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シューベルト、「おかしい」終楽章

2009年03月11日 22時46分41秒 | シューベルト
最近、インターネットの接続があまり調子よくありません。光回線で、同時に光電話もやってます。娘と息子のパソコンにもつながって、最大で3台で同時にネットをしております。プロバイダーは、関西の某電力会社のやつです。モデムからはワイヤレスで飛ばしてますが、モデムとパソコンはつながってます。でも、モデムからネットへがどうも不通になるんです。それも、突然なります。一方で光電話は通じているんです。不通になるといろいろいじっているんですが、だめです。で翌日になり、まる一日くらいたつと、またつながっています。なんでなんでしょうね。これが繰り返され、もう往生しております。
さてさて、今回はシューベルトであります。ピアノ・ソナタ第17番ニ長調D.850。この曲を特に意識するようになったのは、以前にも言及しましたが、村上春樹『海辺のカフカ』を読んでからです。そして、最近村上さんは『意味がなければスイングはない』を上梓されましたが、その中でこの曲を取り上げておられました。最近、音楽を聴きながら、村上さんの短編を読むことをけっこう気に入ってます。この本もなかなか考えさせられるところは多かったです。シューベルトには、アルプス山系の小川の雪解け水のように、さらさらとメロディや和音が浮かんできた、とか単純に書きたかったから書いた、そして、短いものに向いているのに、何かというと長いものを作りたがり、そういうところははた迷惑だ、とか…。そして、この曲についても、「最も愛好している作品」であるが、長く、退屈でまとまりがなく、聴かせどころも見あたらず、構造的な欠陥さえ見受けられる、とされています。
フムフム、と読んでおりました。確かに、「天国的な長さ」と冗長さを指摘されえることもあります。最後のD.960も長かったですが、この曲も40分ほどですから、実に長大であります。しかし、第1楽章は、勇壮な曲想。第2楽章は、少々長いですが、シューベルト特有の美しい旋律が聴けます。そして第3楽章もシューベルトの特徴がよくあらわれるスケルツォ。とまあ、けっこう聴き応えのあるピアノ・ソナタなんです。しかししかし、ここまではいいのですが、次の第4楽章が、私的にはよく釣り合わないのです。第4楽章がよろしくないのは他にもあります。マーラーの交響曲第7番「夜の歌」が代表格ですね。この曲も第4楽章の気の抜けたようで妙に明るいところは、他の楽章と大きな差異があります。このところがなんともおかしいのであります。最後だけ、他の曲から取ってくっつけたようなんです。なんでなんでしょうか。
そんな曲、演奏は、内田光子。2000年の録音です。今は8枚組で18のピアノ曲が収められております。内田さんの演奏は、実にダイナミックで鋭いタッチ、彼女の想い描く世界にぐいぐい引き込まれていきます。第1楽章。両手によるユニゾンが劇的で、レンジの広い演奏が展開されます。第2楽章、確かに長い感じは否めない。しかし、内田さんの表現力はあまり退屈させません。第3楽章も少々重い印象を持ちますが、聴くものにとっては重厚さを意識させてくるでしょう。そして、第4楽章。ここだけを聴くとそんなでもないんですが、続けて聴くとねえ。まあ、そんなことを思うのは私だけでしょうか。
しかし、村上さんは、ユージン・イストミンの演奏が好きと言われています。その演奏も一度聴いてみたいと思います。
(PHILIPS 4756282 2004年 輸入盤)

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