前回『レコード芸術』誌休刊について言及しました。5月号は、今年没後100年になるリゲティの特集となるそうです。それを聞いて、「リゲティ?、知りもはんなあ」。無知な私でした。みなさん、ご存知ですか…。少々悩みました。近年連載ものもほとんど読まないものが多いんです。「レコード…」「ディスク…」「トーキョー…」など前半のツルツルの紙面に掲載されていますが…。まあ啓蒙を目的とするのはいいのですが、なんだかこれでは売れんやろな、と思うのでした。
いやはや、それはさておき、またまたヘンデルです。今回は詩篇曲『主は言われた』HWV232であります。若きヘンデルのイタリアローマ滞在の1707年の22才のとき書かれたもの。ラテン語による宗教音楽の代表作と言われています。ヘンデルのパトロンのひとりのコロンナ枢機卿依頼によって、1707年7月16日のカルメル山の聖母の日の晩課で初演されました。
林田直樹『クラシック新定番100人100曲』(アスキー新書、2008年)は、百人の作曲家について1人1曲に厳選しての曲紹介をしています。この本、けっこう好きでお世話になっています。例えば、バッハは平均律、ベートーヴェンは第九、モーツァルトはフィガロとまあ普通ですね。シューベルトはミサ曲第6番、マーラは10番、ブルックナーは5番、ハイドンは90番など、少々おもしろい選曲をしているのも興味深いのでした。
その中で、バロック時代の辣腕プロデューサー、ヘンデルの作品として、この「主は言われた」を取り上げておられます。林田氏は「この音楽で描かれているのは、主の怒りが諸国を裁き、地上の王たちを滅ぼす日の出来事である。いわば終末論的な時間が、この30分を支配している。ここにあるのは、最小限に言葉から導き出された、滅亡と恐怖のイメージなのだ。これを聴いた人は誰もが、怒れる神の力に畏れおののくことだろう」「この凝縮された30分において、晩課に集まった人々で埋め尽くされた教会は、文字通り劇場のように新館させられたことだろう」とあるのでありました。
そして。この曲の演奏でありますが、サイモン・プレストン指揮ウェストミンスター・アビー管弦楽団・合唱団。そして、アーリーン・オジェー(S)、リン・ドーソン(S)、ダイアナ・モンタギュー(A)、ジョン・マーク・エインズリー(S)、サイモン・バーチャル(S)によるもの。そして、このCDには、この他に『主が家を建てられるのでなければ(Nisi Dominus)』HWV.238、『サルヴェ・レジナ(Salve Regina)』HWV.241が収められています。
この『主は言われた』は、いわばヘンデルの若書きの曲でありますが、そうらしい彼の若い情熱はほとばしるような作品であります。特に合唱は、鮮烈であり劇的で、鳥肌が立つような場面飛び交う凄まじいものです。特にフーガがいたるところで多用されており、それが非常に効果的なのであります。そして、独唱曲もアルト、ソプラノのもの、そしてアルト・ソプラノのものとあり、非常にヘンデルらしい、穏やかな心安まるような美しさに満ちています。、
ソリストとして、オージェーとモンダキューです。まずオージェーは、バロックの曲については、非常に澄んだ美声で、心地よい歌を聞かせてくれますね。モンタギューも久々に聞く名前でしたが、落ち着いたアルトのよさがしみじみと伝わって来ます。共に、第二曲、第三曲のアリアは心に残ります。第六曲では、独唱と合唱の絡むフーガがとても見事に響く。その後、第七曲のそそりたつような合唱をへて、第八曲では、オージェーとドーソンの重唱、そして男声合唱に心が安まります。美しい歌声であります。そして終曲。迫力ある合唱が聴けるのでした。
しかし、『レコ芸』休刊だけではなく、音楽媒体としてのCDがなくなるのも、そう遠くないことなんでしょうね。ネット配信には、あまり興味を示さなかったのですが、そろそろ考えなければならないんでしょうねえ。
(Archiv 423 594-2 1988 輸入盤)
いやはや、それはさておき、またまたヘンデルです。今回は詩篇曲『主は言われた』HWV232であります。若きヘンデルのイタリアローマ滞在の1707年の22才のとき書かれたもの。ラテン語による宗教音楽の代表作と言われています。ヘンデルのパトロンのひとりのコロンナ枢機卿依頼によって、1707年7月16日のカルメル山の聖母の日の晩課で初演されました。
林田直樹『クラシック新定番100人100曲』(アスキー新書、2008年)は、百人の作曲家について1人1曲に厳選しての曲紹介をしています。この本、けっこう好きでお世話になっています。例えば、バッハは平均律、ベートーヴェンは第九、モーツァルトはフィガロとまあ普通ですね。シューベルトはミサ曲第6番、マーラは10番、ブルックナーは5番、ハイドンは90番など、少々おもしろい選曲をしているのも興味深いのでした。
その中で、バロック時代の辣腕プロデューサー、ヘンデルの作品として、この「主は言われた」を取り上げておられます。林田氏は「この音楽で描かれているのは、主の怒りが諸国を裁き、地上の王たちを滅ぼす日の出来事である。いわば終末論的な時間が、この30分を支配している。ここにあるのは、最小限に言葉から導き出された、滅亡と恐怖のイメージなのだ。これを聴いた人は誰もが、怒れる神の力に畏れおののくことだろう」「この凝縮された30分において、晩課に集まった人々で埋め尽くされた教会は、文字通り劇場のように新館させられたことだろう」とあるのでありました。
そして。この曲の演奏でありますが、サイモン・プレストン指揮ウェストミンスター・アビー管弦楽団・合唱団。そして、アーリーン・オジェー(S)、リン・ドーソン(S)、ダイアナ・モンタギュー(A)、ジョン・マーク・エインズリー(S)、サイモン・バーチャル(S)によるもの。そして、このCDには、この他に『主が家を建てられるのでなければ(Nisi Dominus)』HWV.238、『サルヴェ・レジナ(Salve Regina)』HWV.241が収められています。
この『主は言われた』は、いわばヘンデルの若書きの曲でありますが、そうらしい彼の若い情熱はほとばしるような作品であります。特に合唱は、鮮烈であり劇的で、鳥肌が立つような場面飛び交う凄まじいものです。特にフーガがいたるところで多用されており、それが非常に効果的なのであります。そして、独唱曲もアルト、ソプラノのもの、そしてアルト・ソプラノのものとあり、非常にヘンデルらしい、穏やかな心安まるような美しさに満ちています。、
ソリストとして、オージェーとモンダキューです。まずオージェーは、バロックの曲については、非常に澄んだ美声で、心地よい歌を聞かせてくれますね。モンタギューも久々に聞く名前でしたが、落ち着いたアルトのよさがしみじみと伝わって来ます。共に、第二曲、第三曲のアリアは心に残ります。第六曲では、独唱と合唱の絡むフーガがとても見事に響く。その後、第七曲のそそりたつような合唱をへて、第八曲では、オージェーとドーソンの重唱、そして男声合唱に心が安まります。美しい歌声であります。そして終曲。迫力ある合唱が聴けるのでした。
しかし、『レコ芸』休刊だけではなく、音楽媒体としてのCDがなくなるのも、そう遠くないことなんでしょうね。ネット配信には、あまり興味を示さなかったのですが、そろそろ考えなければならないんでしょうねえ。
(Archiv 423 594-2 1988 輸入盤)
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