朝、目を覚まして外を見るマチャプチャレが朝日に輝いている。
南西の方角から見ているので、岩峰が朝日に赤く輝いている。
昨夜、アマルさんといろいろな話をしている中でアマルさんは膝を痛めて関節に水が溜まるといっていた。
私は、捻挫したときのために湿布薬を持ってきているのを思い出したのでアマルさんに渡そうと思い部屋を尋ねた。
アマルさんに湿布薬を手渡すと、丁度、自分が用意してきたのがなくなってきていたのだと感謝される。
私は、この先、湿布薬はなくても大丈夫だと思ったので、アマルさんの役に立てばいいかと思っただけだ。
アマルさんは、明日ガンドルクを離れるという。
カトマンズで時間があれば連絡してくださいといわれ、携帯の番号をメモしてくれる。
8:20分、晴天の中、マチャプチャレに見送られながらまた石段を下る。
延々と続く段々畑の遙か下の方にアンナプルナベースキャンプを上流とするモティ・コーラが流れている。
今日の目的地ビレタンティは、このモディ・コーラの河畔にある町なのでどれだけ下ればいいかが一目で分かる。
9:10分、キムチェの町で一休み。
次々とトレッカーが石段を登ってくる。
私が歩いてきた道を逆に辿ってゴレパニを指す人達なのだろう。
私のトレッキングはもうすぐ終わる。
今歩き始めたばかりトレッカーは歩く姿も溌剌としている。
キムチェを過ぎてしばらく歩いていると前方の道端に薄紅色の花をつけている木がある。
よく見るとサクラのようだ。
こんなところに櫻が咲いているのか?
と思って花だけでなく木肌をよく見たが、サクラに間違いがないと思う。
こんなところで満開のサクラを見るとは思わなかった。
そのサクラの木の向こうにマチャプチャレが悠然と聳えている。
マチャプチャレと右側に少し見えるサクラの木
延々と続く石畳の道
シャウリバザールまで来るとモディ・コーラは直ぐ下に見える。
河まで降りて行く道があるのでそれを降りようとすると、ネトラさんが右手に続く車道を指さす。
どうやら、ここからは昔の道ではなく新しい車道を歩くようだ。
この道を下っていると前方に若者が7~8人歩いている。
20代の男女なのだが、どうやら中国人のようだ。
ペチャペチャと話をしながら賑やかに歩いている。
この世代の若者が海外旅行で見聞を広めるのは良いことだと思う。
私のような年代になって海外旅行をするより、もっと、目の前に広がるいろいろなことを新鮮な目と感性で感じることが出来るのではないかと思う。
羨ましい限りだ。
11:25分、前方に吊り橋が見えてくる。
どうやらビレタンティーの町のようだ。
ここまで歩いてくると、私のトレッキングもゴールに着いたようなものだ。
本来だと、この時間にビレタンティーに着いたなら20分ほどでいけるナヤプルからポカラ行きのバスに乗ることが出来る。
そして、2時間ほどバスに揺られればポカラの町に着く。
なぜそうしないかというのは、単なる日程調整のためです。
タトパニからこのビレタンティまでは普通に歩けば2日で着くことが出来る。
それをグダグダと遠回りして歩いているのは、全て余裕のある日程のせいなのです。
でも、そのお陰でネトラさんの家に民泊したりアマルさんとの出会いがあったり、いろいろ思い出を作ることが出来ました。
ビレタンティの宿
宿の前に露店が軒を並べている。
ビレタンティの町は、私が歩いてきたガンドルクへ行く道と直接ゴラパニへ行く道の分岐点となっている。
さらに、20分ほど歩くとポカラまでバスが出るナヤプルとも近い交通上の要所となっている。
そのため、ホテルや露店なども沢山ある、規模の大きな町です。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
今日の行動
8:20分 ガンドルクの宿を出発する
9:10分 キムチェで休憩
11:25分 ビレタンティ着
南西の方角から見ているので、岩峰が朝日に赤く輝いている。
昨夜、アマルさんといろいろな話をしている中でアマルさんは膝を痛めて関節に水が溜まるといっていた。
私は、捻挫したときのために湿布薬を持ってきているのを思い出したのでアマルさんに渡そうと思い部屋を尋ねた。
アマルさんに湿布薬を手渡すと、丁度、自分が用意してきたのがなくなってきていたのだと感謝される。
私は、この先、湿布薬はなくても大丈夫だと思ったので、アマルさんの役に立てばいいかと思っただけだ。
アマルさんは、明日ガンドルクを離れるという。
カトマンズで時間があれば連絡してくださいといわれ、携帯の番号をメモしてくれる。
8:20分、晴天の中、マチャプチャレに見送られながらまた石段を下る。
延々と続く段々畑の遙か下の方にアンナプルナベースキャンプを上流とするモティ・コーラが流れている。
今日の目的地ビレタンティは、このモディ・コーラの河畔にある町なのでどれだけ下ればいいかが一目で分かる。
9:10分、キムチェの町で一休み。
次々とトレッカーが石段を登ってくる。
私が歩いてきた道を逆に辿ってゴレパニを指す人達なのだろう。
私のトレッキングはもうすぐ終わる。
今歩き始めたばかりトレッカーは歩く姿も溌剌としている。
キムチェを過ぎてしばらく歩いていると前方の道端に薄紅色の花をつけている木がある。
よく見るとサクラのようだ。
こんなところに櫻が咲いているのか?
