GWも終わりました。仕事ばかりしていた連休でした。それでもあまり進みませんねえ。そんな中、山の辺の道を歩いてきました。高校生のころから行ってみたかったのですが、機会がなく…。天理駅に車を置いて、JR桜井駅から北上。石上から天理駅まで約20㎞。西に二上山や大和三山が見え、崇神・景行陵や西殿塚古墳などの前方後円墳の多いこと。三輪神社や桧原神社など、三輪山の麓の神社など、よかったです。また行きたいですが、夜都伎神社あたりから北がしんどいかったです。石上神宮から天理駅までも…。でも歩くのが一番ですねえ、やはり。
それはさておき、今回はヘンデルのヴァイオリン・ソナタであります。ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ、1898年にクリュザンダーによるヘンデル全集の作品1の16曲からなる、ヴァイオリン、フルート、リコーダーのためのソナタの中からの6曲を指します。しかし、近年はこの中のイ長調作品1-3とニ長調作品1-13以外は、ヘンデルの作品ではないとされています。その代わりに19世紀末に自筆譜が発見された、ト長調HMV358、ニ短調HMV359a、ト短調364aの三曲を加え、合計5曲がヘンデルのヴァイオリン・ソナタということになります。
それで現在、このヴァイオリン・ソナタのCDでも、例えばグリュミオー、スーク、シェリングなどのモダン楽器系の演奏は、旧来の6曲を演奏しています。寺神戸亮さんのは真作5曲とイ長調作品1-14を加えた6曲を収めています。この曲のCDを初めて勝ったのは、もうかなり前に取り上げたグリュミオー盤でした。寺神戸盤はCDが割れたことを報告しました。これらを聴いていたときは、真作贋作はほとんど意識していませんでしたねえ。グリュミオーの演奏を聴いても、、うーんヘンデルの曲はなかなかいいねえ、と思っていたのでありました(笑)。
そんなことで、今回はヘンリク・シェリングのヴァイオリンととユイゲット・ドレフェスのチェンバロによる演奏。1981年11月パリでの録音。シェリングは1988年に80才で逝去されますので、晩年の録音ですね。彼のヘンデルの録音は唯一のものです。現在では、おそらくモダン楽器で演奏されることは、ほとんど聴かないですので、その点では今や貴重なものかもしれません。
どの曲も教会ソナタ形式の4楽章からなります。贋作と言われる4曲もいい曲、というか何も考えなかったらヘンデルの作と信じてしまいますねえ。シェリングのヴァイオリン、派手さを感じず渋いの表情と表現に尽きます。声高にもならず、切々と朴訥に、ひたすらおのれの考える音楽を奏でる、という感じでしょうか。やはりどうしてもシェリングを聴くと、バッハのイメージがつきまとってしまいますねえ。それはこっちの勝手な印象なんですが、その点ではグリュミオーなどの演奏の方が、ヘンデルらしいのかもしれません。またヘンデルはもっと表情豊かで派手な方がいいのかもしれません。しかし、このシェリングのひたむきさはとてもいい。音色も心に染み込む。加えて、ドレフェスのチェンバロがシェリングに負けず劣らず素晴らしい。ヴァイオリンに比べると、少々音が小さめのようですが、シェリングのヴァイオリンに合わせての安定感がたっぷり。そしてヴァイオリンと一体化しているような演奏はとても共感を感じますねえ。
4楽章のうち、私はどの曲も第3楽章が好きです。どの曲もヘンデルの歌劇などのアリアのような趣きに加えて、ゆったりとしたテンポで静かに語りかけるようなシェリングのヴァイオリンに無上の美しさを感じ、消え入るような弱音にも心を振るわせるのでありました。作品1-12や14のラルゴのゆったりとし、落ち着いたヴァイオリンの美音は、とても心に染み込みます。シェリングのヴァイオリンが語りかけるような力を感じますね。また、真作と言われる二曲とよりもそうでない4曲に方が奥の深さを感じるようで、これもシェリングの力量によるものでしょうか。
