中略)
『国破れて山河あり、
城春にして草青みたり』
と笠打敷て
時のうつるまで
泪を落し待りぬ。」
と記し、
と記し、
あの句を残している。
<芭蕉句碑>


兵どもが
夢の跡」
と。
と。
続いて
曾良の句が並ぶ。
「卯の花に
「卯の花に
兼房みゆる
白(しら)毛(が)かな」 。
山陽の三男、
山陽の三男、
頼三樹三郞の
平泉の歌碑もある。
<頼山陽の三男の歌碑>


義経の墓も詣でる。
<義経の墓>

妻子も道連れ、
自刃の悔しさは
いかばかりであったろう?
戦や闘いは、いつの世も、
何処の国でもつきもの。
生きる物の性(さが)
なのだろう?
<珍しい阿吽像>

幼い時からの教育の機会が
全ての人に与えられんことを
願うのみ!
高館義経堂は、
高館義経堂は、
毛越寺の管理下にある。
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