と思って花だけでなく木肌をよく見たが、サクラに間違いがないと思う。
こんなところで満開のサクラを見るとは思わなかった。
そのサクラの木の向こうにマチャプチャレが悠然と聳えている。
マチャプチャレと右側に少し見えるサクラの木
延々と続く石畳の道
シャウリバザールまで来るとモディ・コーラは直ぐ下に見える。
河まで降りて行く道があるのでそれを降りようとすると、ネトラさんが右手に続く車道を指さす。
どうやら、ここからは昔の道ではなく新しい車道を歩くようだ。
この道を下っていると前方に若者が7~8人歩いている。
20代の男女なのだが、どうやら中国人のようだ。
ペチャペチャと話をしながら賑やかに歩いている。
この世代の若者が海外旅行で見聞を広めるのは良いことだと思う。
私のような年代になって海外旅行をするより、もっと、目の前に広がるいろいろなことを新鮮な目と感性で感じることが出来るのではないかと思う。
羨ましい限りだ。
11:25分、前方に吊り橋が見えてくる。
どうやらビレタンティーの町のようだ。
ここまで歩いてくると、私のトレッキングもゴールに着いたようなものだ。
本来だと、この時間にビレタンティーに着いたなら20分ほどでいけるナヤプルからポカラ行きのバスに乗ることが出来る。
そして、2時間ほどバスに揺られればポカラの町に着く。
なぜそうしないかというのは、単なる日程調整のためです。
タトパニからこのビレタンティまでは普通に歩けば2日で着くことが出来る。
それをグダグダと遠回りして歩いているのは、全て余裕のある日程のせいなのです。
でも、そのお陰でネトラさんの家に民泊したりアマルさんとの出会いがあったり、いろいろ思い出を作ることが出来ました。
ビレタンティの宿
宿の前に露店が軒を並べている。
ビレタンティの町は、私が歩いてきたガンドルクへ行く道と直接ゴラパニへ行く道の分岐点となっている。
さらに、20分ほど歩くとポカラまでバスが出るナヤプルとも近い交通上の要所となっている。
そのため、ホテルや露店なども沢山ある、規模の大きな町です。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
今日の行動
8:20分 ガンドルクの宿を出発する
9:10分 キムチェで休憩
11:25分 ビレタンティ着
マチャプチャレも格好いいですね。楽しみ!
この形を見ているととても登れそうもないように見えるのですが、ちゃんと登頂記録があるようです。
ガンドルクの当たりは、グルン族の人達が住んでいるようで、男の人が着ているチョッキのような背中側が荷物を背負えるような衣類が特徴のようです。
ネパールは多民族国家ですのでいろいろと言葉なども違うようです。
アマルさんも、グルンの言葉を10年以上使ったことがないのに村の長老達と話し出すと自然にグルンの言葉で話せたといっています。
生まれ育ったグルンの言葉、ネパールの共通語、英語、日本語、自然と言語を習得する能力が備わるのかも知れません。
もちろん、言葉を覚えることが生活の手段ということもあります。
5月のトレッキングは楽しみですね。
雨期に入り、いろいろな花が咲いているので花好きのみいちゃんにはいい気説だと思います。
ガレー族のコックさんのダルバートもおいしかったですが、グルン族のロッジのダルバートも楽しみです。
ってまた食べ物の話ばかりですが。(笑)
私はスパゲティーを食べていましたが、ナポリやカルボナーラ、フレッシュサラダも美味しかったです。
ポカラへ行く前に紹介しますね。