貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

猛暑咲き?

2018-07-26 08:42:12 | 日記

猛暑咲き?

平成30年7月26日(木)

 昨夜は、やっと熱帯夜からの解放。

 冷房は寝付きの1~2時間でちょん。

よく眠れたかな?

 15年ほど使用の居間のクーラーと

キッチンのクリーニングをしてもらう。

 4時間ほどで見違えるほど綺麗になる。

 クーラーの音もちょっと清澄。

 JAの会員パンフレットにクリーニング

のいろいろがあり。自分たちでも

定期的にやっていたが、この際プロの

やり方をと依頼。

 所長さんがでっかいキューバの方。

日本語も堪能で、優しく、ユーモア

センスの持ち主。

 あと二人の方は、日本の方。

 私と同年齢かな?

 ちょっと楽しい半日となる。

 蓮も喜んで、猛暑咲き?

 

 

 

7月末に咲いたのは初めて!

 天日干し、土用干しの梅とショウガも

笑っている?

酸っぱさでゴクンかな!


時の移るまで・・・

2018-07-25 08:43:11 | 日記

時の移るまで・・・

平成30年7月25日(水)

 「時の移るまで泪す。」

 最近は、「場面の映移るまで泪すこと多し」

 感情移入しやすくなっているのか。

平泉市: 高館(たかだち)義経堂 へ。

 小学生時代、読み聞かせなどで、完全な

義経贔屓。義経のイメージ像も強い!

 その昔は、もっと強かったことを、

芭蕉からも知ることができる。 

平泉市: 高館(たかだち)義経堂  へ。 

2017(平成29)年 7月15日 13:00~

 

 義経堂(ぎけいどう)は北上川を見下ろす

「高館」(たかだち)と呼ばれる高台にある。

 説明板によると、義経最期の地。

 兄の源頼朝匂われ、藤原秀衡を頼って

平泉に逃れ、文治5年(1189)のこと。


 義経、31歳の若さであった。

 2年生の時、先生が読んでくれた

『源平盛衰記』等で、私もまた義経贔屓

であった。

 判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも

呼ばれている。

 北上川を中心に見事な風景が一望できる所。

義経堂へ行くか、芭蕉句碑へ行くか岐路

に立つ。

 芭蕉句碑へ惹かれて行く。

つづく。


40.8度と茅の輪くぐり

2018-07-24 08:56:59 | 日記
40.8度と茅の輪くぐり

平成30年7月24日(火)

 9時頃出発。空調を強くしても

涼しくならず、窓を開けて涼を取る。

 昨年まで、この頃、東北、そして、

北陸路をぐるぐる回っていたが、

空調を効かし、窓を開けて走ることは

なかった。

 それでも、汗は噴き出す。

「こりゃ、午後気温上がりそう?」。

 そして、西東京へ。

 最後に、プールへ。

 監視の女性と話すと、

「水を入れてもこの水温で。」

 生ぬるいと言うより生暖かい。

 泳ぐと、こりゃ泳ぎづらし。

 300メートル程泳いで上がることに

した。

 水温は32度を超えているという。

 シャワーを浴びて帰ると、

「40度を超えたそうだよ。」

と教えてくれる。

 40.8度。東京で、青梅で初の40度越え。

 我が家の冷房室は、天国部屋となる。

 そして白山神社。



 茅の輪くぐり社殿



 茅の輪をくぐることで祓われ、お参りをし、

抜けるときは横から(くぐらずに)出ると

いう参拝の仕方。

 面白し。
  
 また、各干支に分かれてお参りできる場所もある。

 再度、光堂を坂下から参拝。



鐘楼や本殿へも参拝。



本殿。



親蛙子蛙もみっけ。



中尊寺を堪能する。

有難きかな!


( ○ ○ ○ ) だ。

2018-07-23 08:26:50 | 日記
( ○ ○ ○ ) だ。

 平成30年7月23日(月)

 日本語の妙味!?