前回マリーンズ好調と言いましたが、GWに入ってから2勝5敗1分け。なんなく失速感が漂います。やはり打てない。中軸打者の不在はどうもならんですねえ。今からでも打者の補強をして欲しいなあ、と思うことしきりでありました。
(DG PROA-17 2005年 TOWER RECORD VINTAGE COLLECTION4)
それはさておき、今回はヘンデルのヴァイオリン・ソナタであります。ヘンデルのヴァイオリン・ソナタ、1898年にクリュザンダーによるヘンデル全集の作品1の16曲からなる、ヴァイオリン、フルート、リコーダーのためのソナタの中からの6曲を指します。しかし、近年はこの中のイ長調作品1-3とニ長調作品1-13以外は、ヘンデルの作品ではないとされています。その代わりに19世紀末に自筆譜が発見された、ト長調HMV358、ニ短調HMV359a、ト短調364aの三曲を加え、合計5曲がヘンデルのヴァイオリン・ソナタということになります。
それで現在、このヴァイオリン・ソナタのCDでも、例えばグリュミオー、スーク、シェリングなどのモダン楽器系の演奏は、旧来の6曲を演奏しています。寺神戸亮さんのは真作5曲とイ長調作品1-14を加えた6曲を収めています。この曲のCDを初めて勝ったのは、もうかなり前に取り上げたグリュミオー盤でした。寺神戸盤はCDが割れたことを報告しました。これらを聴いていたときは、真作贋作はほとんど意識していませんでしたねえ。グリュミオーの演奏を聴いても、、うーんヘンデルの曲はなかなかいいねえ、と思っていたのでありました(笑)。
そんなことで、今回はヘンリク・シェリングのヴァイオリンととユイゲット・ドレフェスのチェンバロによる演奏。1981年11月パリでの録音。シェリングは1988年に80才で逝去されますので、晩年の録音ですね。彼のヘンデルの録音は唯一のものです。現在では、おそらくモダン楽器で演奏されることは、ほとんど聴かないですので、その点では今や貴重なものかもしれません。
どの曲も教会ソナタ形式の4楽章からなります。贋作と言われる4曲もいい曲、というか何も考えなかったらヘンデルの作と信じてしまいますねえ。シェリングのヴァイオリン、派手さを感じず渋いの表情と表現に尽きます。声高にもならず、切々と朴訥に、ひたすらおのれの考える音楽を奏でる、という感じでしょうか。やはりどうしてもシェリングを聴くと、バッハのイメージがつきまとってしまいますねえ。それはこっちの勝手な印象なんですが、その点ではグリュミオーなどの演奏の方が、ヘンデルらしいのかもしれません。またヘンデルはもっと表情豊かで派手な方がいいのかもしれません。しかし、このシェリングのひたむきさはとてもいい。音色も心に染み込む。加えて、ドレフェスのチェンバロがシェリングに負けず劣らず素晴らしい。ヴァイオリンに比べると、少々音が小さめのようですが、シェリングのヴァイオリンに合わせての安定感がたっぷり。そしてヴァイオリンと一体化しているような演奏はとても共感を感じますねえ。
4楽章のうち、私はどの曲も第3楽章が好きです。どの曲もヘンデルの歌劇などのアリアのような趣きに加えて、ゆったりとしたテンポで静かに語りかけるようなシェリングのヴァイオリンに無上の美しさを感じ、消え入るような弱音にも心を振るわせるのでありました。作品1-12や14のラルゴのゆったりとし、落ち着いたヴァイオリンの美音は、とても心に染み込みます。シェリングのヴァイオリンが語りかけるような力を感じますね。また、真作と言われる二曲とよりもそうでない4曲に方が奥の深さを感じるようで、これもシェリングの力量によるものでしょうか。
前回マリーンズ好調と言いましたが、GWに入ってから2勝5敗1分け。なんなく失速感が漂います。やはり打てない。中軸打者の不在はどうもならんですねえ。今からでも打者の補強をして欲しいなあ、と思うことしきりでありました。
(DG PROA-17 2005年 TOWER RECORD VINTAGE COLLECTION4)
ヘンデルはバッハよりもヴァイオリン奏者の素の音色や音楽性?がストレートに伝わってきますね。