雨の夜と下弦の月

毎日を静かに、穏やかに生きていきたいと思う日々。
そのわりにはジタバタと暮らすワタクシの毎日を綴っております。

理解できない日本語。

2011-03-06 14:32:04 | books&magazine
明日からまた仕事だという現実がそろそろ肩にのしかかってきはじめる日曜日の14:30過ぎ、今日も東京は暑いぐらいの陽気になりました。ヒートテックのTシャツとフリースのジャケットで買い物に出たら、暑くて汗をかいてしまいました。しばらく(と言っても2週間ぐらいですが)本屋さんに行っていない間に、海堂尊の「極北クレイマー」と橋本治の「小林秀雄の恵み」が文庫本のコーナーに平積みされていたので、とりあえず買ってきました。そろそろ橋本治センセイ独特の癖のある文章が読みたいなぁと思っていたところだったので、結構いいタイミングで入手できました。海堂センセイのほうは、カイロプラクティックの予約時間まで時間つぶしにお茶するときに読むのにちょうどいい具合に上・下巻に分かれております。しばらくお茶するときに手持無沙汰だったので、これもラッキーでした。

昨年、知人に「教養として小林秀雄ぐらいは読んでおけ」と言われ、「無常といふ事・モーツァルト」を読み始めたのですが、ワタクシの苦手とする旧仮名遣いで、内容がワタクシのしわのない脳みそにとってはとても難解だったので、途中で挫折したままになっていました。書いてあること自体はそれほど難解ではないのかもしれませんが、普段、ミステリーなどしか読まなくなったワタクシの脳内では「小林秀雄=高尚で難しい」というイメージが出来上がってしまっているため、日本語を日本語として理解することができないわけです。もっとも、ワタクシの場合、橋本センセイの「三島由紀夫とはなにものだったのか」を読んで三島を理解した気分になり、肝心の「豊饒の海」全4巻には全く手がついていません。今回も同じようなことになりそうな気もしないではなく。

ちなみに、村上春樹の「雑文集」も途中まで読んで、カフェに行くとき用のバッグの中にしまい込んだままです。海堂センセイはスラスラ読んでしまいと思うのですが、あとの2冊は読了がいつになるのか、全く謎のままです。