今日から夏の高校野球が始まりますね。この猛暑の中、何事もなく終わることを祈るばかりです。でも、今後甲子園をドーム化するとか、ナイターで行うとかの抜本的な改革が必要でしょうね。しかし、兵庫県の決勝戦も1時開始とか、まあほとんど旧態然として変えようという気はまったく感じられない。まさか太陽の照り輝く中で行うのが高校野球、などと考えている人はいないと思いますが、不幸なことが起こらない限り、動こうとしない、では困りますよねえ。ほんと。
休刊となったレコ芸の『新時代の名曲名盤500』。 さすが新時代と銘打っただけあり、「風景が変わった」「劇的な地殻変動」が話題になりました。つまりこれまで不動の1位だった演奏の評価が失墜。その中でカール・リヒターのバッハが目を覆うような凋落。マタイ、ヨハネ、ロ短調ミサ、クリスマスオラトリオ、ブランデンブルク、管弦楽組曲などなど。「目を疑う主役交代劇」「リヒターが消えた」だそうです。これは、まあ大変なことであります(笑)。
しかしですよ。例えばこれまで不動と1位だったマタイは、1958年の録音。もう60年以上も前のものなんです。そんな大昔の演奏を凌ぐ演奏が今だにないとは、ほんとにそうなんでしょうかねえ。加えて、演奏の評価を数値化して、優劣を争う企画は、多くの人の支持を集めていますが、まあそれが健全なものかどうかといわれれば、どうなんでしょうね。欧米でもこんなことしてるんでしょうかねえ。なんだか、趣味の悪い所業ではないか、と思ってしまいます。
まあ、それはさておき、今回はバッハのミサ曲ロ短調BWV252。実は、先日梅田の中古やさんでヤーコプスによるCDを買いました。うん、これはなかなかいいなあ、と思いました。それで、ふとリヒターの演奏も聴いてみよう、と思ったんです。すると、うーんやっぱりこっちの方がいいよなあ、と強く思ったのでした。やはり、リヒターの演奏、侮るべからず、であります。1961年の録音。ミニュンヘン・バッハ管と合唱団。マリア・スターダー、ベルタ・テッパー、エルンスト・へフリガー、キース・エンゲン、デートリッヒ・フィッシャー=ディースカウであります。
このリヒターの演奏。オケや合唱などはそれほどいいとは思わないのですが、これほど気持ち
がこもっている演奏もないと断言できます。冒頭のキリエから、合唱と管弦楽に劇的な表情は、他では決して聴けないです。また、クレドの4曲目の「Et incarnatus est」の五部合唱。ゆったりとしたテンポのヴァイオリンの伴奏での合唱。恐ろしいほどの静けさに中に、深い表情と表現が浮かび上がってきます。これは、次の5曲目「Crucifixus」でも引き継がれています。そしてそのあとの「Et resurrexit」は、一転して主のよみがえりが高らかにその喜びとともに歌い上げられる。オケも存分に表現しています。こんな演奏は他では決して聴けませんね。
そして、私が最もいいな、と思うのは、アルトのヘルタ・テッパーの独唱であります。リヒターのマタイでも「憐れみたまえ、わが神よ」「わが頬の涙」の絶唱が聴けますし、他のカンタータでも同様です。バッハのアルトでは私は大好きです。ここでも「Agnus Dei」はヴァイオリンのオブリガートとともに、これほどの絶唱は聴けません。実に人間臭い。ロ短調ミサには、8曲の独唱者用の曲がありますが、テノールの「Benedictus」では、フルートではなくヴァイオリンのオブリガートでヘフリガーがこれまたエヴァンゲリストを思い起こさせるような歌唱を聴かせてくれます。そして、グローリアの8曲目のバスに独唱。エンゲンは、威厳に満ちたバスがとてもいいです。ここまで聴いてくると、ロ短調ミサは、レチタティーヴォのないカンタータですね。こう思うと、この曲のよくわからない難しさは感じなくなりますね。でも、そればリヒターの演奏ゆえに、リヒターのカンタータの演奏を思い起こすということなんでしょうかねえ。
甲子園の高校野球、家人が熱心に観戦していました。応援のブラバンの曲は、マリーンズのものがほんとによく使われています。チャンステーマは実にやっていましたね。まあ、原曲はマリーンズと知っている人は、少ないかもしれませんが…。