 「ある旦那が奥さんと大喧嘩して家を

飛び出した。

 やがて後悔し、謝るつもりで帰ってきた。

しかし、家の前で出会ったのが近所に住む

幼馴染みの友。

 「家内に謝る言葉を聞かれたら、一生、

笑い話のタネにされる。」

と思い、一計を案じる。

 友には、「家内に謝れと言われても俺は

謝らない。」と意って家に入り、

戸を閉めた後、奥さんの前で、神に

『今俺が言いたいことは』と書いた。

 そして、大声で、(     )だ。」

と言った。

 そうすることで、奥さんには謝り、

幼馴染みには謝っていないように見せる

ことができたという。

 一体、ある旦那は、何と言ったのだろう?」

 日本語の妙味!

 さて、中尊寺境内にある白山神社へ。



 能楽堂はこの神社の前にある。



 白山神社は、慈覚大師自ら十一面観音を

本尊とした神社。

 その後、配仏として季衡(すえひら。

清衡の子)の持仏運慶作の正観音と

源義経の持仏毘沙門天が寄進安置

されたが、嘉永2年正月の火災で

焼失したそうだ。

仮宮の拝殿(現在の能楽殿)と鳥居は

嘉永6年旧伊達藩主伊達慶邦公によって

建立寄進されたもの。



 能楽殿は橋掛、楽屋などを完備した構成の

近世能舞台遺構としては東日本では唯一と

され、平成15年5月、国の重要文化財に

指定された。



明治天皇も天覧されたようで、記念碑が

建立されていた。



つづく。



酷暑・風雪に耐え・・・、

2018-07-22 08:03:16 | 日記
酷暑・風雪に耐え・・・

平成30年7月22日(日)

 猛暑と熱帯夜、つづくつづく・・・。

今朝の初物。「暑さ指数」。

 路面と畑や原っぱと日陰。

三つの所で一番高い暑さ指数?

 畑や原っぱ。

 1メートル50センチの高さの測定。

 しゃがんで草むしりの高さぐらいでは、

暑さ指数はさらに上がるという。

 だから、日中の草むしりや畑仕事中、

お年寄りが熱中症で亡くなって・・・。

昨日も八十代の女性が二人熱中症で

亡くなられたという。

 草も、この暑さで生長早し。

 次は「風雪に耐え・・・」。

 中尊寺は金色堂へ。



中尊寺創建当初の姿を今に伝える

金色堂は天治元年(1124)に上棟された。

 堂の内外に金箔を押してある「皆金色」

の阿弥陀堂。

 まず堂内の装飾に目を奪われる。

 4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押に

いたるまで、白く光る夜光貝の細工

(螺鈿)、透かし彫りの金具・漆の蒔絵

と、平安時代後期の工芸技術を結集して

荘厳されており、堂全体があたかも一つ

の美術工芸品のよう。
  
 三回目かな。

 金色堂内で、しっかり説明も聞く。

 黄金美につつまれて・・・。

 至福の時を過ごす。 




金色堂を出ると、すぐに芭蕉句碑。





 芭蕉の句は、勿論、

「五月雨の 降のこしてや 光堂」 。

 そして、芭蕉翁像と

奥の細道碑。



「兼て耳驚かしたる二堂(光堂と経堂

のこと)開帳す。

 経堂は三将の像をのこし、

 光堂は三代の棺を納め、

 三尊の仏を安置す。

 七宝散うせて、珠の扉(とぼそ)風に

やぶれ、金の柱霜雪に朽て既頽廃空虚

の叢と成べきを、四面新に囲て、

甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念

(かたみ)とはなれり」

と奥の細道で記す。



 芭蕉翁像



 紫陽花もひときわ映える。



 勿論芭蕉の句は、

「五月雨の 降のこしてや 光堂」 。

※五月雨は全てのものを腐らすのだが、

ここだけは降らなかったのであろうか。

 500年の風雪に耐えた光堂の何と

美しく輝いていることよ。

 芭蕉の感動が文章からも伝わって

くるようだ。

 芭蕉と賢治は、中尊寺では、ほんと

うに大事にされていることが伺える。

 つづく。