(ARCHIV 427 155-2 1962年)
休刊となったレコ芸の『新時代の名曲名盤500』。 さすが新時代と銘打っただけあり、「風景が変わった」「劇的な地殻変動」が話題になりました。つまりこれまで不動の1位だった演奏の評価が失墜。その中でカール・リヒターのバッハが目を覆うような凋落。マタイ、ヨハネ、ロ短調ミサ、クリスマスオラトリオ、ブランデンブルク、管弦楽組曲などなど。「目を疑う主役交代劇」「リヒターが消えた」だそうです。これは、まあ大変なことであります(笑)。
しかしですよ。例えばこれまで不動と1位だったマタイは、1958年の録音。もう60年以上も前のものなんです。そんな大昔の演奏を凌ぐ演奏が今だにないとは、ほんとにそうなんでしょうかねえ。加えて、演奏の評価を数値化して、優劣を争う企画は、多くの人の支持を集めていますが、まあそれが健全なものかどうかといわれれば、どうなんでしょうね。欧米でもこんなことしてるんでしょうかねえ。なんだか、趣味の悪い所業ではないか、と思ってしまいます。
まあ、それはさておき、今回はバッハのミサ曲ロ短調BWV252。実は、先日梅田の中古やさんでヤーコプスによるCDを買いました。うん、これはなかなかいいなあ、と思いました。それで、ふとリヒターの演奏も聴いてみよう、と思ったんです。すると、うーんやっぱりこっちの方がいいよなあ、と強く思ったのでした。やはり、リヒターの演奏、侮るべからず、であります。1961年の録音。ミニュンヘン・バッハ管と合唱団。マリア・スターダー、ベルタ・テッパー、エルンスト・へフリガー、キース・エンゲン、デートリッヒ・フィッシャー=ディースカウであります。
このリヒターの演奏。オケや合唱などはそれほどいいとは思わないのですが、これほど気持ち
がこもっている演奏もないと断言できます。冒頭のキリエから、合唱と管弦楽に劇的な表情は、他では決して聴けないです。また、クレドの4曲目の「Et incarnatus est」の五部合唱。ゆったりとしたテンポのヴァイオリンの伴奏での合唱。恐ろしいほどの静けさに中に、深い表情と表現が浮かび上がってきます。これは、次の5曲目「Crucifixus」でも引き継がれています。そしてそのあとの「Et resurrexit」は、一転して主のよみがえりが高らかにその喜びとともに歌い上げられる。オケも存分に表現しています。こんな演奏は他では決して聴けませんね。
そして、私が最もいいな、と思うのは、アルトのヘルタ・テッパーの独唱であります。リヒターのマタイでも「憐れみたまえ、わが神よ」「わが頬の涙」の絶唱が聴けますし、他のカンタータでも同様です。バッハのアルトでは私は大好きです。ここでも「Agnus Dei」はヴァイオリンのオブリガートとともに、これほどの絶唱は聴けません。実に人間臭い。ロ短調ミサには、8曲の独唱者用の曲がありますが、テノールの「Benedictus」では、フルートではなくヴァイオリンのオブリガートでヘフリガーがこれまたエヴァンゲリストを思い起こさせるような歌唱を聴かせてくれます。そして、グローリアの8曲目のバスに独唱。エンゲンは、威厳に満ちたバスがとてもいいです。ここまで聴いてくると、ロ短調ミサは、レチタティーヴォのないカンタータですね。こう思うと、この曲のよくわからない難しさは感じなくなりますね。でも、そればリヒターの演奏ゆえに、リヒターのカンタータの演奏を思い起こすということなんでしょうかねえ。
甲子園の高校野球、家人が熱心に観戦していました。応援のブラバンの曲は、マリーンズのものがほんとによく使われています。チャンステーマは実にやっていましたね。まあ、原曲はマリーンズと知っている人は、少ないかもしれませんが…。
(ARCHIV 427 155-2 1962年)
リヒターのバッハは毀誉褒貶はあるかもしれませんが、長いバッハ演奏の歴史のなかで一時代を築いた名演ですね。最近多い快速なテンポではなく、一言一言に心をこめて歌うリヒターのバッハこそ教会音楽にふさわしく感じます。